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Passion 

passion8  【すばらしい人生】

スピリチュアルでは よく あなたはわたしって言う
この世界は自分の内面が映し出された幻想の世界とも言ってる

ロバートシャインフェルドさんの書いた
「ザ・マネーゲームから脱出する法」にも
同じような事が書いてた

仏陀も 一人一宇宙って言ってる
人 一人一人 一つの宇宙があって 
一つの地球があるって感じだ

一人に一つの地球!!!?
わけわかんないー

バシャールも宇宙には無数の地球があって
人は絶えず その瞬間 瞬間 
いろんな地球にシフトしてるって言ってる

それを知った時
えーーーっ! そうなん?
あの建物も 山や川の風景も あの車も 
僕の周りにいる人も 友達も 
ぜーーーんぶ 僕が創り出したん!?

創り出したっていうか 僕の内面が映し出されてるん?
って びっくりした。

なぜかそれを疑わないで びっくりした

それからは あなたはわたし って考えるようになって
周りを見はじめた

すると僕の周りには いろんな人がいる
穏やかな人 短気な人 やさしい人 はずかしがりやな人

はじめの頃は あんな奴が自分だなんて絶対ない!
って否定ばかりしてたけど
よくよく考えてみると そんな部分も僕の中にあるなぁって
思えるようになった

最終的に よくテレビのニュースである殺人犯も
もし 自分がすっごく嫌いな人が目の前に居て
周りに誰もいなかったら 
そして その人が心に傷つくような事を何度も何度も言ったら
ひょっとしたら 自分も殺人 犯すかもって思えるようになった

これって 自分の中にある ある部分が
この部分もわたしよ だから わたしを否定しないで認めてって
出てきてるように思う

わたしを否定してるって事は 
自分の中にあるわたしだから 結局自分を否定してる事になる

スピでよく言う 自分のことを好きになってくださいだ
自分の中にある 良い部分も 嫌な部分も 全部ひっくるめて
愛し 好きになってくださいだ

悩んでる人に助言するのも 不条理な人を悟すのも
その人に言ってるけど ほんとは自分に言ってるんですよねー
そんな気持ちで いれば 心穏やかになるかも

最後に一句

「苦しんでる人がいれば 
    行って 助けてあげなさい

 倒れてる人がいれば 
    行って 起こしてあげなさい

 歓喜にあふれてる人がいれば 
    行って 祝ってあげなさい

         みんな 自分だから」


 
つい最近 

久々に 子供の頃住んでた町を見たくなって
一人で見に行った

年に何回か 見たい(帰りたい?)って衝動にかられて
その場所に行ってしまう

そこには僕が子供の頃 住んでた長屋が
今でも壊されずに建ってて 人も住んでる
もう ゆうに築50年は経ってるのに

そこに行く時は いつも 
あの頃感じてた子供の頃の感覚に戻る

って感じで帰ったところ なんと!
長屋が無くなってたΣ(゚д゚lll)

長屋が解体され 新しい一戸建ての家が三軒建ってた

あ~ぁ とうとう壊されたかー
そりゃそうだよなぁ 
でも 解体される前に部屋の中 見たかったなぁ

その後 近くの公園に行くと 
なんと そこもショベルカーで工事してる!
車を停める場所がなかったので そのまま通り過ぎたけど
たぶん五十年前から あそこにあった 
トラとゾウとサイの小さな乗り物も撤去されたような気がする

時代は移り変わるんか
仕方ないよなー 
長屋も 動物の乗り物も もう 僕の心の中にしか存在しなくなった

ずっと残してほしかったのに・・・
って思ってたら
子供の頃に読んだ(小学校の頃?) 
釣りキチ三平なんかで有名な漫画家 矢口高雄の描いた
「おらが村」ってマンガを思い出した

漫画の内容は おぼろげながらにしか覚えていないけど
とある田舎に男兄弟が居て
弟が上京し 兄貴は田舎に残ることになった

弟が久々に東京の友達と帰郷した時
友達が「田舎っていいなぁ」って言った時

兄貴は「ここで暮らす大変さが都会モンにわかるのか?」
「田舎だって 都会のように便利に変わっていくべきだ」

って言ったセリフが今も心に残ってた

日頃 ゴミゴミした都会で生活してたら
自然のいっぱいある田舎に憧れるけど
そこで生活してる人たちのとれば すっごく不便で
大変なんでしょうね。
実際 雪国の人たちは 行動が制限される雪は
白いゴミって言ってるらしいです(>_<)

