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パラレル

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松岡美術館で開催中の「わたしを呼ぶ《アート》古代エジプトからシャガールまで」展でこれは、と思う作品、《枯枝棲「欠落の記憶」》の主観レビューをお届けします。

画面中央には、背を向けて走る少年。

周囲には赤く燃えるような草地、枝だけになった木々、奥には暗く沈んだ空間が広がっています。

 

「枯枝棲」とは、直訳すれば「枯れた枝に棲むこと」。

生命力を失った場所、あるいは生命の痕跡だけが残る場所を示唆します。

タイトルにある、「欠落の記憶」とは、思い出そうとしても思い出せない、失われたはずなのに、感情だけ残っている状態です。

つまり本作は、思い出せない記憶に支配されている感覚を視覚化していると読めます。

 

そして、少年のいる場所は赤いですが、鮮やか過ぎ、記憶が風化しかけているように思えます。

つまり、「生々しいが、すでに過去化している記憶」のように解釈でき、少年のいる場所は「生きている場所」ではあるが、すでに風化のプロセスに入っていると思われます。

 

しかし、逃げる先は白黒で、完全に風化しています。

そこは、記憶の”終着点”であり、忘却の向こう側、死、または無感覚の世界と読めます。

 

今いる場所は苦しく、痛みを伴うが、まだ感情や記憶は残っている。

進んだ先では、痛みは消えるかもしれないが、同時に「自分」も消える。

つまり、この少年は、苦しみを抱えて生きるか、何も感じずに消えるか、という二択の狭間にいます。

どちらも「救い」として描かれていないのです。

 

つまり本作は、「記憶が風化していく現在」と、「完全に失われた未来」の間で、どちらにも希望を見出せない人間の精神風景を描いている、と言えるのではないでしょうか。

飯田順雅(1975)《枯枝棲「欠落の記憶」》

 

 

松岡美術館で開催中の「わたしを呼ぶ《アート》 古代エジプトの棺からシャガールまで」展へ行って来ました。

1975年に開館した松岡美術館。

初代館長 松岡清次郎は半生をかけて約2400点余りの美術品を蒐集しました。

 

本展は、「優れた美術品は、見る者を呼び寄せる」という彼の信念通り、時代も地域も飛び越えた名品が並んでいます。

 

展示の冒頭を飾るのは、古代エジプトの木棺や彫像です。

ここでは、「美術」というよりも、「死後の世界への信仰」や「魂の永遠」が主題となっています。

そう、美とは“鑑賞するもの“ではなく、“祈りそのもの“だったのです。

《セメクト神像》(新王国時代 紀元前1550-紀元前1295頃) 松岡美術館

《エネヘイ像》(新王国時代 紀元前13世紀頃) 松岡美術館

 

続く展示室では、中国や東アジアの陶磁器が紹介されています。

壺や器は実用品でありながら、洗練された造形美を持ち、「日常の中にある美」という、東洋的価値が強く感じられます。

《三彩 騎馬人物》(中国・唐時代 7-8世紀) 松岡美術館

《粉彩 八桃文 盤》(中国・清時代 1723-1735) 松岡美術館

 

次は、近代絵画が展示されています。

ここでは、美術が「宗教や権力のため」ではなく、「個人の感情や記憶を表すもの」へと変化していく様子がよく分かります。

チャールズ・エドワード・ペルジーニ(制作年不詳)《束の間の喜び》松岡美術館

 

本展が問いかけてくるのは、なぜ私たちはある作品に心を奪われるのか、なぜ時代を超えた美に「呼ばれる」のか、という問いです。

自分の心がどう動くかを確かめてみませんか。

 

 

 

 

会期:2025年10月28日(火)〜2026年2月8日(日)

会場:松岡美術館

       〒108-0071 東京都港区白金台5-12-6

開館時間:10時〜17時(入館は16時30分まで)

休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)

 

 

 

高崎市タワー美術館で開催中の「The 美人画」展でこれは、と思う作品、寺崎広業(1904)《美人観花》株式会社ヤマタネ の主観レビューをお届けします。


本作は、満開の枝垂れ桜の下で花を愛でる女性を描いた典型的な「美人観花図」です。

着物の文様や帯の描写は細密で、装飾性の高さと気品のある色彩感覚が際立っています。

 

女性の着ている着物の赤は、本作の視覚的中心であり、生命力、情熱、自我の強さ、存在感を象徴しています。

周囲の背景が淡く抑えられているため、女性の存在感が際立ち、「見る者の視線を一身に集める主体」として描かれています。

これは単なる装いの美しさではなく、「自立した存在としての女性」を強調する効果を持っています。

それは、女性が真っ直ぐ前を見ているという点からも感じられます。

 

また、女性は真っ直ぐ立ち、持っている傘も垂直に伸びています。

それに対し、背景の枝垂れ桜は曲線が多様されており、自然の柔らかさ、揺らぎ・移ろいを感じます。

この対比構造によって、移ろう自然と揺るがぬ女性という構図が生まれています。

つまり、自然の中にありながら、流されない存在として女性が描かれています。