わたしの原点と現在地 | 少しずつ

少しずつ

いつも後回しにしてた自分のこと
これからは大切にして生きよう
少しずつでいいから


わたしが19歳のとき




母の脳動脈瘤が見つかって









あの時



病院に入院していた母を見舞っては






母の前でメソメソしてた




わたし

















わたしが29歳のとき


検査のため 病院に入院した父





検査の結果




数日後 手術をして









そのまま








かえらぬ人となった 父












検査入院で



かえらぬ人になるなんて







誰も想像してなかったけど…













医師が




手術の失敗を認めて・・・・・














あの時



すでに


名古屋へ嫁ぎ





二人の子どもの母親になっていた



わたしは















父がなくなった事実を受け止めることが


できず








悲しむことよりも




母を助けなければ…と







気持ちを切りかえて過ごした











助けてとか 守ってとか



頼まれてもないのに・・・・・













あれから





さらに年月が経ち










わたしが52歳のとき






倒れて




介護が必要な身体になった母














母のそばで暮らしたい・・・










そんな気持ちで挙手した













だけど






その役目は













わたしには まわってこなかった














その時のショックは












言葉では言い表せないほど





強いものだった














母の介護の役目が



わたしにまわってこないことを







どこへぶつけていいのかが


わからなくて









相当 苦しんだ














父と母













わたしの原点でもある







父と母














わたしが



この世に誕生するには




父と母の存在は欠かせないのだ











53年前





父は




お産が始まった母を病院へ送り



車に荷物を取りに戻り







荷物を持って


母の分娩室前についた時










両手に荷物を持ったまま












わたしの産声を聞いた












と話してくれた父











生まれてから



いや、母のおなかにいるころから





いつもそばにいた父




















最期は








あっという間に











この世から いなくなった父















母の介護が




わたしにまわってこなかったとき













4人きょうだいの3番目のわたしには







いつも順番がまわってこなかったことを




思い出して







泣いた













81歳の母は






わたしがそばにいなくても









しあわせに暮らしている














そんな






ありがたくて


喜ばしいことにも













涙が止まらなかった















いま




いちばんしたいことは









母の介護






母とのじかん








母とのふれあい














また、そんなこと言ってる





わたしがいる













なんど


このフェーズを






行ったり来たりすれば











わたしは気が済むのだろう



















そんなわたしが








旦那さんに





「息子を助けよう助けようとしないでよ」




「先回りしないでよ」


「息子が経験する機会を奪わないでよ」









だなんて



言える立場ではない










旦那さんに言った言葉たちは







わたし自身へのメッセージでしかないんだな












どこをどう切り取っても









わたしの中に











父と母がいて









消えては あらわれ



あらわれては きえる


















ありがとうございます


よん♡