たまに遊びに行く僕のずっと残して欲しい田舎の風景と
そこで生活してる人の気持ち

どちらもわかるなぁ

でも おらが村は 50年経っても
まだまだ 当時の風景を残してるとこあるもんねー
また あの場所に行こうって思ってまーす(^-^)

 



今朝 朝起きると 嫁さんがシャックリをしてた。
なかなか止まらなかったので
僕が人差し指で嫁さんの額を押さえた瞬間に
シャックリが止まった。

ありゃ 奇跡のパワーやん!とさえ思わなかった
「ほう、そうか?」 って感じだった。

で、『ほう、そうか?』について ちょっと説明しま~す

エックハルト・トールさん著書のニュー・アースに
こんなことが書かれてました。

『日本のある町に白隠(はくいん)という禅の老師が住んでいた。
彼は人々の尊敬を集めており。
大勢の人が彼の教えを聞きに集まってきていた。
あるとき、寺の隣の十代の娘が妊娠した。
怒り狂った両親に、子どもの父親は誰だと問い詰められた娘は、
とうとう白隠禅師だと答えた。
両親は激怒して白隠のもとに怒鳴りこみ、
娘は白状したぞ、お前が父親だそうだな、となじった。
白隠は「ほう、そうか?」と答えただけだった。

噂は町じゅうどころか近隣の地域まで広がった。
禅師の評判は地に堕ちた。
だが禅師は意に介さなかった。
誰も説法を聞きに来なくなった。
だが禅師は落ち着き払っていた。
赤ん坊が生まれると、娘の両親は禅師のもとへ連れてきた。
「お前が父親なんだから、 お前が面倒をみるがいい。」
禅師は赤ん坊を慈しみ、世話をした。
一年たち、慙愧(ざんき)に堪えられなくなった娘が両親に、
実は赤ん坊の父親は近所で働く若者だと白状した。
両親はあわてて白隠禅師のもとへ駆けつけ、
申し訳なかったと詫びた。
「ほんとにすまないことをしました。赤ん坊を引き取らせてもらいます。
娘が、父親はあなたではないと白状しましたんで。」

「ほう、そうか。」
禅師はそう言って、赤ん坊を返した。

禅師は偽りにも、悪い知らせにも良い知らせにも「ほう、そうか?」
とまったく同じ対応をした。
彼はよくても悪くても いまという瞬間の形をそのまま認めて、
人間ドラマには加わらなかった。
彼にとっては あるがままのこの瞬間だけがある。
起こる出来事を個人的なものとして捉えない。
彼は誰の被害者でもない。
彼はいまこの瞬間に起こっている出来事と完璧に一体化し
それゆえ起こった出来事は彼に何の力も振るう事が出来ない
起こった出来事に抵抗しようとするからその出来事に翻弄されるし、
幸福か不幸かをよそから決められることになる。
赤ん坊は慈しまれ、世話をされた。抵抗しないという力のおかげで、
悪い出来事が良い結果になった。
つねにいまという瞬間に求められたことをする禅師は、
時が来たから赤ん坊を手放したのだ。』

って書いてありました。

あるがままを 受け入れ 
起こった出来事に抵抗しない。
なかなかできませんよねー

さっきの嫁さんのシャックリが止まった時
いつもの僕なら 
奇跡のパワーが とうとう来たぁぁぁーーー!!って 
ちょっと(シャックリなら偶然止まることだってあるし
そんなびっくりするようなことじゃないから)喜んでたし

以前のリーディングで言ってた
「宇宙は奇跡が起こっても あたり前だと思ってる人に
奇跡を起こさせたいのです」と言ってたので
びっくりしたらあかん あたり前を装わなあかん って
ギクシャクしてる自分だったりしてた

