金町学園という聾児の施設がある。高度な聴覚障害児で、いろいろな都合により家庭にいられない子供たちが、ここで生活し、ろう学校に通っている。全国にはこのようなろう児の施設は二つしかなく、ここの施設には全国からの子供が集まってくる。
葛飾区に金町という場所がある。金町学園というのは、その地名からつけられたのだろうが、実は水元というところにある。自分の生まれ故郷水元、さらにはそこの公立中学校、水元中学というところのすぐ近くにある。実は自分はそこの中学校の卒業生で、小学校の頃から、金町学園の子供たちを眺めてきた。そこの施設がどんなところかは、当時は全く知らなかった。「頭のおかしい子供たちが集まっているところ」といううわさだった。
高校のときに手話を学びはじめ、そこの金町学園の生徒と電車の中で出会ったのをきっかけに、この学園に遊びに行くようになった。週に1回、東京の大学からボランティアの学生が集まり、それに混じって、高校生の自分も遊んでいたのだ。下は小学校入学前、上はろう学校専攻科(20歳ぐらい)までが共同生活をしている。もちろん身の回りのお世話をしている先生たちもいる。週に1回だったが、受験勉強で忙しくなるまでは、何回か通っていた。
水元中学時代の同級生には、手話通訳者として活躍している男性もいる。また、何学年か先輩にも同様に手話通訳者として活動している人もいる。卒業生の中で、手話の世界で活躍している比率がとても高いように思う。すべては金町学園の影響であったのだと思っている。
東京で開業し、開業地が金町学園の子供たちが通うろう学校に近かったこともあり、その子供たちが当院に来るようになった。その後しばらくして、金町学園の園医も引き受けるようになった。子供たちの定期検診を行い、子供たちが体調不良になると当院を訪れるようになってきている。
その金町学園も、いろいろな事情から運営法人が経営から手を引いたりして、継続が危ぶまれていた。別の法人からの手が差し伸べられ、なんとか潰さずに済むということになった。ただ、場所を移転せざるをえなくなり、そのための準備をしている最中である。僕自身も少し、そこらへんのお手伝いをさせてもらっている。
はじめて金町学園にかかわってから、すでに40年以上の月日が流れている。