チェコ旅行記 33 : チェスキー・クルムロフ シティツアー | 旅中毒

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2015/12/29

 

広場に戻ったのは、シティツアーに参加するためです。観光案内所でガイドツアーか何かありませんかと聞いたら、冬なのでお城は閉まってるし(敷地には入れる)、ツアーもやってないけど、無料のガイドツアーならあると言われましてね。

 

朗らかな若い男性のツアーガイドさんで、ターボル出身なんだって。チェスキー・クルムロフには確か奥さんの実家があるから来たんだったかな。来たばかりの頃はまだチェスキー・クルムロフは今のような一大観光名所ではなく、中心部の建物も買おうと思って買えない値段ではなかったそうです。「あの頃に買っておけば良かったよ、バカだったなあ」と笑っていました。

 

ガイドさんが最初に言った「よく観光客がチェスキー・クルムロフのことを『チェスキー』と呼んでるけど、それチェコ語で「チェコの(ボヘミアの)」って意味だからね。意味不明な略し方になってるよ。あと英語圏の人がよくCKって略してるけど、それ、少なくともチェコ人には通じないからね」っての、なかなか印象的でした。

 

ちなみに、わざわざチェスキーと付けるってことはつまり、他にもクルムロフがあるのです。クルムロフは、川の湾曲した場所を指す言葉らしい。モラヴィアにはモラヴスキー・クルムロフという町がある。ミュシャの「スラヴ叙事詩」が元々展示されていた場所です。所有権は今でもそっちなんじゃないかな。プラハは借りてるだけのはず。

 

左:チェスキー・クルムロフ           右: モラヴスキー・クルムロフ


 

さて、ツアーで最初に説明受けたのはこの、広場の市庁舎。16世紀にゴシック様式で建てられ、2棟の建物が繋がっていたのが、18世紀の終わりにルネッサンス様式で1つの建物に建て替えられたんだって。外壁には紋章が飾られている。

 

13世紀後半に町ができた後、1302年から300年ほどローゼンベルク家が統治したそうですが、この紋章はないようだ。

 

徐々に財政難に陥ったローゼンベルク家は町を借金の抵当に入れ、1601年に町は神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の手に渡り、30年戦争での功績に対する褒章として1622年にエッゲンベルク家に与えられました。(左端の紋章)

 

1719年にエッゲンベルク家が絶えた後はシュヴァルツェンベルク家が相続。(右端の紋章)

 

真ん中にあるのは、上がチェコの紋章、下がチェスキー・クルムロフの紋章。

 

シュヴァルツェンベルク家の紋章って、カラスがトルコ人の生首を突いてるんだよね。オスマン帝国との戦いを表してるんですが、えぐい…。ここに描かれてる紋章じゃなく、ウィキペディアに載ってるやつなんて、目をほじくってるよ。(リンクしときますので興味のある方はどうぞ…

 

余談ですが、この建物の中には拷問博物館もあります。私はよう行かんけどな。

 

そして楽しい話をいろいろと聞きながら向かいましたのは…

 

朝のお散歩で訪れていた、ホルニー通りの写真スポットでした。朝はさほどでもなかったけど、お昼前ともなると人でいっぱいだった。先に行っておいて良かったわ。他人を気にせずああだこうだとアングルを工夫する余裕があったので。(工夫してもどうにもならないんだけど)

 

 

聖ヴィート教会のお隣には、ヨーロッパに現存する最古の音楽学校の一つがある。

 

この建物は元はイエズス会の学校でした。ここでは中世に先生が生徒を杖で殴って折檻し(当時としては珍しくない)、死なせてしまったそうです。そして生徒の母親が先生に呪いをかけ、先生も数か月後に死んでしまったとか。以来、幽霊が出るようになったの。

 

後に除霊を試みたところ、失敗したらしく、かえって大量の霊が集まってしまったそうな。しかし現代においてはオカルトなど信じない人も多い。先生の中には「誰が信じるかそんなもん」と学校内で一晩過ごしてみる人も何人もいる。そして皆「ここには本当に何かいる」と青い顔で報告する羽目になるのだとか……。

 

音楽学校のある道から下っていくツアーの皆さん。こういう段差って好きだわー。

 

 

チェスキー・クルムロフもスグラフィートによる装飾で建物が彩られておりますが、これは装飾というより、まんま「絵」ですな。この家はロンネル邸。別名、ヤーコプの家と呼ばれるらしい。

 

ヤーコプ・クルチンさんは16世紀の建築家。チェコに鯉の養殖用の池を導入したのは彼だそうな。(鯉は名物なのよ) この家は彼の最初の妻の持ち物でした。妻が亡くなった後ヤーコプさんは再婚しますが、2人目の妻は非常に嫉妬深く、また、前妻を非常に嫌っていました。んで、1階に自分(左)と夫(右)を描かせ、2階の左側に前妻を猿として描かせたんだそうです。この伝説が本当だとしたら、そんな醜い心を満天下に示さんでも…としか感想はない。

 

ヤーコプの家の正面(右側ね)。鯉料理を食べるならこのレストランはお薦めだとガイドさんが言ってました。レストランの名前は「ヤーコプ」です。

 

 

きれいだよね、やっぱ…。

 

 

ツアーはお城へと向かいます。

 

黄色の点が宿、青の点がヤーコプの家、赤の点が左から音楽学校、聖ヴィート教会、写真スポットね。北側に川を渡って左上に見えてるのがお城。橋のすぐ上に塔が見えてるとこから一番左の黒っぽい屋根まで、お城よ。めっちゃ大きい。

 

 

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