先日、とあるカフェで打ち合わせをしていた時のことだ。
隣の席に座っている5歳くらいの男の子が泣き出した。
なぜ、泣いているのかわからなかったが、
その時の母親の対応がとても気にかかってしまった。
『○○くん、もう泣いても何も買ってあげないからね!』
あぁー、なにか買って欲しくて駄々をこねてるのかな?
『違うもん!泣』
んっ?
違うのか。
『違うくなんかないでしょ。この前だってデザート食べれなくて泣いたでしょ。』
『違うもん!』
『そんな大きな声で泣かないの!お母さん恥ずかしいわ。弟の○○のほうがよっぽど大人しくてお兄ちゃんみたいになってるんだから!』
『うわ~~~ん!!』
あぁ、お母さん決めつけちゃったし、比較しちゃった。
もしお母さんがお子さんの立場なら、今の対応をされて納得できるのだろうか。
お母さんがお子さんの立場なら、どんな対応をとってほしいと思うのだろう。
自分が子供だった頃、どういう対応をとってもらいたかったんだろう。
それを今、実践できるチャンスなのに。
『自分がされて嫌なことは、相手にしてはいけませんよ』って、ほとんどの人がそう教わって育ってきたはずだし、そう教えてるはずなのにな、と僕は少し悲しくなった。
『そんなに大きな声でいつまでも泣くなら、もう一緒にお出かけできないね!帰るわよ!』
そういって、その親子はその場を去っていった。
その後ろ姿を見ながら、
アウシュビッツ収容所から脱走して、自由な人生を獲得した女性の話を思い出した。
彼女が15歳の時に、アウシュビッツ収容所に向かう汽車に乗せられた。
当時8歳だった弟と一緒にだ。
その時、両親はすでに殺されていて、残された家族は彼女と弟だけだった。
その弟が、汽車に乗るまでの間に靴をなくしてしまったと彼女に告げた。
『自分の靴すら管理できないの?あんた本当に馬鹿じゃない!?いい加減にしてよ!』
疲弊と不安でいっぱいだった彼女はそんな冷たい言葉を吐いてしまった。
その言葉を聞いた弟は大泣きしたという。
そして、それから離れ離れに収容された二人。
それから二人は一度も顔を合わせることがないまま彼女は脱走に成功し、弟は帰らぬ人になった。
『あなた馬鹿じゃない?』が二人にとっての最後の会話になったという。
そんな彼女が語っていたのだ。
『私はあの日以来、心に決めたことがあります。それは、目の前の人との会話が人生で最後の会話になったとしても後悔しない言葉だけを口にして生きていこうということです。もう、あんな思いはしたくないから。』
人は、今日と同じ明日を迎えることを当たり前だと思ってしまう。
もし、今日で最後なら、本当にその言葉を口にするだろうか。
それから数日後、
『どうしたの?』
『なにかあったの?』
『それはどうしてそう思ったのかな?』
『話を聞いてみたいな。』
そうやって同じ目線から、同じ世界を見ようと心がけることが出来ている人を見かけることが出来た。
彼女を見ながら、
『うわー。最高のカウンセラーだな。』
と、心が温かくなっていく感覚を味わうことが出来た。
きっと世の中には、こんな風に素敵な大人もたくさんいるんだよなぁ。
と、久しぶりに感じる心地いい敗北感。
完敗に乾杯!!