それが 何の抵抗もなしに普通に対応できたのが
自分でも なんなんやろ?って思ってしまった。

なんとなく 「ほう、 そうか。」の世界だ。

その後 テレビで
「両耳の聞こえない作曲家」として知られていた佐村河内守さんの
ニュースが流れてた

僕が「べつにええやん」ってテレビに向かって言ったら
嫁さんが「そんなん自分が直接被害にあってないからそう言えるんよ」 
って返してきた。

そうかなぁ
佐村河内守さんも まったく聞こえないことはなくっても
耳に障害を持ってたのは確かだし
だんだん有名になってきて こんな大事になってしまったけど
ちょっと大げさに言ったことが
有名になったから ほんとのこと言えなくなって
ここまできてしまったかもしんないし
ひょっとしたら自分にだってそんなことあるかもしれないしなー
って思った

ちょっとした「ほう、そうか。」だ(^-^)

それに 今までの僕だったら
嫁さんの一言に すごく反発して
今の自分の考えを熱心に話してたけど

嫁さんの一言にも そういう意見もあるなぁ
「ほう、そうか。」って思った。

ひょっとして 魂のレベルが上がったのかもー!!
それか 朝なので ボーっとしてて
思考が停止してたのかもしれませーーーん( ̄▽ ̄;)

どちらにしても 
「ほう、そうか。」のレベルになるには
俗に言う 悟りのレベルなんでしょうーね。

生きているうちに悟れるんかなぁー(^。^;)

魂が震える話で いいのがあったので
紹介しま~す!

『あるお寺の住職が言うには、人の幸せというのは4つあるそうです。

一つは、人に愛されること

二つ目は、人にほめられること

三つ目が、人の役に立つこと

四つ目は、人に必要とされること

つまり、働くことによって得られるそうです。

それは昔から変わらないようで、お爺さんが山へ芝刈りに、
お婆さんは川へ洗濯に、の時代からもずーっと続いています。

「働く」の語源は「傍(はた)を楽にする」ともいわれています。

「はた」というのは他者のこと。

他者=自分以外の誰か

家族や一緒に働く仲間やお客様、
そういった人たちの負担を軽くしてあげたり、楽にしてあげる、
というのが「働く」の意味だったのです。

もちろん家事も、最高級に「傍を楽にする」ですね♪

人は、自分一人を満足させようと思っても幸せにはなれない。

美味しい料理を作って待っているのも、
部屋を綺麗に掃除してくれているのも、それを喜ぶ誰かのため♪

不思議と、だれかの為に一生懸命なとき、幸せを感じる生き物なのでしょうね♪

幸せに迷ったら、誰かを喜ばせる行動をしよう!!』


って内容でした。

マザーテレサの言葉に

『愛するために何をしていいかわからないなら、

ほうきを持ってその人の部屋を掃除しなさい。』

っていうのがある。
さっきの住職の言ってる言葉と一致してるなぁって思う

一つ目の 人に愛されること
三つ目の 人の役に立つこと
四つ目の 人に必要とされること

二つ目はどうなんかな?

マザーの掃除をしてあげることは
相手の人を愛すること 相手が愛されること
相手の役に立つこと 必要とされること ですよね!

人の幸せって 
相手の人を愛すること
そして 愛することのできる人は 
愛することのできる人自身 幸せになるんですね~(^-^)


幸せのメリーゴーランドやー\(^o^)/

最後は いつも通り 虚しい親父ギャグで終わりましたー(T▽T)


最近よく天王寺に出かける
大きなビルになった近鉄百貨店やQ'sモール
hoopやミオ
天王寺公園なんかすごくきれいになって
入場料を払わないと入れなくなってる

僕は30数年前 天王寺予備校に行ってた
その頃の天王寺は 今とぜんぜん違う

天王寺公園は浮浪者の人がたくさん居て
天王寺駅にも よくうろうろしてた
予備校生の頃 駅に居る浮浪者のおっちゃんと
駅の階段に座って よく話したこともあった

当時のいつものパターンは
予備校に行って 授業が終わってから
(いや 授業をさぼって)
予備校友達3人組(高校時代からの友達)と
喫茶店に行って パチンコに行って 負けて 
その後 アポロビルの上の階のゲームセンター
一回10円のをして お金がなくなって帰ってた
青春だったなぁ・・・

アポロビルの地下には食堂街があって
そこにある「にんじん」って喫茶店によく行ってた
三人で喫茶店に入ってアイスコーヒーを頼んでから
50円足りないのに気付いた
どうする? 
僕がパチンコで稼いでくるわって言うと
もう一人の友達が 
アイスレモンティだったら20円安いからって
お店の人に間違いだって言って難を逃れた事もあった
あの時はちょっとビビったなぁ

