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パラレル

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WHAT MUSEUMで開催中の「きみはうつくしい」展でこれは、と思う作品、《美しいだけの国 ver.2》の主観レビューをお届けします。

本作は一見すると緻密で写実的な描写ですが、ただ単に美しさを追求しているわけではありません。

女性の上に桜を思わせる花びらを舞わせており、確かに美しいのですが、それでいいのでしょうか。

容れ物でしかない肉体や、すぐに朽ちてしまう花びら。

つまり、ヴァニタスを想起させます。

 

諏訪は、見えるものと見えないもの、存在と意味の領域を同時に描き出すことを意図しています。

本当に大切なものは魂なのではないか。

それは、「どんなに写実しても本質には触れられない」という認識に繋がっているのです。

そう、「どうせなにもみえない」のです。

諏訪敦(2015-2016)《美しいだけの国 ver.2》

 

WHAT MUSEUMで開催中の「諏訪敦 きみはうつくしい」展へ行って来ました。

現代日本の絵画におけるリアリズムを牽引する画家、諏訪敦。

徹底した取材に裏付けられ、近年では戦争で亡くなった人々や、神話や古典文学の登場人物など、不可視な存在を描くリサーチプロジェクト型の絵画制作が高く評価されています。

 

3何ぶりの大規模個展となる本展は、最新の大型絵画《汀にて》に至るまでの画家・諏訪敦のクロニクルを、過去の作品群とともに物語っています。

 

展覧会の構成は以下の通りです。

 

第1章 どうせなにもみえない

第2章 喪失を描く

第3章 横たえる

第4章 語り出さないのか

第5章 汀にて

 

第1章では、諏訪の初期作品が並びます。

花や豆腐、人間の肉体など、脆い、あるいは、死を感じさせるモチーフが紹介されています。

「どうせなにもみえない」という、画家の呟きは、“どんなに表面をなぞっても本質には触れられない“という〈写実〉の虚構性を自ら暴露しつつ、それでもなお見えない内面を描こうとする諏訪のパラドクシカルな制作姿勢を表しています。

諏訪敦(2012)《どうせなにもみえない Ver.4.5》

諏訪敦(2005)《どうせなにもみえない Ver.1》

 

第3章に並ぶ作品は、全て諏訪自身の家族を描いたものです。

母親を描いた作品では、人物画と静物画の狭間で揺らぎを感じつつも、諏訪にとって描く対象は、単なる外見ではなく、存在の在り処を問う手掛かりなのです。

諏訪敦(2024)《mother/16 DEC 2024》

 

第4章では、近年の静物画・素材を扱った作品群と、その背後にある問いが提示されています。

殺害された神の遺体から食用植物の種などが生じたとする〈植物穀物起源神話〉に関連するモチーフ、頭蓋骨や草花の他、頭部、蚕などがワゴンに並べられ、周囲の壁面にそれを描いた絵画が並びます。

諏訪は野生の記憶を絵に組み込むことによって、〈静物=死んだもの〉を生へと転じさせる道筋を探っているのです。

展示風景より

諏訪敦(2024-2025)《土師器に小石丸が盛って在る》

 

本展の中心となる第5章で、新作《汀にて》が据えられています。

コロナ禍で「人間を描こうという気持ちを失ってしまった」諏訪。

アトリエで素材を組み合われた「人型」を描いた本作は、人物画の喪失と回復のプロセスを象徴しています。

諏訪敦(2025)《汀にて》

展示風景より

 

諏訪作品は、表面的な美しさではなく、存在そのものの質感を徹底的に見つめ、表現しています。

それは、時に残酷にも見えますが、その奥にある「人間への深い興味」こそが諏訪作品の真骨頂です。

見ること、描くこと、存在を問い直してみませんか。

 

 

 

 

会期:2025年9月11日(木)〜2026年3月1日(日)

会場:WHAT MUSEUM 1F、2F

       〒140-0002 東京都品川区東品川2-6-10 寺田倉庫G号

開館時間:11時〜18時(最終入館17時)

休館日:月曜日(祝日の場合、翌日火曜休館)

        年末年始(12月29日(月)〜1月3日(土))

主催:WHAT MUSEUM

企画:WHAT MUSEUM、宮本式典(東京藝術大学准教授)

特別協力:藤野可織

協力:成山画廊

後援:品川区、品川区教育委員会

 

 

 

高崎市タワー美術館で開催中の「日本画オノマトペ」展でこれは、と思う作品、奥田玄宗(1996年)《月山秋燿》高崎市タワー美術館 の主観レビューをお届けします。


出羽三山の主峰、月山に取材した作品。

山越に昇る月、朱に輝く紅葉と月光を映す湖を描いています。

秋の澄んだ空気や光に照らされた山の稜線、紅葉の色づき、天空との調和が広がることで、観る人が秋の自然の美しさを身体で感じられるような構成になっています。

 

水面の月は明るく輝き、まるでスポットライトを浴びているかのよう。

周りは朱で囲まれており、神々しい雰囲気を醸し出しています。

深まる秋を描いた作品ですが、異世界へ迷い込んだかのような錯覚を覚えます。

また、水平線が目立ち、静かな印象を受けます。

 

これは、単なる写実ではなく、写生を通して得た実景を昇華させ、内面的な感情や精神性を色と形で表現しているのではないでしょうか。

自らが自然と対話し、感得した理想の山水を描いているように思えます。