きのう思ったこと 3.11の補足 | 浪江のニガヨモギ

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福島第一原発から10キロにある実家を離れ…

きのう電車に乗っていたら

『東急電鉄は14時46分に全車両停止して黙とうします』

というアナウンスが入り

『ああ今日で2年か』

と初めて気づきました。

きのうはノルマに追われていて、そんな事を考える暇もなかった。




渋谷駅前では、被災3県の新聞社合同の号外を配っていたけど

この前の吉沢さんの演説と同じで

足を止める人は少なかったです。


号外の1面は

『わたしたちは地元だけでなく、日本全国に伝えます』


なのに中身は

『スマイルとうほくプロジェクト』なるもので埋め尽くされていて

東北の笑顔を日本中に伝えたいらしい

語るに落ちる。



改めて

津波でいろんなものを失った人達の顔を見ると

実に危ない顔をしていると思う。

僕が地震後3か月いた福島の人と同じ顔。

そういう表情を見るとイヤだなあと思うけど

同時に、自分の生命力が相対的に優位にあることを知って

優越感と使命感を感じます。

    ※地震の時、周りがバタバタしていて、
      
               大の大人が皆オロオロしていました。
      
                政府もテレビも。
     
              そういうのを見ると、自然に腹が据わって
      
                 自分が、戦略を練って、この人たちを逃がさないといけない
      
                 と、いい意味で孤独に冷静になりました。
 
      

                 きのう
      
                 震災鬱で死にたいというオジサンを映像で見たときに
      
      同じように孤独で冷静な感覚がよみがえったのですが
      
                その能面とでもいうべき感覚を長く保つと
      
                 けっこうダメージが残るので
      
                 テレビを消しました





でもね

生命力が落ちてる人や

その身内のサポートは,

短期では出来ないのです。
     
   
    ※前の※で述べたように、非常時に
      
              ある程度狭いテリトリーの人を最低限救うことは
     
           能面になれる大人が一人いれば可能です。
      
     

          でも、その能面のリーダーにも家族はいるし、
      
             リーダーが他の家族の問題に踏み込むわけにもいかない。
     
           リーダーは期間限定でしか力を発揮できないので
      (ウルトラマンの3分タイマーみたいなもの)

      
            そうすると次の段階では、
    
        弱者の『身内』が責任を持って保護しないと
  
      弱者は路頭に迷います。
     
     

       『身内』も避難者だったりするので、辛いでしょうけど
  
    でも、どさくさの中ではセーフティネットが破たんしてるので

    そうするしかないです。

    逆に言えば、『身内』の愚痴を聞くことはできるけど

    要介護者自体を 素人・他人が介護するのは不可能です


      老人ホームの人(ホスピスに近いか)が

      双葉→福島市→いわき市と
     
              何00キロもたらいまわしにされている間に
     
              バスの中で数十人亡くなりました。

      あれは業務上過失致死罪だと思うけど

      能面リーダーも、
     
              セーフティーネットもなく、 
      
               身内も関われないと、
     
              そうなるよ、ということだと思います。

      だから
      ↓


家族の中で強い者が、ある程度踏ん張ったうえで

公的サポートを受けるしかない。

コレはつらいですよね。

先が見えればなんとか踏ん張れるけど、

下り坂で踏ん張るのは嫌んなっちゃいますね。



日本にそういう踏ん張ってる人が何百万人っているんだろうなー