いきなり五分刈りになる | 耳鼻科医として、ときどき小児科医として

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以前にアメブロで書いていましたが、一時移籍し、再度ここに復活しました。専門の耳鼻咽喉科医としての記事を中心に、ときにサブスペシャリティな小児科診療のこともときに書いていきます。

高校受験を控えた中学3年のときだった。

人生の中で、一度も髪型を変えたことがなかった自分が、いきなり五分刈りになった。

 

東京の中学なので、短髪でなければならないというきまりはない。五分刈りの同級生などほとんどいない。

 

そんな中で五分刈りになった。一つは、自らの意志で五分刈りになること。これが何よりも大切だった。ルールだからとか、誰かに強制されたから五分刈りになるというのではダメで、あくまでも自らの意志でなること。床屋にいき、いきなり「五分刈りにしてください」と言ったとき、床屋の人は「えっ、本当にいいんですか?」と何度も確認してきたぐらいであった。

 

他人の価値観にこだわならい。自分で自分をコントロールする。五分刈りになれたとたんに、それが実現できたと喜べた。もっとも、五分刈りなんて自分で髪型が見られるわけではなく、やってしまえばほとんど気にならないが。

 

この頃は、吉川英治の宮本武蔵に傾倒していたこともあって、「いかに生きるべきか」を常に考えていた。

 

その名言から。「あれになろう、これに成ろうと焦るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」。

 

自分を律することができた。それが五分刈りだったのです。