視覚の冒険者たち 越境する絵画ーその瞬間を見逃すなー | パラレル

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高崎市美術館で開催中の「視覚の冒険者たち 越境する絵画ーその瞬間を見逃すなー」展へ行って来ました。


美術作品のなかには、視覚の冒険的な試みによって様々な「境界」を越え、鑑賞者に心身の揺らぎを感じさせるものがあります。

20世紀初頭のキュビスムは、色々な視点から見た対象物をひとつの画面に結実させ、固定視点を前提とする伝統的絵画を解体してしまいます。

フロッタージュやデカルコマニーなどを駆使するシュルレアリスムは、人間の意識と無意識の境界を軽やかに越えてみせました。

 

本展では、キュビスム、シュルレアリスム、オプ・アートといった欧米の実験的制作をはじめ、日本の「寄せ絵」や現代のコンセプチュアル・アートにいたるまで、視覚の冒険をとおして感覚と思考の試行錯誤を繰り返してきた多様な表現を紹介しています。

 

展覧会の構成は以下の通りです。

 

第1章 視覚をめぐる多彩な試みー高崎を拠点として

第2章 20世紀から現在までー欧米の冒険者たち

第3章 江戸時代から現在までー日本の冒険者たち

特集展示 吉野もも「越境する絵画」

 

会場入ると、高崎にゆかりのある作家の作品が紹介されています。

泉澤守《木犀が咲き出すと・・・1》(2023年 作家蔵)は、2006年から発表を始めたデカルコマニーシリーズの1つです。

版画から始まる泉澤の制作活動は、油彩画、ステンドグラス、石へのペインティングなど多岐にわたって展開してきました。

デカルコマニーは20世紀初頭にフランスのシュルレアリスムの作画法として生まれたもので、ガラスの上に水彩絵具を点々と置き、その上に紙を押し付けて顔料を写し取るのが泉澤の手法です。

色の配置などは決められても作家の故意では操作できない「偶然が生む絵画」という側面に魅力を覚えると泉澤は言います。

 

2階に上がると、欧米の作家による作品が展示されています。

まずは、マックス・エルンスト『博物誌』第1図《海と雨》(1926年 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館)です。

『博物誌』は木の葉や麻布によるフロッタージュを複製した版画による34点の版画集で、海に注ぐ雨といった自然現象から始まり、最後に「イヴ」と呼ばれる女性が現れます。

そこには天地創造から人間最初の女性にいたる壮大な物語が示唆されています。

エルンストは、フロッタージュという人間の作為に操作されない手法によって浮かび上がる幻想的なイメージに生命創造の瞬間を見出したのかもしれません。

 

そして、ジョアン・ミロ《縄跳びをする少女と女と鳥》(1947年 高崎市美術館)です。

ミロのモチーフは、彼にしか描くことのできない純化された形や奔放に舞う線に溢れています。

自我の奥底から湧き上がってくる造形言語だけに耳を傾けながら、宇宙的な広がりをも感じさせる表現を生み出しています。

その原点には、20代の頃に強い影響を受けたダダイズムやシュルレアリスムのオートマティスムやオニリスム(夢幻的制作)といった方法論があると思われます。

 

キュビスムといったら、パブロ・ピカソです。

パブロ・ピカソ《首飾りをつけたジャクリーヌの肖像》(1959年 高崎市美術館)は、ピカソの2番目の妻、ジャクリーヌ・ロックをモデルに描かれました。

首飾りを見ると正面を向いた胸像ですが、顔の左半分は横顔として描かれ、多視点からのイメージを結びつけるキュビスムの手法が用いられています。

最晩年まで制作上の探求をやめなかったピカソですが、70代後半のこの時期には、リノリウム素材を版とするリノカットの技法で「彫り進み」(彫る段階に応じて刷る色を変え、単体の版で多色刷りを行うこと)の研究にいそしんでいました。

 

続いての展示室では、日本の作家による作品が紹介されています。

目に入ってくるのは、靉嘔《レインボーキス》(1968年 高崎市美術館)です。

大学在学中にデモクラート美術家協会に参加した靉嘔は、1958年に渡米し、前衛集団フルクサスで身体感覚を重視する表現活動を経て、1962年から虹のスペクトルを帯状に可視化する作品を描き始めました。

「具象的」ではなく「具体的」なものとして「色」をつかもうとする虹の作品は、やがて靉嘔の代名詞となります。

1966年のヴェネツィア・ビエンナーレで発表した《レインボールーム》では、虹色に埋め尽くされた壁や椅子、食器などが世界各国のメディアで紹介され、大きな話題を呼びました。

 

近くには、佐藤正明《穴のシリーズから Subway No.24》(1978年 高崎市美術館)が展示されています。

ロンドン在住時から細胞を思わせる円をモチーフに描いていた佐藤は、ニューヨークに移住した頃から人の顔やタクシーといったありふれたものに無数の穴を穿つ作品を制作し始め、《Subway》シリーズで国際的な評価を確立しました。

ニューヨークの地下鉄という見慣れた風景が、錯覚を誘う穴で埋め尽くされています。

異国での不安がモチーフになったと佐藤が語っている通り、奥に垣間見える地下鉄という日常までたどり着くことができるのか、足のすくむような視覚効果を生んでいます。

 

3階に上がると、吉野ももの特集展示が組まれています。

ありふれた建物の壁に現れる、吸い込まれそうな穴。

襖の面を突き抜けていく、深遠な奥行き。

完全にフラットな支持体に描かれた、折り目鮮やかな巨大な折り紙。


吉野もも《間》(2013年)作家蔵

 

吉野ももの作品は、二次元の絵画でありながら現実の三次元空間との境界を越えて、見ている私たちの心に揺さぶりをかけてきます。

描かれているのが絵画の中に向かう奥行きであっても外に向かう突出であっても、その迫真性によって作品と現実空間が有機的な繋がりを持つのです。

そのため鑑賞者は、突然目の前に異空間が立ち現れたかのような、あるいは自分が絵画の中に入り込んだかのような感覚を得ることになります。


吉野もも《猛虎図》(2016年)作家蔵


周囲の空間や鑑賞者との相互関係を結びながら、物理的/心理的な境界を越境し続けることが、吉野の作品世界の尽きせぬ魅力と言えるでしょう。


吉野もも《Kami#4》(2015年)作家蔵

 

このように、視覚の冒険的な試みを通して、感覚と思考の試行錯誤を繰り返してきた軌跡を鑑賞することができます。

また、二次元と三次元との境界を往来しながらイリュージョンを生じさせ、物質と空間の意味をメタ視点から問い直す吉野ももの作品も紹介されています。

心身の揺らぎを感じさせる、非日常の世界へ出かけてみませんか。

 

 

 

 

 

 

 

会期:2024年1月27日(土)-3月17日(日)

会場:高崎市美術館

   〒370-0849 群馬県高崎市八島町110-27

開館時間:午前10時〜午後6時、金曜のみ午前10時〜午後8時(入館は閉館の30分前まで)

休館日:毎週月曜日(祝日は開館し、翌平日休館)

主催:高崎市美術館

企画協力:rin art association