深堀り!浮世絵の見方 | パラレル

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太田記念美術館で開催中の「深堀り!浮世絵の見方」展へ行って来ました。


浮世絵は、絵師、彫師、摺師の協業によって生まれます。

彼らの卓越したテクニックを知っておくと、作品をより深く堪能することができます。

また、作品の保存状態や、絵の中に記されている文字など、制作の裏側が見えてくる鑑賞の「ツボ」がいくつもあります。

本展では、まずは押さえておきたい初歩的な視点から、浮世絵マニア向けのディープな視点まで、様々な浮世絵の見方を深堀りします。

 

展覧会の構成は以下の通りです。

 

第1章 深掘り!グレート・ウェーブ

第2章 深掘り!浮世絵版画の作り方

第3章 深掘り!浮世絵の「線」

第4章 深掘り!摺りの違い

第5章 深掘り!浮世絵の「端」

第6章 深掘り!浮世絵の文字

第7章 深掘り!江戸の暮らし

 

展覧会は、歌川豊春《浮絵熊野浦鯨突之図》(安永頃(1772-81) 太田記念美術館)から始まります。

北斎よりも前の時代に活躍した歌川豊春の波です。

海で鯨漁をしている場面で、左下に潮を吹く巨大な鯨の姿が見えます。

鯨の周りに激しい波飛沫が立っていますが、北斎の波頭は襲いかかる爪のような形をしているのに対し、豊春の波頭は丸い円を描くようになっています。

 

そして、有名な葛飾北斎《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》(天保元〜2年頃(1830-31) 太田記念美術館)です。

北斎の波は、まるでハイスピードカメラで撮影したようであるとしばしば表現されます。

しかし、左上の波は崩れ落ちそうなのに対し、左下の波はこれからせり上がろうとしています。

北斎は波を写実的に描こうとしたのではなく、様々な波の動きを巧みに組み合わせることで、本物らしい波の動きを演出しようとしています。

 

葛飾北斎《富嶽三十六景 東都浅草本願寺》(天保元〜2年頃(1830-31) 太田記念美術館)では、ベロ藍の美しさに注目です。

空だけでなく、富士山や建物の屋根も藍色で描写されています。

ベロ藍は水に溶けやすく、淡い水色から濃い藍色まで自在に表現できました。

また、ぼかし(グラデーション)も表現しやすく、空の広がりを示すには最適の絵具でした。

 

歌川広重は生涯にわたってベロ藍に向き合ってきた絵師といえるでしょう。

歌川広重《名所江戸百景 玉川堤の花》(安政3年2月(1856) 太田記念美術館)は、広重が最晩年に描いた「名所江戸百景」の1図で、空と川にベロ藍が用いられています。

「名所江戸百景」は、他の浮世絵と比べ、質の高い綺麗な絵具が使われており、このベロ藍も非常に発色の良い、深みのある色になっています。

 

本展では、歌川国貞・二代歌川国綱《池辺納涼図》(画稿 文久頃(1861-64) 太田記念美術館)のような貴重な画稿も展示されています。

浮世絵版画の制作は、絵師が構想を練ることから始まります。

ラフな筆遣いで人物の姿を大まかに描いた下書き状態のものを「画稿」もしくは「下絵」と呼んでいます。

左端の女性の手には上から紙が貼られているように、修正が施されることがあります。

 

浮世絵では「線」も見どころとなります。

彫師の技術の中で最も難易度が高いのが、「毛割(けわり)」と呼ばれる、髪の毛の生え際を彫るテクニックです。

1mmの中に3本程度の線が残るように板を彫らねばなりません。

江戸時代、高い評判になったのが、小泉巳之吉が彫った歌川国貞(三代豊国)《東海道五十三次之内 白須賀 猫塚》(嘉永5年(1852) 太田記念美術館)です。

長い髪の毛であるにも関わらず、その間隔が乱れず、髪の毛のふわっとした感じを見事に表現しています。

 

