私だったら命の終わりに

何を乞うだろう。。。







私の感想はそれだった。




「映像が」「吉沢亮が」

と、観に行った方からは

口を揃えて美しさと圧巻の舞台については

賞賛されていたけれど、

確かに映画として、

映像としての評価が絶賛なのも

とてもよくわかる。

 

音も素敵、色合いも渋い。

蜷川実花のビビットな彩度とはまた違っていて

上品な色調。


映画の中での歌舞伎舞台が

可愛くて艶やかで艶やかで美しく

確かに見事だった!!!



前評判と、原作のイメージとで

私は少しの正装をして出掛けた🤭


ほんとは着物を着ていこうかと思ったけど

3時間着席を考えて断念した💧



元々映画をあまり観ない私が、

どうしてこれまで映画を

観てこなかったのかがわかった気がする。


登場人物の背景を再現しきれていないと、

ストーリーがなんのこっちゃわからない😅



今回はそれぞれの背景がわかっているし

突然出てきてもそれが誰だかわかるけど

映画だけで来た人は

理解しきれないと思う💧




ま、何を感じ取るのかは人それぞれ

そう思ったのは、

登場人物全ての気持ちになれて、

その色々な気持ちが

私自身の人生とたくさん重なったから。



登場人物がどの視点から、何を見るのか。

何を感じるのか、

どう乗り越えるのか…


それは、

観ている人それぞれに答えは

違ってくるんじゃないかな。。




『国宝』では、登場人物の気持ちが

良くも悪くも真っ直ぐな人ばかりで

感情曲線や感情のもつれなんかが無くて


感情がもしも景色として見えるなら

碁盤の目の如く

真っ直ぐが美しく交じり合い重なりあい

整っているようで美しい✨



私はほんとに美しいものが大好きだけど

美し過ぎて召されそうだった。




余韻を与えてくれるのが

エンディングの井口理の歌声で


『…あれでよかったんだ。。。』

と、人生を振り返る瞬間だった。




命懸けの艶やかさは

視覚的なエロスなんかとは

比にならず

所作の美しさは関節・指先まで繊細


体ごと連れて行かれて昇天しそうなほど







「気楽に生きようよ!😆」

なんて言うご時世で

私もそんなふうには口に出すけれど


ほんとは色んなことを感じて考えて

体を震わせて日々生きていて


例え正しくないことでも

魂が動けば

命懸けでやっている




辛ければそこから逃げれば良いだけ

だって、逃げることを選んでも

生きてはいける



けど、



そこで生きると決めて

逃げずに

真っ直ぐ体ごとそこに留まること



そのドスの効いた腹の括り方が

美しい女型と言えども

男らしさすら感じて

それがコントラストになって…


なんとも例えがこれしか思い浮かばないけど


漢気のある彼氏が深い優しさまで兼ね備えていて

私の心を離してくれない。みたいな笑笑


待って🫸

自分の例えが若過ぎてちょっと面白っ🤭






生きることって

自分さえ真っ直ぐに保てれば

どこに行っても腐らないし

“輝き続けること” だけ 

“安定” だけが

素晴らしい人生でもないんだ。




なんしか

お見事でした^ - ^




私はエネルギーを取りにいけるから、

自分勝手に気持ちよくなんでも解釈できる。


それが、

私自身の心身の清らかさで

魅力だと再認識した💎










『国宝』飲み会🍻やりたい😋💕





追記)

実は最近2回目の『国宝』鑑賞してね。


これをまた読みにきたんだけど、、、


冒頭の

今際の際で私が何を乞うのか



と言う感想が、

うまく伝わらないかな。って感じて


追記しました。


命の終わりに立った時に

心残りになるものは、

私はこの人生をどう生きできたのか?

ってことなんだと思ってね。



なんも考えずに生きてて、

『あー!アソコの鰻が食べたかったなあ。』

なんて言ってって死ぬとかいう

そんなことでは無くて、



こんなにたくさんの人が居る世の中に

自分が何を残せるか。


もう来ない明日が目の前に来た時に

ここまで私はやったんだ!

