渡辺麻友の引退発表から一晩置いて、
私の感じることを記します。
今、率直に感じるのは、こんなにもニュースになるんだ、ということです。
ネットだけでなく、TVのニュースでも扱われ報じられる。
今の現役メンバーには、卒業や引退を発表してこんな扱いを受けるメンバーは、いない。
本当に残念だけれど。
正直、悔しいとか嫉妬の感情があります。
すげぇよな、って。
驚いたとか、ショック、とかは全くありません。
彼女は既にもうAKBのメンバーではありませんから、私にとっては「外部のひと」です。
心の整理は卒業と同時についています。
色々なメディアが色々な内容で書いている記事をかなり読みました。
そこでの論調で主流なのが、麻友が疲れてしまった、という内容です。
彼女は現役の時から「『まゆゆ』と素の渡辺麻友は違う」と言明していましたから、
彼女がまゆゆというアイドルを演じていた、ということは明らかです。
このブログの最初期に麻友に関する分析をしていてそのことを書いていますが、その内容は今読み返しても間違ってはいないですね。
切り口がちょっと狭い感じがあるのは、当時の私のAKB48に対する情報量の少なさ故なので仕方ない、とさせてください。(笑)
私は、彼女がそれに疲れてしまったというよりは、彼女がそれに魅力を感じなくなってしまった、ということだと感じています。
芸能人である、ということは程度の多少はあれども自分とは異なるものを演じることです。あの矢沢永吉ですら「みんなが求めるYAZAWAを」と言っています。
前田敦子が言っていました。
「私はきっとこれからも一生、元AKBの「あっちゃん」なんだと思う」
前田敦子はそれを肯定的に話していました。
でも、麻友には「まゆゆ」で居ることよりも、自分にとってもっと大切な何かが生まれた、ということなのでしょう。
私は渡辺麻友はよく知りません。
麻友に対して「知らない」とはいかがな物言いか?とは思いますが(笑)、
でもそれは正直な印象です。
彼女については、よくわからない。
最近、私が使っている表現を用いると、現役の時に「見ていない」からです。
大箱のコンサートで見かけるくらいで、パーソナリティが分かるほどの距離感で見たことがありません。
ですが、そこからなんとなく「こうだろうな」と想像する彼女と、実際の彼女にそれほどの違いはないような気もします。
そのくらい、彼女の存在とそのパフォーマンスは揺るがないものだったのだろうと思います。
彼女を見ていなかった私ですが、
ひとつだけ、多分私が死ぬまで忘れないであろう出来事があります。
雨の味の素スタジアムに響く、「まゆゆ」という轟音。
2位のスピーチが終わり、これから1位が発表される、というインターバルに巻き起こった嵐。
凄まじかった。
私は今もあれを上回るAKBメンバーへのコールを聞いたことがありません。
あの、ひとの声が生み出す大音響。
スクリーンに映し出される、感極まってその顔を歪める渡辺麻友。
忘れられません。
忘れません。
あの体験が、
それまで在宅だった私を現場へと、
自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の肌で感じる、という価値観へと、
変えさせた起点となる出来事だったのだと思います。
これは、ヲタ人生という限定された範囲ではなく、
私自身の人生におけるターニングポイント、なのだと思います。
ファンが、希望的に「また会える日を待っています」ということをコメントとして寄せているのを目にしましたが、
残念ながらそれはきっと叶いません。
まゆゆは、もうこの世にはいないのです。
渡辺麻友は、私たちの前にもう姿を現しません。
彼女は、芸能人の「まゆゆ」よりも、彼女にとってもっと大切なところへ行ったのです。
それが、彼女が望んだ彼女の幸せ、です。
彼女よりも人気のある、話題になるメンバーは、今のAKB48にはいないでしょう。
でも、彼女に負けない、負けないくらい頑張っているメンバーはいます。
絶対にいます。
だから私はAKB48のファンを続けます。
劇場公演の再開を、コンサートの再開を、握手会の再開を願い、待ちます。
渡辺麻友の引退のニュースを見て、
そんなことを感じました。