萩の旅 14:松陰神社と伊藤博文別邸 | 旅中毒

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2018/2/25

 

さて、残り時間を計算しながら動く必要を感じ始めております。そういうことも考えて、どうしても時間がなければ省いてもいいと思えるものを後に持って来てありました。失礼ながら、その一つが松陰神社です。

 
私、明治維新は歴史の一部としての興味はあるけど、特別な関心はないんですよね…。どっちかと言えば負けた側に目が向くし。正直な話、萩に来るまで、萩の観光がこんなに明治維新を推してくると思っていなかったくらい。歴史を見ればそりゃそうなるだろうって感じではありますが、2018年はちょうど明治維新150周年だってこともあったのかもしれない。
 
かの有名な松下村塾。これは幕末期の塾舎だって。
 
松下村塾は1842年に吉田松陰の叔父の玉木文之進が始めたもの。松陰など何人か塾頭が交代している。明治以降は玉木文之進の自宅が塾として使われていたそうです。最後の塾頭は松陰の兄である杉民治で、1892年(明治25年)まで続きました。
 
てゆか、この建物は移築なの? 松陰神社は、杉民治が邸内に松陰の遺品や書簡を神体として収めた祠を建てたのが始まりだそうですが、この塾はその邸内にあったの?

 

横から見たところ。元は八畳の施設でしたが、塾生が増えたので十畳半を増築したって。

 
萩と言えば明倫館も有名だけど、一定の身分以上の士族しか入門を許されなかった。翻って松下村塾は町人や農民も受け入れ、約50名が学んだそうな。

 

こっちがオリジナルの八畳ね。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋など、有名な塾生たちの写真が飾ってあった。

 

んで、神社の社殿。

 

神社の後には、すぐ近くにある伊藤博文の別邸へ。東京にあったものを移築したそうです。

 

現在の品川区に建てられた、左右に書院と洋館、更に離れ座敷や蔵などを配した広大なお屋敷のうち、ここに一部の玄関と大広間と離れ座敷を移築しているとのこと。

 

いや、このスケール、さすが伊藤博文のお住まいっすわ!

 

 

廊下が広いこと。畳も敷いてくれてるし、ここを細い部屋として暮らせそう。

 

2階も広いので、旅館みたいに両側に階段が延びている。

 

 

旅館として使えそうなくらいね。名門の血筋の内閣総理大臣の私邸ともなれば広大なのも当然だけど、こういうの見ていつも思う、ホントに持っている部屋数をちゃんと使っていたんだろうか…?

 

窓の内側に手すりを付けてるのか。掃除がしにくそうだな。

 

ステキな建物なのに、今ひとつ盛り上がれなくて、さらっと見て終ってしまいました。何がどう違うのかわからんのですが、気持ちが入り込む建物と、そうでない建物があるんだ。ここは典型的に後者に当てはまる。こういうの、ホント何故なんだろうね。もしかしたら建物には関係がなくて、「もう時間がない」と焦り始めていたからかも。
 
てゆか、この別宅(東京にある、本宅とは別の家)に、旧宅(萩にいた当時に住んでいた家)が隣接しているのに、そっちに入った記憶も記録もない。なぜだ。写真を見る限りそっちの方が好みなのに。時間がないと思って入らなかったと言う記憶もないので、別宅と旧宅があることを理解していなかったとか?