2019/4/29
続いて、道路を隔ててお向かいにある司教館に入ります。
この司教館、伯爵宮殿とセットのような配置に見えちゃうけど、本当は大聖堂とセットで建てられました。オークニー伯となったログンヴァルドが、1137年頃に故マグヌスのために大聖堂を建てるのと同時に、この司教館をウィリアム司教のために建てたのだ。元々はオークニーの司教座はメインランドの西端のバーゼイにあったんだって。大聖堂を建てるのに合わせてカークウォールに移ったらしい。
その頃はここはノルウェイ領ですので、司教も伯爵もノルウェイ人。なので、この司教館は元々は典型的なノルウェイ風のお邸だったと思われるそうです。1階が倉庫で、その上に長方形の大広間があり、塔に主の居住区が入っているという…。
でも現存する円い塔は16世紀に増築されたもの。そして、本棟の2階建ての上に3階が建て増しされた。会議のための大広間、司教の生活空間としての塔、そして礼拝堂を備えていたそうです。
入口を入ってすぐの場所。上の図で言うと、一番右の白い小屋っぽい所かな? 一番左のはたぶん、元は暖炉だったんでしょう。その隣、2つの長方形が並んでいるようなトコの下にちょっと穴が見えているのが、梁を通した穴かしら。でもここが床・天井のラインだとしたら右側の下の窓と位置が合わない気がする。1階の床は昔はもっと低かったのかな?
入口を振り返る。向かって左が、大広間などがあった部分に繋がっていく入口。
大広間の入口から見た光景。大聖堂が見えています。壁に赤と白の意志が使われているところ、大聖堂とのデザインの統一が見られますな。正面の階段が塔の入り口に繋がっている。たぶんここが2階の床の高さだったんだと思う。てことはやはり、1階の床はもう少し低かったのかな?
塔の入り口に続く階段から振り返ったところ。反対側の壁にある、さっき入ってきた入口は、床の高さじゃなかったのだろうか。だって、その横にある棚的な窪みと位置が合わないじゃない? 私みたいな物知らずには謎だらけだわ。ガイドさんが欲しかった。
この司教館の歴史で最重要なものの一つは、王様がここで亡くなったこと。1263年10月、当時ノルウェイ領だったヘブリディーズ諸島をスコットランドに攻撃され、ホーコン4世が老体に鞭打ってローモンド湖近くのラーグスまで遠征しましたが、悪天候の影響もあり大敗。艦隊が陸に乗り上げちゃうくらいの暴風雨だったってさ。ホーコン4世はオークニーまで撤退しました。で、翌年の夏に再びスコットランドに遠征するべくこの司教館で冬を越そうとしたんですが、病を得て12月に亡くなったそうな。(そしてヘブリディーズ諸島はスコットランドのものに)
1320年までには、司教館は放置されて荒れてしまったらしい。1468年に例のマルグレーテ王女の持参金のかたとしてオークニーはスコットランド領となる。そして1540年にオークニーを訪れたジェームズ5世の軍隊がこの司教館に駐留してしばらく後に、リード司教が大掛かりな改築を始めたのでした。
では塔の中に入ろう。リード司教が建て増しした塔です。上まで登れるのよ。西側にあるこの塔と対になる形で東側にもう一つ塔があって、そっちに司教の住居があったらしいです。現存せず。
この塔は楽しいぞ! 螺旋階段で上まで登れる。
途中から外壁が壊れてむき出しになっているけど、保存状態はいい方でしょう。
中世の城塞などに比べて近世の宮殿が(私にとって)つまらない理由って、壁がレンガや石積みじゃなくてペタッとしているとか、装飾はあれども基本の外観が四角くて今のビルと大して変わらないとか、機能性が高まったせいで間取りがきっちりしていて単純だとか、いくつもあるけど、螺旋階段が(ほとんど)使われていないことも大きいと思うんだよねえ。
ここまで、円筒の部分が4階建て。その上に2階建ての四角い建物が乗っかっている(上れません)。4階の天井であるこの回廊からの眺めが最高なのよ。お向かいの大聖堂を見る絶好のロケーション。
これは司教館の大広間の方を撮ったもの。
近世以後の司教館の主な出来事の年表は…
1541年 リード司教が着任し、司教館の修復を始める。
1558年 リード司教が死去。司教館はボズウェル司教の所有となる。
1568年 ボズウェル司教がホリルードに行くので司教館を手放す。
例の悪人領主の親父の方、ロバート・ステュワートが司教館を手に入れる。
1610年 息子パトリックが悪行三昧の果てに新築の宮殿ともども司教館を取り上げられちゃう。
1614年 パトリックの息子ロバートが親父の指示で反乱を起こして司教館を占拠。
反乱は失敗して同年ロバートは絞首刑(1615年にパトリックは斬首刑)
1638年 司教館が司教の手に戻る。 けど、スコットランドの司教制度が廃止されちゃった。
=しばらく軍隊の駐留などに使用される=
1671年 司教制度復活(1662年)を受け、またこの司教館に司教が住むようになる。
1688年 また司教制度が廃止になり、完全なる廃墟へと向かう。
これはエディンバラ大学の所蔵する絵。確かに今の塔がとは反対側に四角い塔があるようだ。16世紀にリード司教が修復する前の荒れていた時代の姿かと思ったけど、奥に見えている大聖堂に尖塔があるってことは19世紀か? でもその頃ってもうこの塔はなくて、反対側に円塔があったんじゃないの?
Original pencil drawing by James Skene of Kirkwall Cathedral and the Bishop's Palace; Pirate, The; Cathedral & Bishop's Palace of Kirkwall
Skene, James. University of Edinburgh
CC BY - http://creativecommons.org/licenses/by/3.0/
この絵とも合致するね、上の絵の塔の位置は。現存する円い塔は、この絵の状態が廃墟になった後に反対側に付け足されたって流れでOK?(この絵は現地の案内板を撮ったの。だからで葉っぱの影が)
この絵は19世紀の様子だって。現代に近いのだろう。今あるのと同じ側に塔があるもの。(奥に見えているのは伯爵宮殿)
The Castle of Scotland このページは司教館と伯爵宮殿のフロアプランも載っていて面白いよ!
塔が2つとも建っていた時期は本当にあったんだろうか?
大体はこのパトリックの野望図に近かったのかなあ? 想像で描かれた絵もあるから全ての絵がきっちり合致するわけではなく、不確実なところは残るとしても。ああ、タイムマシンで見に行きたいわー。
見るだけでいいです、暮らしたくはない。昔から中世ヨーロッパに憧れてはおりますが、同時に昔から、衛生面ひとつを取っても1日ツアー、せいぜい1泊2日ツアーが限界じゃないかと思っておりました。あと冬の寒さに耐えられそうにもない。
先日こんな記事も読んだよ。面白かった。