100の耳打ち-Image380.jpg

 
11月20日 金曜日。はれ。


シーサー?

シーサー。


散歩の途中で見つけた。


どこか、遠くに、
行きたい気分にさせるなあ。

 
100の耳打ち-Image388.jpg

 
11月19日 木曜日。くもりときどきあめ。


においも人それぞれだと思うけれど、
当然ながら、字も、人それぞれだなとよく思う。

リビングには、友子さんのものと思われるメモが何枚かある。

ひとつだけ、気になっている走りがき。


プール大開放、今日


なんだろう…プール大開放って…。

 
100の耳打ち-Image260.jpg

 
11月18日 水曜日。はれ。


久しぶりに大家さんが来る。

「わたし、何かにおいますか」

突然、何を。何もにおわないですよ。

「そうですか」

大家さんは、部屋の中をじろじろ見ている。


大家さんは、友子さんの事情をどこまで知っているのだろうか。
わたしのことを、どこまで知っているのだろうか。

そんな疑問が、急に頭に浮かぶ。


「今日は、夕飯はまだですか」

あ、ごめんなさい、今日は外で済ませてしまったので。

「そうですか…」

次は、かならず、ご馳走します。

「ありがとうございます」

はい。

「わたしも、あの建物、気になってました」

あの建物?

「仙川の、コンクリートの、斜めの」

ああ、あれ、何なんでしょうか。

大家さんはそれに答えず、
帰っていってしまった。

 
100の耳打ち-Image348.jpg

 
男の人の声が、はっきりした大きい声が聞こえたような気がして、
目を覚ました。


男の人と女の人に声の違いがあるように、音の違いがあるように、

男女に、においの違いはあるだろうか。
そりゃあ、あるだろう。


友子さんは男の人と二人で住んでいた。
わたしはそう思いこんでしまっている。

たとえば、
仙川駅前に堂々とそびえる桜のような人とか、
実篤公園の近くに出没する蛇みたいにとらえどころのない人とか、
妙円地蔵さまのように静かな人とか、

好き勝手に想像して、にやにやする。

わたしが想像することはわたしの中にしかないのだけれど、
それもひとつの
本当のことだ。


そんなことを考えていたら、
また眠くなってきた。

 
100の耳打ち-Image377.jpg

 
11月16日 月曜日。くもり。


久しぶりに実篤公園の方まで来る。

ニワコヤにも行ってみようと思ったが、
月曜日は定休日だったことを思い出した。

実篤公園も閉まっていた。


公園のそばの道で、熱心に写真を撮っている男の人がいる。

何を撮っているのだろう。
カメラの先には暗い茂みしかない。

「蛇、いたのにな、いま、いたのに」

わたしがじっと見ていることに気付いたのか、
男の人は弁解するようにつぶやいた。

蛇、いたんですか。

「いたんですよ、もう少しで捕まえられたんだけど」

男の人は、すごくはっきりした声で、言った。


この男の人にとって、「捕まえる」ということは
「カメラにおさめる」ということなんだな。

当たり前の表現かもしれないけど、
新鮮に響いた。