受け継ぐものがあるのなら | 少しずつ

少しずつ

いつも後回しにしてた自分のこと
これからは大切にして生きよう
少しずつでいいから


昨日は

じいちゃん(=義父)の三回忌法要





自宅で法要後 お斎についてもらうため

お店の予約を 
まだ寒い時期の2月には おさえ




親戚
20人ほどが集まる予定だった






しかし

コロナの収束時期も
読めなくなってきたタイミングで




前もって
親戚に連絡をして




御院様にお経をあげていただき

家族のみの法事
とすることに決めた





じいちゃん(=義父)が旅立って


7月9日で まる2年

早いなぁ








じいちゃん(=義父)  ばあちゃん(=義母)

じいちゃんの両親




4つ並んだ遺影を見ていると




やさしい まなざしで

見ていてくれるのを感じる









わたしも  すっかり


ここの家の人になったなぁと

感慨深いものがある








段取りは 得意じゃないけど

頑張れ わたし♪






大嫌いだったはずの

“長男の嫁” という表現が


いまは
不思議と『いいじゃん 長男の嫁♡』

って感じる



正解を探そうとしなければ

形式にこだわらなければ



わたしにだって

できるはず



『わたしはこうしたいな』

『こんなふうにじいちゃんの三回忌法要を』

『迎えられたらいいな』



その想いのままに

準備をしてきた







じいちゃんとは

在宅介護を通して
いろんな学びがあって

怒ったり泣いたり笑ったりした仲



じいちゃんは
きっと応援してくれる

一般的な常識に疎い わたしだけど

あははと笑ってくれる…よね



じいちゃん 。:+((*´艸`))+:。笑









長男夫婦も

法要がはじまる30分前に到着




持ってきてくれた

お供え物を受け取ったとき




息子のお嫁さんに



『ねぇ ◯ちゃん』

『お経がはじまる前と途中休憩の時』

『お茶を2回お出しするんだけど』


『1回目は わたしが出すから』

『2回目の時  ◯ちゃん出してくれる?』


って聞いてみた







そしたら

快く引き受けてくれた





ふたりで
お茶と御菓子を用意する





ただ
それだけなんだけど

ハートが じーんとした









24歳のとき

義理の両親との同居ではじまった
結婚生活



義理の姉たちが
遊びに来たりすると



あー、 わたし よそものだなぁ

あー、まだ わたし お客さんみたい



って感じて

じぶんがここにいることに
違和感しかなくて


ひそかに
拗ねてることが多かった

わたし





ここにいていいですか?
わたし拗ねてませんけど…って

一生懸命 笑顔を作ってたし


それがバレてないと思ってた
(作り笑いバレてるけど)








日常的に


自宅に居ることが緊張だったし

仕事に行っても
義理の両親や旦那さんはいっしょで

寛ぐことはなかったなぁ
(いまは寛ぎ放題だけど)








よそもの から

家族になったなぁと

じぶんのこころの変化を感じたのは



やっぱり

じいちゃんの介護をさせてもらったことが

大きかった











元気な頃のじいちゃんは

旦那さんとわたしに向かって



『お前ら夫婦にだけには面倒みてもらわん』

『娘にみてもらう』



って言ってたし




実際に介護がはじまった時も



お互いに ぎこちなかった…



この人とは合わない
この人とは歩み寄れない

そんな気持ちが
わたしの中にはあったのは

間違いない







そして次第に



人と人は 
最悪と感じている関係性からの
スタートであっても


通じ合えるって




10年の介護を通して

『育む』『愛情』『喜び』を学んだ






時間はかかったし

いっぱい
悔し涙を流した



大変?と聞かれれば
大変じゃない…なんて言えないし




もしかしたら


拗ねたまま

『わたしは 義父の介護をしません』

という選択をしても良かった
とも思う





どっちを選んでも良かったけど

こっちを選んだ




ただ それだけのことなんだろうなぁ







介護を経験できて

本当によかったと



いまでも思う








法要のじかん

いろんなことが思い出される中







わたしたち夫婦の後ろに


長男夫婦と次男が

3人並んで座っているのを




目で確認しなくとも




気配や3人のぬくもりを感じている

じぶんに気づき



感情とは また違う


なんともいえない 熱いものが

こみ上げた






ふしぎだな






“苦労”だと思ってきたことが



時を経て

“やさしさ”に書き換えられていく





受け継ごうとしなくても

繋がっていく






じいちゃんも

また来てくれてたよ





じいちゃん ありがとうね










ありがとうございます


よん♡