昭和生まれのチャレンジ日記 -17ページ目

ザ・パニック・メンと都倉俊一

ザ・パニック・メンはカレッジポップスの学生バンドです。都倉俊一はこのバンドの中心メンバー彼は大学2年頃から作曲もしていたようで在学中に中山千夏の「あなたの心に」ピーターの「愛の美学」で早くも人気作曲家になっていました。その後ピンクレディの「ペッパー警部」「UFO」「カルメン77」 と大ヒットを連発彼の作品は今でも日本歌謡史に残る名曲ばかり「あずさ2号」「サウスポー」「S・O・S」「個人授業」「ジョニーへの伝言」「青い果実」「ひと夏の経験」「どうにもとまらない」「狙いうち」上げればきりがないがそれこそ日本人なら一度は聞いた歌ばかり、まさに天才ですね。彼の音楽の原点には間違いなく「ザ・パニック・メン」があると思います。伝説のバンドの「想い出の小径」はTiKToKとYoutubeで聞くことができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1969年 10.21新宿騒乱事件後、我が校の学生運動が衰退への道をたどる

10.21国際反戦デーで逮捕者を多数出しその影響で我が校の学生運動は一時停滞した。しかし政治的な問題から標的を学校当局と部活動団体に向け、革マルは大学祭の独自開催で大学の体制を崩壊させようと牙を剥いてきた。体育会や文化部は従来の学祭を続けるべくこちらも学生が独自に自主的民主的に開催を目指した。革マルは11月2日から4日、民主的学祭は11月1日から5日と決まり前代未聞の分離開催となった。革マルは事あるごとにデモや武闘訓練と称して示威行動で挑発したので毎日のように小競り合いがあり平和的な開催は難しかった。大きく事態が動いたのは11月4日、ゲバ棒、ヘルメットの革マルへの怒りが頂点に達し体育会系、文化部系、一般学生、内部進学生が革マルを追い詰め追い出したのである。私も逃げ回る革マルに詰め寄り追い回し、投石で抵抗する革マルを追い出し彼らの拠点から大量のゲバ棒を摘発して武装解除した。その後再度ロックアウトが宣言され学祭を巡る革マルの抵抗は急速な支持の低下に繋がり衰退の一途を辿ってゆくこととなった。翌年の学祭も革マルは妨害して暴力をふるったので今度は機動隊によって排除され面目を失い学祭は中止、学生運動も衰退していった。

 

 

 

 

 

1969年学生運動の最盛期 全学ロックアウト 10.21新宿騒乱事件

70年安保を控え我が大学でも学生運動が過激化していった。一番目のピークは10月16日から18日の1回目のロックアウト、その後ロックアウト明けの18日から22日の2回目のロックアウトを巡る動きであった。10月10日頃から他大学の学生が連日押しかけ学内デモを繰り返して学内を我がもの顔に荒らしていた。13日には「全学ストライキ」も呼びかけ早稲田での全国革マル集会の集結地に我が大学がされようとしていた。大学側は危機感を抱き全学生を学外に退去させる「全学ロックアウト」を宣言した。革マル派抵抗の素振りを見せていたが70名の機動隊の無言の圧力には勝てず退去していた。1回目のロックアウトが明けると革マルはすぐに抗議集会やデモを繰り返したので大学側は18日には再びロックアウトを宣言した。こんな状況の中10.21には世界反戦デー新宿騒乱事件がおこり新宿駅に2000人の学生が集合し駅構内に乱入、投石、放火で機動隊と衝突し駅構内の車両なども破壊しホームも占拠、交通は麻痺して警視庁は騒乱罪を適用して750人の逮捕に踏み切った。私も新宿駅東口で体育会系の友人と一緒にいたが大群衆で何もすること無く見守るだけだった。学生、野次馬のほか右翼系の学生が白い学ランで闊歩して一触即発の状態となっていたが、駅に突入してからは群衆はだんだん引いて行ったが現場は夜遅くまで騒然とした。

 国際反戦デーで大量の逮捕者が出たこともあり第2回目のロックアウト明けは大した混乱もなく過ぎていった。2番目のピークは次回に。