最後にこれだけはやりきりたい!!


この思いをその瞬間に自分から出す時に

そこまでの自分の行きた様が

しぼりだされると思うんよね。




才能も価値も技術も溢れかえってる世の中に

諦めてただ埋もれるのか

そうじゃ無いのか。




「自分のこと、なんか特別な存在とでも

思ってない??」


私は旦那のこの言葉がとても嫌い。





大きなことをしなくても良くて

自分から生まれ出るものを

誰に遠慮することもなく

なんなら嫌われてでも

命を賭けて出せたら。


私ごときでは、ただの自己満だと

言いたいんだろうけど、

私がそれで良いのだから

もうキーパーになるのはやめて欲しい。



「稼がなくても生きていける。

ただ、妻・母・嫁

なんかそんな見えない枠に

行儀良く閉じこもって終われたら

御の字やろ?」



そんな贅沢な毎日を

「そんなもんいるか!!」

とも言い切れない私もいるし、

そうやって生きたい女性もたくさん居る。

ラクだから。




劇中の

曽根崎心中になぞらえているのは、

何もアベックで仲良く死ぬことでは無くて


目的達成のために命をかける様(さま)

そのものなんやと思う。



2人で仲良く死ぬんじゃ無い。

一緒になれない現実から

抜け出すことに命をかけること。




ひとりで生きてひとりで死ぬ。



誰の責任にも出来ない自分の終わりに

私は何を最後に振り絞って

最後にこれだけは!!って

まっすぐな気持ちで何を出すだろう。


何を愛して何と死ぬんだろう




思うだけで涙が出る。。
















どこの誰に相談したって

わたしひとりでは解決できない。。



でも、最初の一歩に誰かを使いたく無いから、

せめて真相を聞きに

ひとりで行ってはみたけど


相手方は、揃いも揃って

全く頭が硬すぎて

言葉は聞こえているようだけど、

わたしの心は届かないみたいだ。。



そうなると

話しあいなんかはできない。

攻撃するか、気まずくなって退席するか。。



私は良かれと思って提案しようとしたけど、

しようとしたけど一言も口に出せてない。


「やりたきゃひとりでやれば?」

なんてもしも言われたって無理だから

既存のルールに則って行く。。。😢



🐟


少し場面が変わるけど、

そう言えば今朝

私の故郷のバディから

友達のお父さんが亡くなったと

連絡があった。


その子は、とても頭がよく、

勉強もよくできたけど

私が「こんなのしたい!」って言うと

いつでもバッチリ協力してくれる子で、

悪さをするにもその子の助けは

当時かなり心強かった🤭


でも、お互い大人になり

結婚してからは旦那に気を遣って

旦那経由で私に連絡をくれる

なんとも水臭い関係になってしまってた。。



鼻垂れ同士の同級生で気の知れた相棒でも

大人になるとつまらなくなるもので

「そっけないな。」

「変わってないで。」

って、

その返しがそっけないんだけど💧



ま、俺なりに距離感は気にしてるとのことで

つくづく

結婚の縛りも大人になることも

なんかやっぱり窮屈に感じたりしたのだった。


🐟




さて、、、

どこに 誰に なんて相談して

わたしはなんて言ってほしいのか??



ただ、地域の子どもたちが、

楽しみにしている行事を

みんなで楽しくやりたい!!


本当にそれだけで、

ただ年に一度だけ

それを地元のためによりよくしたい。

願いの軸なんかたったのそれだけ

なんだけどね。。。



歴史があって、

改良を重ねた結果が今の形なんだろうけど、

考えることをやめたのかな??


