新仙台厚生病院がスタートした | 耳鼻科医として、ときどき小児科医として

耳鼻科医として、ときどき小児科医として

以前にアメブロで書いていましたが、一時移籍し、再度ここに復活しました。専門の耳鼻咽喉科医としての記事を中心に、ときにサブスペシャリティな小児科診療のこともときに書いていきます。

 

 

自分が学生のときには、東北大学病院の目の前にあった。当時は呼吸器にすぐれた病院として有名だった。

 

医学部時代に自分がお世話になった先輩がこの病院に結核で入院した。そのうわさをきき、お見舞いに行った。すると、本人は留守で、「大学病院の図書館に勉強しにいっています」と病棟看護師に言われてびっくりしていた。国家試験直前のことであり、勉強したいのはわかるが、結核の学生が外出できるということが意外すぎた。もちろん、他の人にはうつさないという判断から、主治医の許可を得たのであろう。そんな状態ならば、退院させたほうがいいのに。

 

その後、いつの間にか心筋梗塞などの治療で名をあげ、循環器の専門病院として有名になっていった。

 

数年前には、医学部新設をねらっていたのだが、東北医科薬科大学のほうに敗れて、その悲願は達成しなかったようだ。

 

東北大学病院のすぐ近くに、東北大農学部があった。実は、その農学部のすぐ裏のアパートに研修医の頃に住んでいた。農学部ではヒツジやヤギが敷地内に放し飼いになっていたので、いつもそこの真っ黒な羊を見ていた。泥に汚れた羊は、まったく羊には見えなかった。

 

その農学部も移転し、その跡地に、この厚生病院が移ったと言う話だ。

東北大学付属病院のすぐ近くにこんな大病院があってやっていけるのかと思う人が多いことだろうが、東北大学病院は、研究は熱心だが、臨床を喜んでやるような医師はあまりいない。このため、厚生病院がきっちり臨床をやってもらえると、すごく助かるのだ。もちつもたれつの関係であろう。