今回はひとり語りです。

多くの人にわからないことを、承知の上で書いています。


それは、ご迷惑に思う方もいるかもしれないから。けれど、万が一伝わるなら伝えたい人が、たったひとりだけいるからでもあります。


うまく言葉を選べそうにないのだけれど、なんとかエールをおくりたい。そんなことを思っています。




その方をはじめて知ったのは、今年の3月。Xで拝見しました。


その方は、とあるアーティストのファンだったのだけど。当時は好きが高じた結果、無償でそのアーティストの運営サポートをされていました。


3月に、そのアーティストが貶められるようなトラブルが発生。

そのときの、運営としての毅然としたポストの様子に興味を持ち。

偶然アメブロもされていることを知って、そこからアメブロも読ませていただいています。


ただ、その方は、ひとりでブツブツやっているのがお好きとのことなので。

あえてフォローはせず、「いいね」だけさせていただいています。


理知的な冷静な文章で、さっぱりしていてとても読みやすい。とても頭もいいし、切れ者なんだろうなぁ…と、思っています。



さて。その方。今日のブログで。

これまでサポートをしていたアーティストとの、関係を変更される旨を表明されました。


文章を拝見して。なるほど…と納得。

そして、しょうがないとも思いました。


3月からの様子を、この方が書かれる文章を通して拝見していましたが。



◎だんだんと、ファンによる無償でのサポートの枠を超えて、アーティスト側から仲間、身内と認識されている。

◎それにより、よい面もあるけれど、無償のサポートでは賄いきれない負担も増しているのでは?と、いつしか読んでいて気がかりに。



今回は、そう思っていた矢先の出来事でした。

そして今回のブログに書かれたアーティスト側の言い分も、私には理解できました。



◎アーティストとしての活動範囲が拡がると、それにともないメンバーへの責任、金銭的な責任も出てきてしまう。それならば新規ファンの獲得も考慮するのと、収入面の確保をする必要がある。



「あららー、アーティスト側の失策?」と思ったのは、本来無償のサポートを引き受けてくれている一介のファンであるその人に、どうしてアーティスト側は思っていることをそのまま言っちゃったかな?



完全に身内だと思っているから、その対処、営業的なことも「やってくれる?」だったのかな?と。でも、そうだったとは思えない。



もしかしたら。


年齢を重ねたバンドメンバーとアーティスト。ある程度活動の縮小を考えざるを得なかったのかも。




大きな節目を迎えている今年。

動いている大きなイベントがあとひとつ?


せっかくの企画、これはぜひ、無事に成功して欲しいと思います。




アーティストとの関係を変えたファンの方は。


きっと、今が分かれ目。

ご自分で決めたその流れが正解だと、わたしは思いますし、勝手ながら支持しています。アーティストよりもあなたの一ファンです。

残念なことに現在、Xはフォロー以外の方には閉じられてしまっているから。一般の方ですし、アメブロと同じく、あえてフォローはしません。

これからもアメブロでの、あなたの文章を楽しみにしています。

あと、お怪我、お大事にしてください。


また、アーティストとそのバンドメンバーの皆さん、これからもお体に気をつけて、楽しく、末長いご活動を。楽しみにしています。





私も部屋に戻されて。

少し寝たりしたのだと思います。


少ししてお母さんが帰ってきました。


腹痛の原因は盲腸ではなく、別な場所が炎症を起こし腹水が貯まっていたこと。徐々に腹水が貯まって、痛みが強くなったのだろうとのこと。


水を抜くためにお腹の中にガーゼと、傷口にホースで排水口を作っていること。



それから、お母さんがなかなか戻ってこなかった理由を聞きました。


祖母「なんだって、戻ってこねがらどしたもんだったかと」

母「だって先生、ホルモンみたいな盲腸、急に出すんだもの、びっくりすっちゃぁ」

私「んだね、んだね」



あとは治すばかりになりました。




手術当日と翌日は痛みと熱が出たりでほぼ寝たきり。あまり記憶がないです。


3日目から、歩行器を使って歩く練習。まだ動くと激痛。なので、初めはゆっくりゆっくり。


そのうち慣れてくると。傷の痛みよりも退屈さが勝り、若干、廊下を走り回るように。中身が本当に子供だったと思います。

「もう要らないから」と、歩行器を取り上げられました。



部屋は相部屋で。他のお部屋の方々とも交流がありました。


毎日、各部屋に挨拶に来るおじいちゃんがいたり、フロアのロビーや廊下で井戸端会議してたり。


「若いのに、なんの大病かと思ってたんだよ。手術したの知らなかったから。頑張って元気に振る舞ってるのかと」

隣の部屋のおばあちゃん。電撃的手術は、他の部屋の人には気づかれてなかったみたいです。退院の挨拶をしたらそう言われて、心配をされていたのかと、少し申し訳なく思いました。