アポロビルの裏出口は細い路地で
沢山の古びた お店が並んでた
路地独特の異臭やおいしそうな焼き肉の匂いが入り混じった道を歩いてくと
ちょっと いや ずいぶん変わったおっちゃん達が道に寝そべってたり
うろうろしてたり 話しかけてきたり
その道をずっと行くと通天閣に続いてる

通天閣近くのパチンコ屋さんに行くと
右手親指が倍位に大きくなってるおっちゃんがいつも居た
当時は手打ちのパチンコが主流で親指でパチンコ玉を打つので
パチンコのしすぎで親指が巨大化したんだって思ってた

3人のうち一人でもパチンコで勝ったら
食べ放題の店でお腹いっぱい食べたのも思い出す
だから一人でもパチンコでリーチがかかったら
みんなで応援してた

今 天王寺に行くと建物も変わって 道行く人もおしゃれになってて
あの頃の街の面影は ほとんどなくなってしまってる

あの頃のおっちゃんはどうしてるんかなぁ
パチンコ屋のにいちゃんとか
にんじんのマスターとか・・・
時代は変わったよなぁ

あの頃の いろんな出来事 思い出は
僕の記憶の中にしか存在しない
いや おっちゃん達は覚えてるんかなぁ

最近ふと思う
あれって あの思い出って幻想だったん?って

もし 友達もおっちゃん達からも 
そんなの知らないよって言われたら どうなんだろ

でも あの時の街の雰囲気と今とでは 確かに違う
よくスピリチュアルで言う 「全ては幻想です」って
今ここ では 感じようとしても なかなか感じられないけど
過去のできごと 思い出は 時おり ふと 幻想だったんかなぁ
っておもってしまうことがよくある。

今 現在も もう何年かしたら 
いや 何十年かしたら そう思うんだろうなぁ 

何年か前にも 十年前にも あの頃はよかったなぁ
って思う ってことは 
今現在も何年かあとにはそう思うようになりそうな気がする

だから もうすぐ過去になる今を
未来の自分が あの頃はよかったなぁって
思えるような人生歩んでいければいいなぁ(^-^)


(今回のブログ
ちょっと変な文章になったような気がする・・・(^_^;))








寺内町でお店をしていると
いろんな宗教の人達が来る

少なくっても 
ものみの塔・統一教会・幸福の科学の方たち

僕の家は 僕が小さい頃からキリスト教で
母親の妹が牧師さんと結婚して
母親に連れられて 僕はよくその教会に行ってた
でも中学ぐらいからは 教会には行かなくなった

行かなくなった理由は
なんか ふだん着で行けないような雰囲気があったのと
まじめにしなくちゃって感じもあったからだ

それに一番の理由は 「信じる者は救われる」だ
世の中には いろんな宗教の人が居るし
無宗教の人だって居る
そんな中でもすごく優しい良い人もたくさん居るのに
キリスト教を信じてる人だけが救われるって
おかしいって思ったからだ

40歳前位 ちょうどリストラにあって
職を探してた頃 
仏教とキリスト教ってどこが違うんやろ?
いろんな宗教があるけど どんな教えなんやろ?
そんなことが気になって
宗教の勉強をしたことがあった
宗教関係の本を6~7冊買って 3ヶ月間
仕事も探さないで毎日読んでたことがあった
今思い出せば よくそんなことしてたなぁって思う

その頃に出会ったのが 今流行りのスピリチュアルだった
今でも この考え方が自分に合ってる
 
この考え方で自分の周りや 世の中を見ていくと
今までより ずっと心が楽になってるのがわかる

僕にとっての真実の道なんだなぁって思う

さっき書いた 信じる者は救われるも
その教え 考え方を信じた時
今までより ずっと心が楽になって 救われるんですよって
意味なんでしょうねー
ちょっと勘違いしてたような気がする。

世の中にはいろんな宗教があって
その中にはいろんな教えがあるけど
その宗教がその人にとっての真実の道なんだ

自分が その教えに救われたから
その教えをみんなに伝えたい
自分が笑顔になれたように
一人でも多くの人が笑顔になって欲しいって思いで
報酬なしで訪問してくるのって
僕はいつも すごいなぁ やさしいなぁ
ほんとの愛の人だなぁって思う

でもでも 一つだけひっかかるのが
その人は 自分の宗教が一番だと思ってるってこと

違うよー 
カレーが好きなんだけど めんたいこスパゲティは嫌いみたいに
みんなそれぞれ その人の好み 真実の道があるんだよー

それに どんな宗教だって 真理は説いてるよー
って言いたいなぁ


僕がそう思うってことは
そー そー 僕も人に同じようなことしてましたーーー!!

