僕が当時、営業責任者として50人くらいの組織をまとめていた時の話だ。
それは、もう今から3年くらい前になるが、
その時は、営業目標もいつも達成していて、もちろん組織も毎月全国1位で爆進していた。組織のメンバーからも全国表彰される従業員が何名も選出され、従業員同士の関係もすごく良く、今考えてもまさに黄金時代だった。
すべてがうまくいっていたように思えたし、実際に結果もついてきていた。
そんなある日、僕は人事担当者に呼ばれ応接室に入った。
『齋藤さん、あのー、ある従業員から人事部宛に手紙が届いておりまして・・・』
『はぁ・・・。』
『齋藤さん、従業員に対して、パワハラ・セクハラ・お気に入り人事等、権力をつかってやりたい放題やっているので、次の昇格候補からは外して欲しいと・・・・。』
『はっ???』
僕は頭の中が真っ白になった。
パワハラ?セクハラ?お気に入り人事???
『誰がですか??』
『いや、齋藤さんです。』
『僕がですか?』
『はい。証拠もあるからそれも出しますよと、書いてました。』
『しょっ!証拠ですか?』
『はい。多くの従業員が齋藤さんが今の役職でおられることに対して不満だと、書いています。』
『えっ!?本当ですか!?』
僕は全身がガタガタと震えていたのに気づいた。
『すいません。あのー、全く身に覚えがないのですが、もしかしたら気づかないうちに従業員に対してそういった対応をしていたのかもしれません。その証拠っていうのを見せてもらってもいいですか?』
呼吸すら意識してしないと止まってしまいそうなほど混乱していた僕は、少しでも冷静さを取り戻そうと、人事部長の顔を見た。
その時、僕は強烈な違和感と恐怖を覚えた。
そう、その人事担当は僕のことをすでに「そういう人間」として見ていたのだ。
『はぁ、証拠ですか。困りましたね。匿名の手紙なのでこちらからコンタクトが取れないんですよ。』
『証拠、ないんですか?』
僕はカラカラになった喉から声を絞り出した。
『ただ、この手紙にはかなり具体的に齋藤さんのされたことが書いてますけどね。』
『えっ!?本当ですか?僕、何をしたのでしょうか!?教えてもらっていいですか?』
『いえ、それはできないルールです。』
僕はそのルールとやらが全く理解できなかったが、謎の罪悪感に襲われていたせいか、それ以上を聞き出すことは出来なかった。
とりあえず、査定委員会で今回の件について話し合うとのこと、また相手方から連絡が来たらコンタクトを取るとのこと、この話は一切他の従業員に漏らさないように、ということだけ告げられ僕は営業ブースに戻った。
なんとか平常心を保とうとしたが、当時の僕がひとりで抱えるには余りにも大きな問題すぎた。
その月は久しぶりに営業目標を大きく下回って終えた。
翌月、また人事担当に呼ばれた。
僕は、呼ばれただけであの時に記憶がフラッシュバックし、すでに小さく震えていた。
『また来ましたよ。齋藤さん。』
『手紙ですか?証拠はのっていましたか?』
『はい。手紙です。証拠はのっていませんが、皆さんが齋藤さんを嫌っていると。』
僕はこの時の人事担当の顔を忘れない。
うっすらと笑いながら、見下すように攻撃してくる優越感に満ちた顔を。
僕はこの時、怒りも悲しみも絶望も通り越して冷静になった自分に気づいた。
『○○さん、では、今回の件が事実かどうか、人事部長であるあなたがうちの従業員に対して一人一人聞き取りを行ってみてはいかがでしょうか。僕は一切介入しませんから。その結果次第では僕は降格でも退社でも処分は受けますよ。』
そして、その直後、僕の組織だけ聞き取り調査を行うのは周りから怪しまれるということで、全国の営業責任者を対象に『無記名による上司に対しての従業員評価』が大々的に行われた。
2ヶ月後、営業課長以上が東京に呼ばれ結果が開示された。
結果、
同じ営業部門の課長30人のうち、僕は従業員満足度全国1位の評価を頂いた。
全部門の課長を入れても、全国で2位だった。
この無記名の従業員アンケートのおかげで僕の疑いは一気に晴れ、むしろ以前に増してより多くの支持を得ることになった。
が、僕の心は満たされなかったし、全く腑に落ちなかった。
『みんなが嫌ってる』『証拠がある』『具体的に多くのパワハラやセクハラをしたことが書いてある』。
僕は確かにそう言われた。
みんなって誰と誰と誰?
証拠って、何に対してのどんな証拠?
具体的に僕は何をしました?
聞いても答えてもらえなかったあの日の答えは、今でもたまに僕の感情を大きく揺らすことがある。
だからと言って僕は別に人事担当であった彼を責める気はないし、手紙を投函した誰かを探す気もなければ責める気もない。僕は僕自身の未熟さも理解しているし、僕は万人受けするような人間だと、とてもじゃないが言えない自覚があるからだ。
そして、なによりもきっとそうやって僕を攻撃することでしか処理できない感情が、彼らにもあったはずだから。
何が本当で何が嘘かわからない時ほど、人の恐怖心は増幅される。
だから噂話をしている側は、圧倒的に優位に立ててしまう。
人の心を壊してしまうほどに。
だから噂話をするとき、人は魔法の力を手に入れたかのような気持ちになって人を裁いてしまいたくなる。
芸能スクープや、スキャンダル、黒い噂などなど、テレビや週刊誌では毎日のように取り上げられているのはそういった理由からだろうか。
僕は自分自身がそういう目に遭ってからは、取り上げて騒いでる人たちを見ると、距離を置いてしまう。
『それって本人たちの問題でしょ。なぜ周りが騒ぐの?』
と、思ってしまうのだ。
気をつけてほしいのは、
噂話をしている人は、自分もいずれ、される側に回ってしまうということ。
そしてそのストレスに耐えれずに、今度はまた誰かを標的に噂話で憂さ晴らしをするという負のスパイラルに陥ってしまうということ。
これを『引き下げの心理』という。
だから僕は、噂話をするような人たちとは一緒にいない、もしくは制止する、という人間関係を心がけるようになったのだ。
ちなみに、アンケートが開示されてだいぶ時間が経ってから、
『齋藤さんの悪い噂が流れてますよ。』
と数名の部下に教えてもらったことがあった。
その度に僕は、
『そうなんだ!俺っていろんなところで噂されるほど人気者なんだね!』
と笑って返していた。
(内心は晩ご飯が喉を通らなくなるほどに落ち込んでいたが・・・)
僕は、人事部長との約束を守り、その当時の手紙のことは誰にも言ってなかったのだが、どこかから話が漏れていたのだろう。
その事件から一年くらい経ったある日、僕は一番信頼していた部下にその話をしてみた。
すると彼は笑いながら言った。
『あの人事担当、いろんなところでいろんな人に言いふらしてるんで多分知らない人のほうが少ないですよ!』
僕は驚いて彼にこう聞いてみた。
『えっ!お前知ってたの!?知ってたならなんで俺に何も言わないの??』
すると彼は鼻をすすりながら、
『いや、自分はこうやってリアルタイムでユウスケさんに世話になってるんで、ウソってすぐ分かりましたし、そんな話をユウスケさんにしても、ユウスケさんが嫌なこと思い出すだけじゃないですか。それにその噂が仮に本当だったとしても、自分はユウスケさんのこと好きですし、どっちにしろ関係ないんで、そんな話があったこと自体忘れてました。それより今日も飲みに行きましょ!』
僕は、この瞬間に彼とは一生の仲間でいようと決めたのでした。