片腕の大リーグ投手:ジム・アボット | 耳鼻科医として、ときどき小児科医として

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以前にアメブロで書いていましたが、一時移籍し、再度ここに復活しました。専門の耳鼻咽喉科医としての記事を中心に、ときにサブスペシャリティな小児科診療のこともときに書いていきます。

障害が起こると、障害をなんとかしたいと切に思う人がほとんどだ。治るものならばそれもわかる。しかし、治らない障害を治そうと追い求めるのは時間の無駄になりかねない。残された体で何ができるかを考えたほうがいい。

 

プロ車イステニスプレーヤー国吉慎吾さん。9歳のときに車イス生活になる。その後、車イステニスをはじめ、世界ランキング一位にもなった。

 

錦織圭が活躍する前、日本の記者がロジャー・フェデラーにインタビューしたときに「なぜ日本のテニス界には世界的な選手が出てこないのか」と聞いた。するとフェデラーは「何を言っているんだ君は? 日本には国枝慎吾がいるじゃないか!」と言った。(Wikipediaより)

 

いいエピソードだ。日本においては、障害がある人は世界的に有名になっても、まったく評価されないのだろう。自分の残った能力をいかして、極めた努力家なのに。日本国中が絶賛してもいい選手だと思う。

 

本題にうつります。ジム・アボット。片腕のない大リーガー投手。僕が大学生のころ、日米大学野球があり、このジム・アボット投手が日本の、しかも自分がいる仙台の球場に来たのです。先発左腕投手だったかな。ぜひ、アボット選手をみたいと、球場まで足を運びました。片腕がなくても、投げることはできることでしょう。しかし、どうやって守備をするのか。それが一番の疑問でした。投げるときにグラブをわきに挟み、投げ終わったあとに、投げたほうの手をグラブにつっこみ、すぐに守備に入るのです。その後、ドラフト一位で大リーグの球団に入り、生涯で87勝、全盛期にはシーズン18勝しています。

 

生まれつき、右手の先がない。ない右手を悔やむのではなく、残った左手に右手の代わりもさせたのでしょう。

 

これも考え方なのです。ない右手のことを考えて一生生きる人間もいます。左手があるじゃないかと、そこに希望をたくす人もいます。それぞれがその人の考え方。

 

日本でも、中日ドラゴンズにドラフト6位で入団した石井裕也投手が有名である。その後、横浜ベイスターズにうつる。両側の高度難聴。補聴器をしても会話はあまり聞き取れない。難聴があっても、野球で剛速球を投げるのにはなんの支障もないはず。しかし、多くの人は難聴があったら、スポーツもできないと決めつけてしまう。

 

楽天にドラフト一位で入団した投手。美馬選手。彼の子供には、先天的に片腕の先がなかったそうです。産院の院長から、ジム・アボットの本をプレゼントされ、障害者野球というものを知る。そこでは障害がありながらも、野球に打ち込んでいる人たちのことを詳しく知ることになる。できないことよりも、できることのほうが多い。こういうことを障害者の人に言うと、所詮できたって、一流選手にはなれないでしょうと、悲観的なことばかり言う。たしかに、最初からダメだと思う人間はダメだろう。でも、自分の能力を生かして、努力して、一流の選手になった人もいることはぜひ知ってほしい。

 

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