私も部屋に戻されて。

少し寝たりしたのだと思います。


少ししてお母さんが帰ってきました。


腹痛の原因は盲腸ではなく、別な場所が炎症を起こし腹水が貯まっていたこと。徐々に腹水が貯まって、痛みが強くなったのだろうとのこと。


水を抜くためにお腹の中にガーゼと、傷口にホースで排水口を作っていること。



それから、お母さんがなかなか戻ってこなかった理由を聞きました。


祖母「なんだって、戻ってこねがらどしたもんだったかと」

母「だって先生、ホルモンみたいな盲腸、急に出すんだもの、びっくりすっちゃぁ」

私「んだね、んだね」



あとは治すばかりになりました。




手術当日と翌日は痛みと熱が出たりでほぼ寝たきり。あまり記憶がないです。


3日目から、歩行器を使って歩く練習。まだ動くと激痛。なので、初めはゆっくりゆっくり。


そのうち慣れてくると。傷の痛みよりも退屈さが勝り、若干、廊下を走り回るように。中身が本当に子供だったと思います。

「もう要らないから」と、歩行器を取り上げられました。



部屋は相部屋で。他のお部屋の方々とも交流がありました。


毎日、各部屋に挨拶に来るおじいちゃんがいたり、フロアのロビーや廊下で井戸端会議してたり。


「若いのに、なんの大病かと思ってたんだよ。手術したの知らなかったから。頑張って元気に振る舞ってるのかと」

隣の部屋のおばあちゃん。電撃的手術は、他の部屋の人には気づかれてなかったみたいです。退院の挨拶をしたらそう言われて、心配をされていたのかと、少し申し訳なく思いました。


大人ばかりの病棟。わたしが一番若かった。皆さんに可愛がってもらいました。



「あなたは患者さんと一緒に泣いちゃうだろうから看護婦は無理。ダメ。」

「看護婦さんになりたい」と言ったら、婦長さんに一刀両断されたり。「なるほど」と、すっぱりあきらめました。



担任の先生がお見舞いに来られて。アガサ・クリスティの小説「アクロイド殺人事件」を頂いたり。


人生豊富な患者さんの、色々なお話を伺いました。


色々思い出されますが、またの機会に。




お腹の傷は、13センチくらい。今は7センチくらいまで縮みました。


本来の盲腸手術の傷跡の倍くらいだそうです。


内臓を多めに出して、原因を探したから大きくなったそう。ちゃんと内臓がおさまってくれてよかった。


そういえば、手術時間も倍くらいかかったとか。それで手術途中で覚醒したようです。

追加の麻酔は無かったのは、注射した部分麻酔は効いていたからだと思います。



表面はホチキス留めされていて、内部は溶ける糸で縫われていたそうです。


ホチキスから少し離れたところに1ヵ所、8ミリ口径位のホースが出てました。腹水が抜けないうちは退院できないとの事で、約2週間を病院で過ごしました。


ホースと、ホースに繋がっていたガーゼ状のものを、ずるずるっと抜き取って。ピッピッピッピッと、ホチキスの針を抜いて退院。


退院しても暫くは自宅で安静。傷の痛みと手入れの必要はあるものの、大義名分があるからと、楽しく寛いでました。


冬休みに突入。全く勉強せず、休み明けの実力テスト。物理0点。


生涯初の0点。ショックでした💦



ところで。


わたしの場合、傷口が完全に癒えるまで、2年位かかりました。


どうやら体内で使用してたガーゼの残り糸があったみたいです。

白い小さな1ミリ程度のものが、たまににょきっと出てきて。6回くらいかな?ピンセットで引っ張ると簡単に抜けました。

そのため、ホースの傷跡だけがなかなか塞がりませんでした。



痛みは、傷自体の痛みはなくなっても、体を動かした際に中の方が突っ張るような感じの痛みが残りました。


めったにありませんが、今も起きることがあります。そうした時は、この手術をしたことを思い出します。




前編、後編と書かせていただきました。

誰かの退屈しのぎになれば幸いです。


お読みいただき、ありがとうございました。