自分のスピリチュアルな考え方を
人に押し付けてたとこあるある!

自分が正しいって思ってたとこ あるよなー(>_<)


今日飛び込みで ベビーカーを押したお客さんが来られた
なんかつまらなさそう(思い悩んでそう)だったので
整体が終わってから オラクルカードを引いてもらったら
ピッタリだったのかな?
急に笑顔になって帰って行かれた

正しい 正しくない
信じる 信じない
まちがってる まちがってない

相手の人が笑顔になれば そんなのどーでもいいですよねー


だって笑顔になれるから 
宗教に入って笑顔になったからなんですもんねーo(^▽^)o




宗教

その頃読んでた本たち(^-^)




以前勤めてた整骨院の院長から 
少し前から何度も電話がかかってきてた
僕も忙しくって なかなか電話に出ることができず
すれ違いが多かった

やっと連絡が取れて内容を聞いたら
僕のチックの治療をしてくれるとのことだった

えっ? なんで院長知ってるん?
あっ そっか 確か前々回のブログでその事書いてたっけ

整骨院で僕のブログを読んでる人ってTさんしかいない

院長にTさんから聞いたんですか?って聞くと
そうです って言ってた

Tさん なんてやさしいんだろ

久々に整骨院に行くと 
いつものようにみんな笑顔で迎えてくれた
まだ退職して3年しか経ってないのに
なつかしい感じがする

でも なんか心が落ち着く
この感覚 しばらく味わってなかったなぁ・・・

やっぱ スタッフと一緒に仕事するのも楽しかったなぁ
って思う


それから Tさんに強制マッサージを強要され
嫌々マッサージをさせられたので
無理やりプリンをおごらせた(๑≧౪≦)

ってのは冗談で 感謝マッサージをしたので
プリンと缶コーヒーをおごってもらった\(^o^)/

それからスタッフみんな帰ってから院長と二人で
いろんな話をしながら治療してもらった


あくる日 出勤途中 久々に清々しい気分になった
太陽がきらきら輝いて 道行く人もなんだか楽しそうだった


ふと 昨日のみんなの笑顔を思い出した
ずいぶん長い間 嫁さんと二人で仕事してたよなぁ

お店にお客さん来てくれてたけど
仕事してたのは 二人っきりだったよなぁ

長い間 みんなとは疎遠になってた
でも 離れて疎遠になってても 心はつながってたんだ

僕はひとりじゃなかった 
心の通じ合う仲間が居たんだ


そう感じた
久々に 心から感謝できた

僕は 愛されてたんだ。

そう思うと こんなチックなんてどうでもよくなった
だって 今すごく幸せなんだから

みんな ありがとう
また 顔出しま~す!(^o^)/


(日頃 忙しくって友達にも会えていないみなさん
 もう 友達とも疎遠になってしまったって思ってても
 そんなことないっすよ! 
 あなたに何かあれば きっと飛んできてくれます
 いやいや そんなことは絶対ない 誰も来ないって思ってても
 きっと飛んできてくれます
 たとえもし 誰も来なくっても あなたには 
 あなたが生まれた時から
 いや あなたが生まれる前から 
 あなたを愛し続けてる方がいます
 
 声は聞こえないかもしんないけど
 体は見えないかもしんないけど 
 ずっと見守り愛し続けてる方がいます
 たとえあなた自身が自分は悪人だと思っていようとも
 あなたは ずっと愛されてますよ(^-^))