これも家族と一緒。

同じ土地に住んでるってだけで

力のある人が決めたルールで

囲われるより、


このご時世、もっと自由に

自分のしたいことを出かけて行ってできる

ほんとはそうできる世の中だから

もう、ここでこうして気を揉むこともなく

無になるのが一番丸くおさまるか。。。

なんか早々に諦めた🤦‍♀️




子供の頃の夏って

大切だったけどなぁ。。

子供時代って、貴重なんだけどなぁ。。。


自分の無力さと不自由さに改めてがっかり。

でも、なんだか自分で確かめられて
考えが合わないことがわかって
いや、合う合わない以前の問題で
(何を急に言いに来よん??😩)みたいな。



話ができない人って、
言葉なんかより態度で突っぱねてきて、
(あー、、もう面倒なんだろな。)って
わかりやすい。


それはそれでスッキリしたかも^ - ^✂️



私は私の力が役に立つところで楽しむ💪


 


















小説『国宝』の中の一節。



貧乏には品がある

 しかし

 貧乏人には品がない


言い得て妙。




貧乏は、ただの境遇・環境であって

そこがどんなに苦い日々でも、

モノが満ち足りてなくても

気高さを持てる人には品が滲む。


そして反対に、

貧乏だと思う気持ちに心が飲まれて仕舞えば

貧しい気持ちを持ち、妬み嫉みに染まってしまう。




もう一つひっくり返して、


何をどれだけ持っていても

心が貧しい人は貧乏人とも言えるし、


金銭的に贅沢な暮らしがあっても、

慎ましさや余計なものを削ぎ落とした

清らかな暮らしは豊かだ。




卑屈さや可愛げのなさや

他人を引き摺り下ろそうとする浅ましさ。

こういう癖は身心が汚れるので

自分で気付いてその都度、癒したいものだ。 




心の持ちようや感性が態度になり生き方になり

その人の内から滲み出る品になる。。



こんな風に感じとりました^ - ^






こう気付く丁度前日の私のしくじり



どうにもこうにも理不尽なことがあり

SNSで鱈腹毒を吐いた私。。。



自分に還ること”をしていると、


人生は映画のスクリーンに映ったようなもので

客席から眺めていれば

何にも腹は立たないし、

何か大変なことが起きても滑稽に見えるもの

だと学びましたので


実は、

怒りの感情に溺れていた訳ではないのです。



ただ、その時なぜ私がそう動いたのかについて

振り返ってみました。


私は、スクリーン越しの高みの見物。

ではなく、

やはり、私の人生として

ちゃんと自分で演じたい!!!

という気持ちだったからです。



これも、私自身のその日その時の要求でした。



しくじることはわかっていながら

どうしてもやりたかったのです。



自分のことなら耐えられても、

娘のこととなると

舐められては困る!と言わんばかりに

威勢のいい私が顔を出します🤭




上品で素朴で癒し系の私だけが私ではなくて

それを真裏で支える真っ黒な私を

前までは『ダメな私』として

厳しく目を光らせてきたけど、

今はそれごとを愛しています。



黒い私との再会が久々すぎて

コントロールがまだまだ

不十分ではありましたが、


誰かと比べたり

「普通は…」なんていう外の評価ではなく、

自分の人生を生きる中で美しいと思えたものが

ちゃんと私の要素になっていると思うと

今はこの不完全な自分が可愛いです。



振り返ると、

私が「清々しさに惚れた🤩」

と思えるエピソードは、

表だった美しさだけではなく、

ちゃんと表裏一体のストーリーや

魂のあるものでした。

不器用さも人間味であり、可愛げです。



素直さと可愛げは、

私自身が人を愛する時のこだわりなので、

私自身も大切にしています。



わかってくれる人はとても少ないですが、

だからこそ深く繋がれるようで安心します。




自分の価値観は自分だけのものなので

大切にしつつ、

他人には他人の価値観があることを認める。





心を磨き続けて

でも、失敗を恐れず

素直に出し尽くして

内側から美しくありたいです。




はぁ。。

魂の修行は、まだまだ続くよ!!