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パラレル

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高崎市タワー美術館で開催中の「The 美人画」展へ行って来ました。


日本画には、麗しい女性の姿を描いた「美人画」というジャンルがあります。

古くは風俗画として表された女性像は、江戸時代に浮世絵の主要な題材となって人気を博しました。

本展は、江戸時代の浮世絵から近代以降の日本画まで、女性美の多彩な表現を一望できる展示となっています。

 

展覧会の構成は以下の通りです。

 

第1章 上村松園の珠玉の美人画

第2章 鏑木清方と弟子たちー伊東深水/寺島紫明

第3章 花と美人

第4章 伝説の中の美人

第5章 心惹かれる装い

第6章 浮世絵に見る美人

第7章 さまざまな女性の姿

 

第1章では、京都画壇を代表する上村松園が紹介されており、明治〜昭和初期の日本画壇における美人画の完成形が鑑賞できます。

松園は、「一点の卑近なところもない、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵」が見どころ。

控えめで品がある、感情を露骨に出さない、しかし内面の強さがある、という、当時の理想女性像そのものです。

つまり、「美人画=装飾」ではなく、「精神性の表現」だと実感できる章です。

 

第2章では、京都の松園に対し、東京(江戸)の伝統を継承した鏑木清方と、その弟子である伊東深水の作品が並びます。

松園が「理想美」なら、こちらは「生活感のある美」や「モダンな美」。

当時の風俗や女性の情念、都会的なセンスが感じられます。

 

また、松園とは異なる方向性を持つ画家たちの作品も紹介されています。

例えば、写実性と華やかさを前面に出した寺崎広業や、構成力と安定感の奥村土牛などです。

同じ「美人画」でも、華やかさを重視するか、人物の内面を描くか、絵画としての構成美を取るかで表現が大きく異なることが分かります。

 

そして、現代へと続く、より自由で多様な表現に焦点を当てた展示と続きます。

ここでは、「現代における美人とは何か?」が問いかけられています。

伝統的な「着物美人」だけではなく、内面的な強さや、現代的なファッションを纏った女性たちが登場します。

一方で、しとやかさ、余白、静けさといった、日本的美意識はしっかり受け継がれているのが印象的です。

 

本展では、美人画を体系的に学ぶことができます。

派手な展示より、静かに味わいたい方、「日本的な美とは何か」と考えたい方におすすめします。

 

 

 

 

会期:2026年1月17日(土)〜3月22日(日)

会場:高崎市タワー美術館

   〒370-0841 群馬県高崎市栄町3-23

開館時間:午前10時〜午後6時

     金曜日のみ午前10時〜午後8時

   ※入館はいずれも閉館30分前まで

休館日:月曜日(祝日の場合は開館し、翌日休館)

   ・1月19日・26日、2月2日・9日・12日・16日・24日、3月2日・9日・16日

主催:高崎市タワー美術館

 

 

 

パナソニック汐留美術館で開催中の「美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像」展で、これは、と思う作品、竹久夢二(1931)《榛名山賦(複製)》公益財団法人竹久夢二伊香保記念館蔵 の主観レビューをお届けします。


本作は、夢二晩年の代表的な美人画のひとつです。

画面中央に立つ女性は、夢二特有の細身で優雅な「夢二式美人」。

赤い着物が静かで、どこか夢想的です。

背景には榛名山が描かれており、荒涼とした山肌と枯れ野の描写が、人物の孤独感や抒情性を強調しています。

 

周囲が枯れ色・寒色系であるのに対し、女性だけが圧倒的な色彩を持つことで、画面の中心的存在になっています。

当時、夢二は東京の喧騒や商業主義から距離を取り、「芸術が根付く理想郷」を榛名に求めていました。

これは単なる人物描写ではなく、「この場に芸術をもたらす存在」として描かれていると考えることができます。

 

また、女性が持つ金色の扇子は、舞・祝祭性を象徴し、理想・希望・価値あるものを暗示します。

つまり、「榛名に芸術を広めようとする意思」がここから導けます。

本作は、「芸術(女性)を携えて、榛名に理想郷を築こうとする夢二自身の心象風景」と捉えることができるのではないでしょうか。

 

パナソニック汐留美術館で開催中の「美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像」展でこれは、と思う作品、鶴岡政男(1949)《夜の群像》群馬県立近代美術館蔵 の主観レビューをお届けします。

画面には性別不詳の人間群像が描かれていますが、それらの身体はどこか不安定で、頭部が欠けたり、組み合ったりするような形で表現されています。

 

また、通常、地平線は世界の秩序や視点の安定を象徴しますが、左右で地平線の高さが異なっています。

 

この事から、戦後社会の不安定さ・断裂といった「混沌」を視覚的に強く感じさせます。

 

しかし、右端の人物は姿勢が比較的直立しています。

群像全体が絡まり、うごめくように描いている中で、明確な異質性を持っています。

 

ここから、「混沌の只中にあっても、再生や復興の兆しがかすかに存在する」と読み取ることができます。

ただし、「まだ小さく、不確かで、孤立した芽」として描かれています。

この曖昧さこそが1949年という時代に相応しい表現だと言えます。