もう30年にもなるだろうか
僕が21歳の頃 富田林の会社に就職した
そこで出会ったのが5歳年上のSさん

Sさんは僕の友達の中では 一番の超変わり者
会社ではまじめに仕事してたが 
休憩時間になると僕のたばこを取る

kai「ちょっとたばこちょうだい」って
一日に何本も人のたばこを吸う
なんか 一日に一箱って決めてるみたいで 
なくなったら僕にたばこをせがむ

でも仲が良くって 会社の近くの池によく釣りに出かけた
僕が釣りをしてると近くに来て 
「どうや浮き引くか?」
って 自分の竿も見ないで そこら辺をウロウロする
Sさんは浮きを見るのがめんどくさいらしく
浮きなしで大きな餌を付けて池の中に入れてるだけだった

ある時 Sさんはいつものように
僕の近くに来てウロウロしてると
Sさんの竿が池の水面を流れるように動いてる

「あっ! 魚かかって竿持っていかれた!
kaiはよ なんとかせい」 
って僕に言ったが そんなのどうしようもない

すると Sさんは服を脱ぎすて パンツ一丁になって
竿に向かってまっしくらに泳いで行った
そのパンツも昭和時代の小学生が履くような白のパンツだ!

日曜日だったので 周りでたくさんの人が釣りをしてるのに・・・

泳ぐのはいいが 泳ぎがへたくそで
大きな水しぶきを立ててバタ足でバシャバシャしてる
周りの注目の的だ!

竿をつかみ 戻ってくる時は魚がかかってるらしく
何回も溺れかけてた

やっと岸について 見ると50cm位の大物の鯉が釣れてた
パンツ一丁で鯉を見せながら僕に

「ほらっ kai すごいやろ ほら!」 って遠くから僕に向かって
得意満面な笑みを僕に投げかけた
昭和白パンツなので ブツがくっきり写ってた

僕は恥ずかしくって 
全く他人のふりをして知らん顔をしたのを思い出す

ある時はSさんの自宅に遊びに行ったとき
しばらく家に居たが 
僕がSさんに「ちょっと外に遊びに行こ」 って言うと
何を思ったのか 「kaiちょっと待ってくれ」って
嫁さんのパート先に電話をかけて
「おい kaiが来てるんや はよ帰ってこい」 って電話をかけた

え~~!
嫁さんのパート先の会社に電話して呼び出してる!

なんで電話してるん?って思ったが放っておいて
しばらくしてから 「はよ行こや 家にいてもおもんないし」って僕が言うと

ちょっと待ってくれって
またもや 嫁さんのパート先に電話した

「あっ あいつ電話切りよった あはは」 ってSさんはうれしそうに笑ってた
案の定 嫁さんが仕事から帰って 
僕の目の前で嫁さんに何回も足キックされてた
嫁さんに足キックされてSさんは満面の笑みだったのを思い出す

なかなかいませんよねー こんな人


今回 僕がたまたまSさんの自宅の近くで仕事始める事になって
1年位経った頃だろうか
僕がSさんに 「あかん 助けてくれ 売上げがあがらんから
もうあかんわ」 っていたずらメールしたら
すぐに自転車で来てくれて

「kaiあほやな おまえは
ええから来い」 って言って近くのスーパーに連れていかれて
「ええから好きなもん入れろ」 って僕にスーパーのカゴを渡してくれた

「ほんまにあほやな おまえは」 って何回も言いながら
「はよ 入れろや なんでもええから はよ入れろ」 って言ってくれた

僕が 助けてくれって言ってるのに
なんでスーパーで 好きなもん入れろ やねん 
って突っ込みながら お菓子を入れてたら 涙が出てきそうになった

変わってるけどやさしいなぁ

あれから もう2年か
Sさんは 今だに休みになると
自転車で僕の店の周りをうろうろしてる。


もう何年になるだろうか
右目の下がピクピク動く 
チックだ

少なくても4年そんな状態が続いてる

最近 特にひどくなってきて口角まで引きつる
一日のうち半分以上がそんな状態だ

人と会うときなんて そんな状態になったりするととても嫌だ
だから 人と会うのがおっくうになってしまう

ネットで調べたら 片側顔面痙攣(へんそくがんめんけいれん)
の症状にぴったり一致する
顔の神経に血管がひっついてたり からまってたりして
顔の神経を血管が圧迫して そんな症状になるらしい
芸能人で有名なのが高樹 澪さん

症状がひどい人は手術で治るらしいが
頭を切開する大手術なので なかなか手術する人はいないらしい
高樹 澪さんは手術して完治したそうだ

なんなんこれ 
ぜんぜんうれしくないし おもんない!

