体操男子で盛り上がった団体戦。あの「栄光の架橋だ~」の絶叫も団体戦だからこそ。
その後の個人総合や種目別も団体戦の盛り上がりに比べればいまいちです。
女子フェンシングの江村選手は帰国後のインタビューでフェンシングは1対1の対決ですのでサッカーや野球のような団体競技とは異なるので団体戦というもののイメージがわかなったけれどいざメダルを受賞した時の喜びは個人戦では味わえないものだといっていました。
長野五輪のジャンプ。「ふなき~~」という原田の願いを込めたジャンプは優勝を決める大ジャンプで語り草になっています。
柔道団体戦が五輪に導入されたのは東京五輪からでした。東京五輪では個人戦で男子5個女子4個の金メダルを獲得しましたが、最後の団体戦でフランスに敗れ柔道競技最後の歓喜はフランスでした。このとき何か物足りないものを感じました。団体で負けると悔しいのは、やはり国対国の対抗になる要素が強いからでしょうね。
その意味では鈴木桂司監督は団体戦でリネールの相手に斎藤立を選んだ責任は重いですね。選んだ時点で「高山と斎藤は難しい」と述懐していたそうですが、高山選手の場合、素根選手の怪我欠場でいたしなかったのですが、斎藤選手は個人戦で重い体重を持て余し、コロコロ投げられ締め技で仕留められました。本人も「日本に帰れない」といったくらいふがいなかったわけですが、わざわざリネールの相手に選ぶなんてどうかしています。100k級のウルフアロン選手を選ぶ手もあったはずです。まだウルフ選手のほうが技のキレ味はあります。
角田選手、阿部選手、高山選手は体重差があっても起用したのに何であそこで斎藤選手だったのでしょうか。団体戦で本気で勝つつもりならあの選択は猛省すべきでしょう。