三菱一号館美術館で開催中の「トワイライト、新版画ー小林清親から川瀬巴水まで」展でこれは、と思う作品、《武蔵百景之内 両国花火》の主観レビューをお届けします。
画面手前には、浴衣姿の女性が背を向けて座る姿が大きく描かれています。
顔を見せないことで、観る側が「その女性の視点」に入り込み、花火を″体験する″感覚が生まれる、という没入的な効果を生んでいます。
普通の浮世絵では、花火が画面中心に来ますが、本作では、遠景に小さく描かれ、川面の反射や空気感が強調されています。
水面は水平線が目立ち、静けさの中の微妙な変化が見られます。
これは単なる描写以上に、心理的な静けさ・余韻・感情の広がりを感じさせます。
ここから、女性の顔は見えませんが、穏やかな女性であると連想されます。
画面の赤は、視線を引き締めるアクセントとして機能しています。
特に清親は色数を抑える傾向があるので、少量の赤が画面全体の緊張感をコントロールしていると言えます。
さらに、花火を一瞬の外界の出来事、水面を持続する内面の時間と捉えれば、瞬間と持続の対比であるとも言えます。
小林清親(1884)《武蔵百景之内 両国花火》スミソニアン国立アジア美術館