また、浮世絵版画では、雨を細い直線で描くことが一般的ですが、作品によってその表現は様々です。

歌川広重《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》(安政4年(1857) 太田記念美術館)は、縦長の画面の上から下まで、まっすぐな線が全体を覆っています。

これだけ長く細い線の勢いを殺さずに彫っているのは、彫師の技量があってこそでしょう。

そしてよく見ると、雨の線の角度と色が2種類あります。

2枚の板木を使い、重ねて摺ることによって、雨の激しさがより強調されています。

 

浮世絵版画は多くの摺りを重ねます。

その摺りの早い遅いによって、その表情が大きく変わるものもあります。

歌川広重《木曽街道六拾九次之内 四拾 須原》(天保7〜8年頃(1836-37) 太田記念美術館)は、摺りの早い作品と遅い作品が展示されています。

まず注目すべきは、雨の線です。

早い作品はシャープで細い線ですが、遅い作品は何度も摺りを重ねている間に木の板が摩耗してしまい、太くかすれた線になっています。

 

摺りの早さや遅さで絵に変化があらわれるというのは、風景画に限るものではありません。

美人画でも違いが生じます。

渓斎英泉《今様美人十二景 手がありそう》(文政5〜6年頃(1822-23) 太田記念美術館)も摺りの早い作品と遅い作品が紹介されています。

ここでもポイントとなるのは線です。

特に髪の毛は最も分かりやすいところで、摺りが早いほど細くシャープなものになります。

また、右上の吉原を描いた絵巻物の線のように、欠けているところがあるかどうかも判断材料となります。

 

続いては、マニアックな見方になります。

絵の隅の小さな余白や記号など、言われても気が付かないような僅かな場所に、浮世絵制作の背景や保存状態が分かるような手がかりが隠されています。

豊原国周《東京花国周漫画 四 中村芝翫 民谷伊右衛門》(明治5年(1872) 太田記念美術館)には、画面の右下と左上の方にごく僅かに色が摺られていない場所があります。

これは「見当(けんとう)」の跡です。

浮世絵版画を摺る際、僅かに彫り下げた「カギ見当」と「引き付け見当」に紙を引っ掛けて位置を定めますが、その際見当の近くはやや凹んでいるため、絵具が十分に摺られていないことがあるのです。

 

歌川国貞《東海道五十三次之内 桑名 徳蔵》(嘉永5年(1852) 太田記念美術館)の右端には「シタ売」の印があります。

作品を店頭に飾らず、目立たないようにして販売するとう意味で、嘉永3〜6年(1850〜53)の役者絵に多く見られます。

天保の改革による役者絵の禁止が緩められた後も、幕府に咎められることを警戒していた版元が、役者絵に「シタ売」の判子を捺すことで自衛していたと考えられます。

 

喜多川歌麿《若那屋内しら玉》(寛政5年頃(1793) 太田記念美術館)にも印が捺されています。

浮世絵版画の制作を指揮するのは、絵師や摺師ではなく、版元でした。

版元は現在の出版社のような存在で、浮世絵の企画、制作、販売を行いました。

法令に反するような浮世絵を刊行した場合、まず責任を問われるのも版元であったため、浮世絵版画の多くには版元印が捺されています。

この作品では、山型に蔦の葉のマークの印が捺されていますが、これは喜多川歌麿や東洲斎写楽をプロデュースしたことで知られる蔦屋重三郎の版元印です。

 

このように、本展では浮世絵を構成する様々な要素を分解し、色々な角度から楽しむことができます。

浮世絵に詳しい方でも新たな発見があることでしょう。

おすすめします。

 

 

 

 

 

 

会期:2023年12月1日(金)〜12月24日(日)

会場:太田記念美術館

   東京都渋谷区神宮前1-10-10

開館時間:10:30-17:30(入館17:00まで)

休館日:月曜日

問合せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)