内藤コレクション 写本ーいとも優雅なる中世の小宇宙 | パラレル

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国立西洋美術館で開催中の「内藤コレクション 写本ーいとも優雅なる中世の小宇宙」展へ行って来ました。

印刷技術のなかった中世ヨーロッパにおいて、写本は人々の信仰を支え、知の伝達を担う主要な媒体でした。

羊や子牛などの動物の皮を薄く加工して作った紙に人の手でテキストを筆写し、膨大な時間と労力をかけて制作される写本は、ときに非常な贅沢品となりました。

またなかには、華やかな彩飾が施され、一級の美術作品へと昇華を遂げている例もしばしば見られます。

 

本展は、寄贈を受けた内藤コレクションを中心に、聖書や詩編集、祈祷書、聖歌集など中世に広く普及した写本の役割や装飾の特徴を見ていくものです。

 

展覧会の構成は以下の通りです。

 

Ⅰ 聖書

Ⅱ 詩編集

Ⅲ 聖務日課のための写本

Ⅳ ミサのための写本

Ⅴ 聖職者たちが用いたその他の写本

Ⅵ 時祷書

Ⅶ 暦

Ⅷ 教会法令集・宣誓の書

Ⅸ 世俗写本

 

まずは聖書から始まります。

聖書は中世ヨーロッパにおける最も重要なテキストであり、多数の写本が制作されました。

聖書写本の一般的なレイアウトでは、左右2カラム(蘭)にテキストが筆写されます。

聖書を構成する各書の冒頭には装飾イニシャルが置かれ、各ページの上部には、書名が一文字ごとに赤と青のインクを交互に用いて記されます。

 

次の2点は、1230年頃にイングランドで制作された小型聖書に由来します。

最初は、創世記の一部です。

イニシャルIの内側に、上から「天使、太陽と月、鳥や動物たちを創造する神」、「アダムとエヴァを創造する神」、「アダムとエヴァに訓戒する神」、「誘惑」、「楽園追放」、「糸を紡ぐエヴァと耕すアダム」、「アベルを殺害するカイン」という7つの円形場面が配置されています。

 

一方、「詩編」第80編のイニシャルEを含む次の作品には、トランペットを吹く人物という珍しいモティーフが描かれています。

装飾の様式として、最初の作品のイニシャルには、金の縁上で輝きを表現する点の連なりがあり、またどちらにも、広範囲な緑色の使用や、人物の顔に施された厚い隈取りが認められます。

これらは、イングランドで制作された写本に共通する特徴です。

《聖書零葉》(イングランド 1225-35年頃)

《聖書零葉》(イングランド 1225-35年頃)

 

次の2点は、『キリスト系図史要覧』の写本に由来します。

この著書は、長大な聖書の物語を、登場人物の挿絵や名前を囲む円をつないだ系図を軸に、その理解を助けるテキストと概念図(ダイアグラム)を織り交ぜて語っています。

同書は12世紀末以降、フランスやイングランドの大学教育の場面で人気を博す教材となりました。

大量に制作された写本の中には巻物形式を持つものもあり、2点の親写本もその一例です。

最初の作品左側には玉座に座し向き合うアーロンとモーセの円形挿絵が描かれ、右側にはイスラエルの部族の宿営地一覧の概念図が置かれています。

2番目の作品左側にはエルサレム概念図が配され、右側には王笏を手に玉座に座すアレクサンドロス大王の円形挿絵が描かれています。

 

神の栄光を讃える150編の詩からなり、旧約聖書の一書を構成する「詩編」は、修道院や教会の礼拝から一般信徒の私的な祈りまで、古来キリスト教徒の祈りの重要な要素をなしてきました。

この「詩編」のテキストに、聖歌や祈祷文、キリストの生涯の記念日や聖人の祝日を記した暦などをあわせて収録した祈祷書が詩編集です。

13世紀から14世紀中頃にかけて、イングランドやフランス、南ネーデルラントなどを中心に一般信徒が私的な礼拝に用いる祈祷書として人気を博しました。


ポワティエのペトルス《『キリスト系図史要覧』》断簡(南イングランド 1270-80年頃)


ポワティエのペトルス《『キリスト系図史要覧』》断簡(南イングランド 1270-80年頃)

 

詩編集の写本における装飾の主要な要素は、「詩編」に含まれる詩の各節冒頭に置かれた節イニシャルです。

節イニシャルは2つのタイプが反復されることが多く、それぞれの詩の始まりは、文字内部に物語場面や人物像などを伴う、より豪華な物語イニシャルによって示されることもあります。

 

《詩編集零葉》は、「詩編」を構成する各々の詩の間に、聖母の賛歌が一連ずつ赤インクで記されています。

その周囲を囲む枠の中には、青い翼を持つ鳥男やウサギを追う猟犬が描かれます。

これらは、ゴジック期の写本装飾の定番モティーフです。

黒インクで記された「詩編」テキストは、イニシャルや行末の空間を埋める幾何学模様で装飾されます。

聖母の讃歌に続く行の先頭には、ひときわ目を引くイニシャルが置かれています。

このイニシャルは「詩編」第87編の始まりを示すもので、内部には獣の頭部を持つ蛇が描かれます。

《詩編集零葉》(フランス北部(?) 1270年代-80年代)

 

聖務日課は決まった時刻に行われる一日8回の礼拝で、ミサとともに修道院や教会の典礼(公的な礼拝)の基本をなすものです。

その一般的なサイクルは、夜半過ぎの朝課に始まり、これに賛課が続きます。

午前6時か7時頃に一時課が、そのあと約3時間おきに三時課、六時課、九時課、晩課が行われ、就寝前の終課で締めくくられます。

礼拝は「詩編」朗唱を中心に、福音書等の朗読、聖歌などから構成されましたが、その内容は時刻や曜日、祝日、さらに教会暦(キリストの生涯を一年の周期にあてはめて編成した暦)にも基づいて複雑に変化しました。

