クラシカル・ビジューを公演していた時、ちょうどタイミングよく、銀座エルメスで「エルメス・ビジュー展」というのをやっていたので、観劇の後に行って来た。
先に結論から言うと、
ごめんなさい。
私のような者が行ってごめんなさい。
油田もってなくて、すみません。
確定申告の生命保険控除証明書なくして再発行とかお願いしたりしてほんっとすみません。
エルメス銀座では8階がフォーラムになっていて、アーチストの展覧会などを行っている。
純白の手袋を装着した美しい店員さんに、店の奥のエレベーターへと丁重に案内され、思わず手に持っていたキャトルレーヴの袋を隠してしてしまった。
あの愛してやまない紫のぺらぺらの質感が、メゾン・ド・エルメスにはまるっきりあいませんでした。
会場に到着し、物腰の柔らかな店員さんに案内されたが、なにやら様子がおかしい。
人がいない
静まり返っていて、隠したキャトルの袋がかさかさと鳴るのが聞き取れるぐらいだ。
中に足を踏み入れると、そこは漆黒の闇である。トート閣下が出てきそうである。
私の前には、すでにご婦人がいらっしゃって、その方が歩く足元を店員さんが、ペンライトで照らして歩いている。
・・この光景、ついさっき劇場で見たけどデジャヴ??
※東京宝塚劇場では、開宴後に遅れて入場する方を、係員が足元をペンライトで照らしながら誘導してくれる
会場は、一周で回れてしまうほど小さい。
黒い壁に囲まれた会場の中央では、ガラスで覆われたディスプレイが10個ぐらい、円形に陳列されている。
中にエルメスのジュエリーが飾られた白い胸のトルソーが飾られてライトアップされている。
とても静かな空間だ。
店員さんがそれぞれのビジューについてお客様に解説しており、横でそのおこぼれを聞いていたのだが、リアル・アムネリスな首輪耳輪らを指差して曰く、
「こちらは、リバーシブルになっておりまして、黒蝶貝を使用しております。こちらのイヤリングとあわせまして、800万でございます」
「こちらはビンクゴールドとダイアモンドをあしらったネックレスで、1500万円でございます。」
・・・宝塚のマンション買えるよ??
※宝塚のマンション価格のチェックは宝塚ファンの疲れたときのビタミン剤
展示の素っ気のなさ、規模から見て、これはパンビーに向けた展覧会ではなく、特別な顧客に対する特別な展示会だったのでは、という疑惑がふと浮かぶ。
(ファンではなく、お客様用のね・・)
あきらかに常連と思われるご婦人が立ち去った後、その空間は私だけになった。
まじまじとジュエリーを見た感想で第一に出てきたのは、
「負けた」
宝塚歌劇団お衣装部が、私の中で始めての敗北を喫した。
お衣装とジュエリーはまた別のジャンルだと思うが、世界観と技術の合致という意味では、やっぱりどうしたって宝塚を考えずにはいられなかった。
宝塚といえば、豪奢なお衣装。
宝塚といえばスパンコール。
句読点でも打つが如く、衣装のあちらこちらに流麗にちりばめられるスパンコール。
時折東京劇場前の日比谷シャンテで宝塚のお衣装が展示されており、LLbean着たマネキンと同じぐらい間近で見ることができる。
近くで見ると、その緻密さは驚嘆に値する。
ただのキラキラではないのである。
いかに効果的にキラキラさせるかに神経を張り巡らしてある。
例えば、ジャケットの前身ごろに、縦に数列、スパンコールのラインがつけられているとしよう。
隣りあう列では、スパンコールの大きさが違う。
大きい粒のラインと小さい粒のラインが、交互に縫い合わされている。
ダンスの時に動くことを意識して、光がランダムに反射する様に計算してあるのだろう。
胸に縫い付けてあるハートのスパンコールも、よく見ると、一つ一つ形や大きさが違って立体的に見える。
腕の部分や肘を曲げる部分は、飾りを少なくして段段にして動きやすいようにしていたり、徹頭徹尾、実用性と美が共存しているのである。
ツイッターで見かけたが、ピーコが言うところには、宝塚のお衣装は、どんなに派手でおポンチに見えても、どこかにその年のモードを取り入れているという。さもありなん。
今まで各国を旅してきて、博物館などで昔の貴族や皇帝の装束を見ることも多々あったのだが、絶対宝塚お衣装部の勝利、と確信している。
そりゃ贅沢で豪勢なものは腐るほどあるが、コスパというか、この偏狭の地モンゴリアン日本人の限られた予算と納期で作っている品質を考えると驚嘆に値する。
古い時代の装束で、当時の技術と今の技術の違いや経年劣化してるという点を差し引いても、宝塚の衣装の華やかさ、夢夢しさという点は本物に全然引けをとらない、と思っている。(もちろん贔屓目。)
けれど、エルメスのジュエリーはさすがに別世界だった。
確固たる、ひとつの銀河系を形成してた。
テーマがコンティナム CONTINUUM、連続。
テーマが「時」で、砂時計や日時計からイメージしたジュエリーたち。
ゆがんだ鎖や、砂粒のように繊細に継がれた華奢な鎖、シンプルなスクエアカットの石なのに、喉元に光を閉じ込めているかのように眩く輝く貴石。
時を飲み込み、世紀を超えて永遠に近い時間を継承されていく、幾何学のように精緻で均整のとれた美だった。
展示室を出た帰り、トイレに行こうとして隣の部屋に紛れ込んだら、店員の方があわてて制止した。
「そちらは商談室でございます」
やはり、ここは王妃の館だったか・・・。
エルメスのジュエリーは多分来世だって買えないと思うけど、でも、私は宝塚劇場の切符を買うことができる。
朝夏まなとを知ってる。
宙組の黒燕尾、あの空間性、あの永遠の一瞬を知ってる。
エルメスさんは最後に、その展覧会のカタログまで丁寧にリボンで飾った紙袋に入れて持たせてくださった。この恐縮み。
VOGUEと見まごうお洒落なカタログは、「神々の土地/クラシカルビジュー」のパンフレットの隣を麗しく彩っております。
(あくまでメインはクラビジュ)