田口哲朗弁護士 | 耳鼻科医として、ときどき小児科医として

耳鼻科医として、ときどき小児科医として

以前にアメブロで書いていましたが、一時移籍し、再度ここに復活しました。専門の耳鼻咽喉科医としての記事を中心に、ときにサブスペシャリティな小児科診療のこともときに書いていきます。

手話の世界で40年ぐらいかかわってきているにも関わらず、田口哲朗弁護士のことを書くのは初めてかもしれない。田口弁護士は、全日本ろう連盟の中で弁護士としてさまざまな活動をしてきた人で、聴者である。

 

手話サークルにはじめて通いはじめたのが高校2年生の時で、そのときの手話サークルの会長が、田口弁護士だったのだ。東大法学部卒で弁護士になった人なので、とても優秀なのだろうが、そんなことはまったく感じさせない、気さくな人であった。当時、司法修習生だった山田弁護士(日本で3人目の聴覚障害弁護士)は、手話サークル同期である。他にも聞こえる別の司法修習生弁護士も一緒に通っていたから、当時の手話サークルには、弁護士が3人いた。

 

その後、自分は東京を離れてしまった。田口弁護士の活躍はいろいろなところで耳にはしていたが、今に至るまで一度も顔を合わせたことはない。山田弁護士も同じである。もっとも1年ぐらいの付き合いだったから、僕のことはすっかり忘れているかもしれない。あのとき、学生服を着て通っていた高校生ぐらいは思い出すかもしれないが。