その全テキストをまとめて収録した書物が聖務日課書です。

礼拝の進行を担当する司祭によって使用されるのが基本ですが、次第に一般信徒たちの間にも普及していきました。

 

聖務日課においては、朗読集や聖務日課聖歌集、典礼用詩編集も使用されました。

朗読集は聖務日課で朗読されるテキストを、聖務日課聖歌集は、文字通り聖務日課の中で歌われる聖歌をまとめた書物です。

また典礼用詩編集は、聖務日課の中で使用されるために編纂された詩編集であり、聖務日課聖歌集や典礼用詩編集は、集団で参照するために大きな判型を持ち、大型イニシャルなど華やかな装飾を伴うものも多く見られます。

 

《聖務日課書(もしくは典礼用詩編集)零葉》は、聖務日課書ないし典礼用詩編集由来の一葉です。

左下の物語イニシャルLは、火曜の晩課で歌われる「詩編」第121編の始まりを示すものです。

内部には「詩編」の伝承上の作者ダヴィデが熱心に祈りを捧げる姿を描いています。

本紙葉の彩飾者は、15世紀のロンバルディア地方で活躍したベルベッロ・ダ・パヴィアないしその周辺の画家と推定されます。

ベルベッロはフェラーラの宮廷周辺でも活動した画家であり、本紙葉ページ三方を縁取る植物の絡みついた棒状の装飾には、そこで流行した写本装飾から着想を得た可能性が指摘されています。

ベルベッロ・ダ・パヴィアないしその周辺(?)(彩飾)《聖務日課書(もしくは典礼用詩編集)零葉》(イタリア、フェラーラ(?) 1435-40年頃)

 

《聖務日課聖歌集零葉》は、復活祭の聖務日課で歌われる聖歌を記した紙葉です。

「キリスト復活」が描かれたイニシャルAに「Angelus domini descendit(天より降りし主の天使)」というテキストが続きます。

キリストは十字杖を一方の手に持ち、もう一方の手を上げて祝福の仕草を見せながら、棺から足を踏み出しています。

ページ下部の余白では、墓の上に座る天使が埋葬布を持ち上げ、頭光をいただき香油壷を持つ3人の女性たちと向き合っています。

全体にわたって、ブドウの蔓や白ウサギなど、細かな装飾が施されています。

こうした様式や、彩色による陰影表現への関心の現れから、制作時期は14世紀前半と推定できます。

《聖務日課聖歌集零葉》(南ネーデルラント、トゥルネー 1330-40年頃)

 

聖職者や修道士の聖務日課に倣い、一般信徒たちも日々8回、毎日定められた時間に私的な礼拝を行っていました。

時祷書はこの礼拝で用いられた書物で、内容的には、聖務日課書を一般信徒向けに簡略化したものとなっています。

 

13世紀半ば頃に登場し、フランスを中心に普及し始めた祈祷書は、15世紀までにフランス、そしてネーデルラントを中心に爆発的な人気を博すようになりました。

中世において最も多くの写本が制作されたのは時祷書であり、ゆえに「中世のベストセラー」とも称されています。

 

《時祷書零葉》は、聖母の時祷・朝課の冒頭ページです。

挿絵の主題は「受胎告知」です。

上空から神が見守る中、読書中のマリアのもとに大天使ガブリエルが訪れ、神の子を身籠ったことを告げ祝福しています。

舞い降りる白い鳩は聖霊を、百合の花はマリアの純潔を表します。

挿絵の作者である「リュソンの画家」は、15世紀初頭のパリを代表する写本画家でした。

その作風は、優美でしなやかな人物像や繊細な色使い、可憐な仕上げなどを特徴とします。

リュソンの画家(彩飾)《時祷書零葉》(フランス、パリ 1405-10年頃)

 

《時祷書零葉》は、15世紀後半フランスの代表的な写本画家のひとり、ジャン・コロンブの工房で制作されたと推定される作品です。

生まれたばかりのキリストを聖母マリアとヨセフが礼拝しています。

かたわらの牡牛とロバは幼子を優しく見守るかのようです。

朽ちかけたうまやは奥行きが強調され、窓の外にはにじむような風景が広がっています。

天使たちがトロンプ・ルイユ(だまし絵)風の巻紙を支えており、そこに聖母の聖務日課・一時課の冒頭の言葉が記されています。

ジャン・コロンブ(彩飾)《時祷書零葉》(フランス、ブールジュ 1485年頃)

 

本展は、内藤コレクションを中心に、国内の大学図書館の所蔵品も若干加えた約150点より構成され、聖書や詩編集、時祷書、聖歌集など中世から近世初頭にかけて普及した写本の役割や装飾の特徴などをジャンルごとに見ていくものです。

書物の機能と結びつき、文字と絵が一体となった彩飾芸術の美、「中世の小宇宙」を堪能してみませんか。

 

 

 

 

 

会期:2024年6月11日(火)-8月25日(日)

会場:国立西洋美術館

   〒110-0007 東京都台東区上野公園7-7

開館時間:9:30-17:30(金・土曜日は20:00まで)

   ※入館は閉館の30分前まで

休館日:月曜日、7月16日(火)(ただし、7月15日(月・祝)、8月12日(月・祝)、8月13日(火)は開館)

主催:国立西洋美術館、朝日新聞社

協力:西洋美術振興財団