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パラレル

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東京都美術館で開催中の「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」へ行って来ました。


フィンセント・ファン・ゴッホは、今や世界中で最も広く知られ、深く愛されている画家のひとりです。

しかし、その名声が確立されたのは彼の死後のことであり、その背景には、彼の芸術と想いを次の世代へと伝えつづけた家族の存在がありました。

 

生前、兄フィンセントの創作を支えた弟テオは、兄の死の半年後にこの世を去ります。

その後、テオの妻ヨーが、義兄の遺した膨大な作品や手紙の管理を引き継ぎ、展覧会への出品や作品の売却、手紙の整理・出版などを通して、フィンセントの芸術が正当に評価されるよう尽力しました。

その志は、息子フィンセント・ウィレムにも引き継がれます。

彼は、コレクションを散逸させないためにフィンセント・ファン・ゴッホ財団を設立し、ファン・ゴッホ美術館の開館を実現させました。

 

本展は、ファン・ゴッホ家により大切に受け継がれてきたファミリー・コレクションに焦点を当てています。

 

展覧会の構成は以下の通りです。

 

第1章 ファン・ゴッホ家のコレクションからファン・ゴッホ美術館へ

第2章 フィンセントとテオ、ファン・ゴッホ兄弟のコレクション

第3章 フィンセント・ファン・ゴッホの絵画と素描

第4章 ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルが売却した絵画

第5章 コレクションの充実 作品収集

イマーシブ・コーナー

 

フィンセントとテオは、早い時期から美術品、特に版画の収集を始めました。

彼らはともに美術商であるグーピル商会で働いており、美術に触れる機会に恵まれた環境にありました。

フィンセントとテオは、お互いに作品を購入し、時には贈り合いました。

 

1887年、フィンセント・ファン・ゴッホは真の現代的な芸術家として認められ始めていました。

それは、芸術家仲間の存在や、ゴーガンやジョン・ラッセル、エミール・ベルナールといった画家が、自らの絵画と彼の絵画を交換したことからも明らかです。

 

また、浮世絵版画の発見は、ファン・ゴッホの芸術に計り知れない影響を与えました。

大胆な画面の切り取りや広く鮮やかな色面など、従来なかった構図を生み出しただけでなく、ファン・ゴッホ自身の自然や人間に対する見方にも影響を及ぼしたのです。

 

ファン・ゴッホが画家になることを決意したのは比較的遅く、27歳の時でした。

それから10年後に死去するまでの短い画業において、まず彼は主にハーグで3年ほど素描の技術を磨き、その後ブラバント州にある農村ニューネンで2年間、やや時代遅れの画風であったが油彩画の修行を重ねました。

1886年初めにパリに移り住むと、最初は疑いながらもオランダでのやり方を捨てる必要があると確信し、筆づかいや色彩に新しく現代的な様式を取り入れていきます。

1888年に南仏へ向かい、アルルでほぼ1年3ヶ月、サン=レミの療養院で1年を過ごし、この時期に極めて革新的な画家となりました。

同地で数々の傑作を残したにも関わらず、ファン・ゴッホは深い憂鬱に襲われ、将来にあまり希望を持てず、その年の夏に自ら命を絶ちました。

 

ヨーと息子フィンセント・ウィレムは膨大な数のファン・ゴッホの油彩画や素描を相続しました。

ヨーにはこれらの作品を定期的に売却して安定した収入を得る必要もありましたが、彼女にとって商業的な利益は第一の関心事ではありませんでした。

ファン・ゴッホ作品に対する深い理解と、彼が近代美術の中心的人物であるという確信を持つようになったヨーは、彼をその文脈で紹介したいと強く望むようになっていました。

 

そんなヨーの動きを明らかにするのが、テオとヨーの会計簿です。

ヨーが定期的に美術品の売却を始めたことで、どの作品がいつ誰に売却されたかを示す重要な資料となりました。

会場には、実際に売却された作品も紹介されています。

 

1973年にファン・ゴッホ美術館が開館した際、その主な目的はフィンセント・ファン・ゴッホのコレクションを展示することでした。

しかし、1980年代後半から90年代前半にかけて、新規収蔵品が重要な役割を果たすようになります。

寄付や寄贈の恩恵を受けることも多くなり、稀なことですが、ファン・ゴッホの絵画の寄贈もありました。

 

開館から50年以上を経た今も、世界最高のフィンセント・ファン・ゴッホのコレクションと、ファン・ゴッホ家に受け継がれた他の画家たちのコレクションを持つファン・ゴッホ美術館は、訪れるべき第一級の美術館です。

さらに、フィンセント・ファン・ゴッホ財団の多大な支援を受けた積極的な収集方針と、他の寛大な資金提供者により、今ではファン・ゴッホ美術館は、19世紀後半から20世紀初頭の西ヨーロッパ美術をつくり上げた著しく革新的な芸術家たちの舞台であることも正当に評価されています。

 

ファン・ゴッホが生涯をかけて追い求めた芸術に改めて親しむとともに、その芸術を支え、後世へと伝えてきた家族の物語に想いを馳せてみませんか。

 

 

 

 

会期:2025年9月12日(金)〜12月21日(日)

会場:東京都美術館

   〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36

開室時間:9:30〜17:30、金曜日は20:00まで

   (入室は閉室の30分前まで)