すべては必然で最善なんだから
スピ的に考えて 

これは 自分の心の中を知るセンサーで
人と話してる時に右目がピクピク動き出したら 
僕はこの人に対して 自分じゃない自分を演じてるのかも 
これは すばらしい自分の心の中を知るセンサーだ!
と無理やりこじつけてポジティブに考えようとしたりしてた

でも無理やりはダメですよねー

だいぶ前のリーディングで
「あなたは どういう人ですか? 
あなたの良いところを言ってみてください」

って言われて 
「えーーーーっと」

って間があいたら 

「どうして言えないのですか」
「はずかしい?」
「なぜ はずかしいのでしょう」
「ジャッジされるから」
「そうですね あなたは人にジャッジされるのが怖いのです
人にどう思われようと よくないですか」
って言われたことがあった

そっか ちょっと気付いた
チックがだんだん悪くなってきたのも
どんな自分でもいいやん 
人にどう思われようがいいやん
目がピクピク動いてる顔
口角がひきつってる顔見られたっていいやん
って思える自分になれるようになるために
こんな事が起こってるんや


それを克服できれば 治る?

どうなんだろ・・・

スピの知らない人だったら
そんな訳のわなかんないこと言わんと病院行き!
って言われるだろうなぁ・・・

でも確かに人と話してる時
それも人数が多ければ多いほど
チックが止まってる事が多いような気がする

最近スピに染まりすぎて
病気の原因 それも奥にある 精神的な本当の原因を
考えるようになってる

たまに 
今までずっとスピに騙されてたんちゃうか
ほんとは そんなこと全くなくって
前向きな考え方をするための洗脳だったんじゃないん!?
って思ってしまう事がよくある

はたして根本の原因を克服することができたら
そんな症状や病気は治るんだろうか

ほんとのとこ どうなんだろ?


でも 後ろ向きより 前向きの方がいいよなぁー
どういう考え方しようが
スピであろうと なかろうと
前向きの方がきっとうまくいくし こころが楽になるのは確か

今はわかんないけど いつかわかる日が来ますよね きっと








それで思い出すのが 
十字架にはりつけになりながら その周りで楽しそうに遊んでる人たち

もう一つは 楽しそうに遊んでる人たちと一緒に遊んでる自分だ
(このフレーズは嫁さんのリーディングで出てきた)

周りの為に選択するって 
自分が苦しみながら周りを幸せにする自分

周りの事 いっさいがっさい無視して選択した自分は
周りと一緒に幸せになってる自分?だ


自分が苦しみながら周りを幸せにするって 
ほんとに行きたい道をあきらめ 
周りの人のため または恐怖から選択してる

恐怖は新しい選択をするときの不安だったり 
仕事だったら収入が減るのが恐かったり 
新しい場所での人間関係のこと考えたり

いっさいがっさい無視の選択は 
自分の本当に行きたい道の選択
自分は幸せでも 給料が減った場合 家族は笑ってるだろうか?

でもでも 苦しい顔して人生を歩んでるのを周りの人が見て
はたして周りの人は幸せなんだろうか?

やっぱり給料が少なくたって その人が意気揚揚でにこやかなら
周りの人も幸せなんだろうな~

それにスピリチュアルでは 
自分に正直な人は 全てがうまくいく って言ってる

自分に正直な人って 
自分の本当の気持ちに正直な人ってことだ
自分に正直な道を歩んでる人は 
その人のブループリントにも続いてるらしい

でも ほんとに自分に正直な道を歩んでる人って 
なかなか少ないような気がする

みんな 家族のため みんなのため 
将来の安定のため 給料があがる それが幸せだって決めてる

そうですよね 
今の社会見れば それが幸せなんだって思ってしまいますよね

みんながんばってるんだ
みんな やさいんだ 
家族のため 辛いことがあってもがんばってるんだ

でも でも・・・
一回きりの人生
自分のほんとに行きたい道を目指せなかったら
挑戦しなかったら
何のために生まれてきたんだろう

80代のご老人にアンケートを取ったら
『もっと冒険すればよかった』って回答が8割を越えるそうだ

悔いのない人生かぁ
果たして僕はできてるんだろうか・・・

できてないよなー
でも あちらの世界に移行する前に
『僕の人生 サイコーでした!!』って言って死にたいなぁ~(・∀・)