高校受験を控えた中学3年のときだった。
人生の中で、一度も髪型を変えたことがなかった自分が、いきなり五分刈りになった。
東京の中学なので、短髪でなければならないというきまりはない。五分刈りの同級生などほとんどいない。
そんな中で五分刈りになった。一つは、自らの意志で五分刈りになること。これが何よりも大切だった。ルールだからとか、誰かに強制されたから五分刈りになるというのではダメで、あくまでも自らの意志でなること。床屋にいき、いきなり「五分刈りにしてください」と言ったとき、床屋の人は「えっ、本当にいいんですか?」と何度も確認してきたぐらいであった。
他人の価値観にこだわならい。自分で自分をコントロールする。五分刈りになれたとたんに、それが実現できたと喜べた。もっとも、五分刈りなんて自分で髪型が見られるわけではなく、やってしまえばほとんど気にならないが。
この頃は、吉川英治の宮本武蔵に傾倒していたこともあって、「いかに生きるべきか」を常に考えていた。
その名言から。「あれになろう、これに成ろうと焦るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」。
自分を律することができた。それが五分刈りだったのです。