休室日:月曜日、9月16日(火)、10月14日(火)、11月4日(火)、11月25日(火)

   ※9月15日(月・祝)、9月22日(月)、10月13日(月・祝)、11月3日(月・祝)、11月24日(月・休)は開室

主催:東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、NHK、NHKプロモーション、東京新聞

協賛:NISSHA

後援:オランダ王国大使館

協力:KLMオランダ航空

お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)

 

 

 

岩波新書から刊行された『魔女狩り』を読んでみました。

 

「のろく燃える(生まれ木の)火で焼いても、魔女に対する罰としては十分ではない。地獄で待っている永遠の劫火を思えば、この世の火は、魔女が死ぬまでの、半時間以上は続かないのだから。・・・魔女を火刑にしない裁判官は、裁判官自身が焼かれるべきである。・・・魔女は、子供といえども赦してはならぬ。ただし、その幼い年齢を斟酌して、絞殺した上で焼いてもよかろう。・・・正規の裁判手続きに拘泥してはならぬ。それを厳格に守っていては、十万に一人の魔女も罰することはできない。・・・」(当時のフランス一流の進歩的な社会思想家、政治家、経済学者、パリ高等法院の一員、ジャン・ボダンの『悪魔崇拝』1580年、より)

 

1600年を中心の一世紀間はまさしく「魔女扇風」の期間でした。

しかもこれを煽り立てたのが、法皇・国王・貴族および大学者・文化人だったのです。

この期間をピークとする魔女扇風は13世紀ごろのフランスから吹き始め、やがて全キリスト教国、つまり西ヨーロッパ全土を荒らしまわり、17世紀末にその余波を新大陸アメリカに延ばした後、急速におさまりました。

 

当時のヨーロッパ社会を覆っていた深刻な不安ー戦争、飢饉、そしてペストの流行といった死の恐怖ー。

人々が理不尽な災厄の連続に苦しむ中で、その原因を説明し、憎悪をぶつけるための「スケープゴート」が「魔女」だったのです。

 

目次

プロローグー魔女旋風

Ⅰ 平穏だった「古い魔女」の時代

Ⅱ 険悪な「新しい魔女」の時代

Ⅲ 魔女裁判

Ⅳ 裁判のあとで

エピローグ

 

本書では、悪魔と契約し、魔女集会で乱痴気騒ぎを繰り広げるといった「魔女像」が、神学論争や民衆の迷信、そして為政者の思惑の中でいかにして「現実」として構築されていったのかを丹念に追っています。

そこには、狂信と政治が結びついた時に現出する世にも恐ろしい光景が広がっています。

理性が麻痺し、集団が暴走するとはどういうことか、そしてその中で個人としていかに思考し、行動すべきかを問いかけています。

 

 

 

 

筆者プロフィール

1903-87年

専攻ー科学思想史

著書ー『科学精神の歩み』

   『ガリレオの生涯』他

訳書ーサートン『科学史と新ヒューマニズム』

   サートン『科学の生命』

   ホワイト『科学と宗教の闘争』

   ビュアリ『思想の自由の歴史』(以上岩波新書)他

 

東京国立博物館で開催中の「動物の仮面」展へ行って来ました。

 

飛鳥時代、大陸から日本に仏教芸能である伎楽が伝わりました。

それ以来日本では、宮廷の仮面劇として発展した舞楽が室町時代に大成した能、狂言といった、仮面を用いる多様な芸能が栄えてきました。

基本的に仮面は人を表しますが、人のほかにも神や鬼など多種多様な仮面が使われ、その造形も様々です。

なかでもひときわ目を引くのが、動物の仮面です。

 

本展は、芸能の垣根を超えて、動物をテーマとした仮面を鑑賞するものです。

 

奈良時代に成立した雅楽のうち、舞踊をともなう舞楽で用いるのが舞楽面です。

一方、行道面は菩薩や御法神を表します。

面を着け、読経しながら寺院を練り歩く行道で用いました。


《舞楽面 陵王》(鎌倉時代 1211) 愛知・真清田神社


《行道面 五部浄居天》(鎌倉時代 14世紀) 和歌山・丹生都比売神社伝来

 

能は、大陸の芸能に由来する猿楽を源流とし、室町時代に大成された仮面芸能です。

基本的には人の姿に基づきますが、龍神や鬼、土蜘蛛といった人の姿をとらない役の場合には、両目を見開き、牙を剥き出しにした激しい表情の仮面が使われます。


《能面 顰》(室町時代 15〜16世紀) 金春家伝来

 

狂言は、能と同じく猿楽に起源を持つ芸能ですが、能とは異なり滑稽さやおかしさを描く喜劇が多く、精霊や動物を演じる際には仮面を用います。

特に猿や狐はそれぞれ写実的に表され、日本における動物彫刻の一例としても貴重です。


《狂言面 狐》(江戸時代 17〜18世紀) 個人蔵


《狂言面 猿》(江戸時代 18〜19世紀) 東京国立博物館

 

古来より、人々は儀式や芸能の中で、動物の力や神秘性を自らの身に宿すため、また物語を表現するために仮面を用いてきました。

そうした人々と動物の多様な関わり方を、仮面という造形物を通して感じてみませんか。

 

 

 

 

会期:2025年8月26日(火)〜11月9日(日)

会場:東京国立博物館 本館14室

   〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9