坂本龍馬よ 何を想う | イヤ、君は天才だ!~眠った才能を呼び起こす!サイトウ式能力開発メソッド~ サイトウユウスケのブログ

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昨年の11月のこと。


京都にある坂本龍馬の墓に、観光を兼ねて行った時の話だ。


その日はちょうど坂本龍馬の命日だったので、ものすごい人だかりだった。

(もちろん、その日を狙って行ったのだが・・・)


入場ゲートから龍馬の墓までは、階段を4階分くらい登れば着く距離なので、

普段なら5分もあれば余裕で着くのだが、その日はさすがに龍馬の命日だけあって参拝者の数がすごい。


入場ゲートの手前まで列が続いていた。


まぁ一時間も並べばたどり着くかなと、なんの気になしに並んだのだが、それが甘かった。


きっとみんな龍馬に伝えたいことが溢れるほどあるのだろう・・・。


一時間並んでも、4分の1くらいしか進まなかった。


まぁでも、急いでるわけでもないし、と自分に言い聞かせながらぼんやりと景色を眺めていた。


すると後ろの女性二人組が、坂本龍馬の話をしていることに気づいた。

しかも、どちらかの女性はものすごく詳しい。なにやら毎年命日に欠かさず来ているらしい。

とにかく大ファンであることが伝わってきた。


それから並ぶこと1時間。


ちょうどあと半分くらいの距離でつくかなというくらいの時に事件は起きた。


なんと、後ろのほうからおばちゃん数名が列を無視して先に登っていってしまったのだ。


周りの人たちがザワつきだす。


『えっ?スタッフ?』


あきらかにスタッフではない。


後ろの龍馬大ファンの女性が静かに怒り出す。


『いるのよ、ああいう人。ほんとありえない。どういう神経してるのかしら?』


まぁ、わからなくもないけどなぁ・・・・と思っていると、その出来事をきっかけに女性は悪口大会を始めてしまった。


それから30分くらい経っただろうか。


遂に龍馬の墓が見えるくらいの距離まで列が進み、墓の方に目をやると、とんでもない大混雑。


もう、列をなしているかどうかわからないくらいのせめぎあい。


それを見た後ろの女性が、奇跡の行動に出た。


『行こっ!』


と、いたずらな声色でもうひとりの女性の手を掴んで列から外れ、一気に前に登って行ったのだ。


『あっ、抜かした。』


僕は心の中でひとり、呟いた。


(あの人、さっきのおばちゃんのこと、相当こてんぱんに批判してたのに同じことしてるじゃん。)


と思いながら、まぁ人間そういうものかと妙に納得した気分で彼女の後ろ姿を見つめていた。


それからが地獄絵図だった。

その女性の脱線を皮切りに、どんどんと後ろから列を外れ前に登っていく人が増えた。


10分もすると最前列は、もう列ではなく、降りる人の降りる道が塞がれるほどに混雑し始めた。


僕は、急いでいるわけじゃないし、まぁいつかたどり着けたらいいかという気持ちで、その混雑を見ていた。


それから5分、もちろんみんなどんどんと僕を抜かしていくので僕が龍馬の墓に近づくことはない。


その時、ふと町並みに目を向けると、とてもキレイな夕日が街を染めていた。

(龍馬の墓は、景色のいい山の中腹あたりにある)


そして、こんなことが頭をよぎりだした。


150年前の龍馬は、自分の命を投げうってまで、日本の未来、世界の未来を守ろうとしてくれた。


その龍馬は、今のこの現状を見てどう思うだろう。


自分の墓の前で、列すら守れずに混雑する人たち。

その人たちが龍馬の墓の前で手をあわせて、龍馬に対して話かける言葉はなんだろう?


『ありがとうございます』かな。

『僕も(私も)頑張ります』かな。

『あなたのおかげで今、平和に過ごせています』かな。


『僕(私)にパワーください!』だけはやめてほしいな。


龍馬がもし、そこにいたら何を思うだろう。

なんて言うだろう。

嬉しいかな。悲しいかな。


そんなことを考えていると、


『こんなところにわざわざ来て、時間かけて並んで会いに来なくてもいいから、君たちは君たちの今出来ることを、僕と同じスピリットを持ってやり遂げなさい。僕はそれが一番嬉しいよ。』


と、言ってくれてる気がして益々龍馬を好きになった。


そして僕は墓まで行かずにそのまま来た道を戻った。


もしかしたら、あの声は龍馬の声じゃなかったかもしれない。

自分自身の願いだったのかもしれない。


もしも僕が龍馬なら、きっとマナーも守れずに自分に会いに来る人を見てこう思うだろう。


『何も伝わってないなぁ。』と。


僕たちがするべきなのは、過去の偉人たちを『すごいすごい!』ともてはやしてあやかろうとすることではなく、その人たちから何を学び、どう活かすかを全力で考えることじゃないかなと思うのである。


そう、過去の偉人たちが全力でつないでくれたバトンを、次の世代にどうつなぐか、どこまで運ぶかが重要なのである。


といいつつ、やっぱり龍馬に会って話してみたいなぁと思う気持ちは変わらずにあるのでした。


会って話してみないと、その人がどういう人間かはわからないですからね。


もしかしたら、

『絶景!絶景!わしの人気は150年経った今でも変わらんぜよ!はっはっは~!』


と、お酒を片手に笑っているかもしれないし。

(すいません。土佐弁はわかりません。)