大人ばかりの病棟。わたしが一番若かった。皆さんに可愛がってもらいました。



「あなたは患者さんと一緒に泣いちゃうだろうから看護婦は無理。ダメ。」

「看護婦さんになりたい」と言ったら、婦長さんに一刀両断されたり。「なるほど」と、すっぱりあきらめました。



担任の先生がお見舞いに来られて。アガサ・クリスティの小説「アクロイド殺人事件」を頂いたり。


人生豊富な患者さんの、色々なお話を伺いました。


色々思い出されますが、またの機会に。




お腹の傷は、13センチくらい。今は7センチくらいまで縮みました。


本来の盲腸手術の傷跡の倍くらいだそうです。


内臓を多めに出して、原因を探したから大きくなったそう。ちゃんと内臓がおさまってくれてよかった。


そういえば、手術時間も倍くらいかかったとか。それで手術途中で覚醒したようです。

追加の麻酔は無かったのは、注射した部分麻酔は効いていたからだと思います。



表面はホチキス留めされていて、内部は溶ける糸で縫われていたそうです。


ホチキスから少し離れたところに1ヵ所、8ミリ口径位のホースが出てました。腹水が抜けないうちは退院できないとの事で、約2週間を病院で過ごしました。


ホースと、ホースに繋がっていたガーゼ状のものを、ずるずるっと抜き取って。ピッピッピッピッと、ホチキスの針を抜いて退院。


退院しても暫くは自宅で安静。傷の痛みと手入れの必要はあるものの、大義名分があるからと、楽しく寛いでました。


冬休みに突入。全く勉強せず、休み明けの実力テスト。物理0点。


生涯初の0点。ショックでした💦



ところで。


わたしの場合、傷口が完全に癒えるまで、2年位かかりました。


どうやら体内で使用してたガーゼの残り糸があったみたいです。

白い小さな1ミリ程度のものが、たまににょきっと出てきて。6回くらいかな?ピンセットで引っ張ると簡単に抜けました。

そのため、ホースの傷跡だけがなかなか塞がりませんでした。



痛みは、傷自体の痛みはなくなっても、体を動かした際に中の方が突っ張るような感じの痛みが残りました。


めったにありませんが、今も起きることがあります。そうした時は、この手術をしたことを思い出します。




前編、後編と書かせていただきました。

誰かの退屈しのぎになれば幸いです。


お読みいただき、ありがとうございました。






思い出しながら書いていたら、長くなりました。前後編でお送りします。


そして、かなり昔、娘の頃の話なので。思い出し方が断片的なため、書き方が独特。ご容赦ください。




 平成元年。16歳の11月。

お腹の痛みがひどくなりました。


それまでも月に2、3日、動けないくらい痛い日が続いて。学校を休んでばかりになりました。


その半年くらい前の、高校入学の頃。

友達が見立て違いで盲腸から腹膜炎を起こし、入学式はおろか5月中旬まで学校に通えないという、大惨事が。


その前の年の夏、別の友達が盲腸で入院…と続いていたので。

もしや私も?3人目??と、病院へ。



当時、その辺りでは多くの人が通っていた胃腸科内科。診察した先生が言いました。


先生「良くわかりませんが盲腸かもしれない。大事を取って、大きな病院へ紹介状を書きます」


別な、少し大きめな病院へ。


先生「盲腸かなにか、良くわからないね。切ってみてみるのが手っ取り早いね」

母・私「そうなんですか?」

先生「ちょうどベッドの空きがあるから今夜は泊まろうか」


その夜は入院になりました。




朝、目覚めると。


看護婦さん「今日午前中に手術することが決まったよ」


ご飯はなく点滴、剃毛、あれやこれや。


そうこうしてるうちに、お母さんが来ました。


母「なんだっちゃや!電話してくれれば良かったのに」


そんなこと言われましても。

看護婦さんの言うこと聞くので手一杯。


背中に注射を打ちました。


ストレッチャーに乗せられて。


私「行ってきます」

母「しっかりね」


ストレッチャーから手術台に移されて。


先生「これ吸うと、すぐ眠くなるからね」

「目が覚めたら終わってるから。大丈夫」


そして眠りに落ちました。




目が覚めると、まだわたし、手術台にいました。


先生「ここじゃないな、探して!」

先生「あ!あー、これだ」


どうも腸を引っ張り出したらしく、舌がのどの奥に引っ張られる感じ。お腹が熱い。


私「ぐえっ」

先生「あ、目、覚めた?もう少しだから我慢ね」


今度は内蔵を突っ込まれる感じ。整理整頓されてない机のなかみたいに、無理くり入れられてる感じ。吐き気が強い。


私「うぅっ、気持ち悪い」

先生「大丈夫、腹圧強くて入りが悪いだけだから。じきおわるよ」


バチン!バチン!バチン!バチン!


先生「ほら、終わったよ」

助手さん「頑張ったね」


ストレッチャーに移されて。

手術室を出たら、お母さんではなく母方の祖母がいました。


祖母「大丈夫が?」

わたし「ばあちゃん…」


この時緊張の糸が切れたみたいで。泣きました。



その頃お母さんは。


先生「盲腸はこの通り。綺麗でした」

母「!!!!!」


母曰く、突然先生の手の中から出てきた、ピンク色のホルモンみたいな物体を見て、意識が遠くなり。


先生「あ!これは大変だ!」


貧血かなにかを起こして、別室のベッドで寝込んでいたようです。

「点滴された」と言っていたような気もします。