『ダメだ!ダメだ!ちゃんと降りろ!!ルールくらいちゃんと守れ!!このバカタレ!!』
中年男性の怒号がアーケード内に響き渡った。
僕は何ごとかと思い、そちらに目をやると、自転車から降りて申し訳なさそうにしながら去ろうとする少年と、それを追いかけるかのように自転車の少年を罵倒し続ける中年男性。
その光景を見て、僕はその二人の間に何があったか、なんとなくわかった気がした。
そう、今僕の歩いている心斎橋筋は歩行者天国になっているため、深夜帯以外は自転車から降りて歩かなければいけない。
それを知らずか、知ってかまではわからないけど、少年は自転車に乗ったままアーケードに入ってきたのだろう。
そしてそれを見つけた中年男性が注意したのだろう。
アーケード内に響き渡るほどの怒号で注意した男性はどんな気持ちだったんだろう。
スッキリした?
世直しした気分?
英雄になった感じ?
うんざりした?
いい加減にしろって感じ?
それとも悲しかった?
心配だった?
不安だった?
アーケード内に響き渡るほどの怒号で注意された少年はどんな気持ちだったのだろう。
びっくりした?
怖かった?
腹が立った?
言い訳したくなった?
助けを求めたくなった?
それとも反省した?
悲しくなった?
不安だった?
僕たちが気をつけなければいけないのは、こういう風景を目にした時に、どちらが正しいとか、どちらが悪いというレッテルを貼ってしまうことだ。
『そんなに怒ることないじゃないか!』
『そもそも自転車で乗り込む方が悪い!』
というように、『その人が問題だ』という認識で人を見たり判断してしまうと、物事は何も解決しない。
解決しない上に、コミュニケーションの障害にも発展し、さらなる問題を誘発する爆弾になる。
離職率の高いブラック企業の上司によくある『人格否定型』の付き合いと言える。
寝坊した相手に、
だらしない人だと言ってみたり、
忘れ物の多い相手に、
適当な人だと言ってみたり、
ミスの多い相手に、
やる気がないと責めてみたり、
はたして、これで問題が解決するだろうか?
僕の経験上、表面上で一時は劇的に解決したように見えるが結局時間が経つと元どおりというケースが多いように感じる。
こういった心理を詳しく説明するにはそれなりの文章の量になるので別の機会にしよう。
さて、ではこういったトラブルが起きた時に出来るだけ建設的な解決に導くためにはどうするべきか。
完璧な答えというわけではないが、『環境改善』という視点で見てみるのはどうだろう。
つまり、ミスをした相手を責めるのではなく、そういったミスは誰でも起こしうるものだという前提で、別の人が似たようなミスをしないようにするためにどうするべきか、何を変えるべきかを考えるという事である。
そう考えると、
普段何気なく見ている信号も、一時停止の看板も、横断歩道も、地下鉄のあしもとちゅいの掲示も、あれもこれもそれも、そういった環境改善の知恵の上に僕たちは生きているのだと気づく。
そう考えれば、僕たちのすべきことはミスをした相手を責めたり攻撃して、お互いの価値観まで引きずり出して大ゲンカすることではない。
これからの世代を生きる子孫たちのために、日々起きている問題からひとつでも多くの教訓を得て、それを防ぐなり活かすなり出来る知恵を形にしていくことである。
僕たちの先代がそうしてくれていたように。
罪を憎んで人を憎まず。
とても深い言葉だとかみしめずにはいられないのでした。