一応魚拓はとっています。
さてここでブログ主が用いた
バットとボールを合わせて¥1100です。
バットはボールより¥1000高い値段です。ではボールの値段はいくらですか?
の問いですが、これは小学算数レベルの問題です。
問題がここで思考誘導がなされているということです。まずほとんどの人が間違った回答をすると書いていますが、そこでエホバの証人の出版物を写真に乗せることでほとんどのエホバの証人が小学算数程度の知恵しか持っていないという思考誘導をしています。そして「生命」の書籍が出て喜ぶエホバの証人を幾分冷笑、侮蔑的に見ている筆致です。
もちろんそういう人も多いかと思いますがしかし一般人とエホバの証人の統計を取らずしてこの種の論議を展開するのは一方的なこじつけでしょう。
私はここで「生命」の書籍について話を展開するのか思いきやそうではありませんでした。でも彼女のそういう論法をふわりと信じる人たちは「生命」の本が小学算数レベルの論理を展開し、それをありがたがる人もまた小学算数のレベルの知能しかもっていないかのような書き方です。
エホbの証人が非科学的かどうかではなく、議論は創造論と進化論のどちらが科学的かに焦点を当てるべきでしょう。なぜなら生命の」本を写真を撮ってあげたのですから。こういう手法はそれこそエホバの証人の出版物で元素記号表を掲載しただけで科学的だと思わせようとする手法と同じなのです。
私は創造論が100%スキのない科学だと言えるかというとそうではないと思います。なぜなら科学者の中には進化論を信じている人が多いからです。何しろ進化の証明だという発見をした人がノーベル賞を取るご時世です、山中教授ですら、「進化論ではなく、進化学と呼ぶべきだ」と言っています。
しかしながら進化論が100%スキのないかが気かといえるかどうかもまた疑問です。ですからどちらがスキがあるかを論じるべきなのです。私は進化論のスキをついており、そしてどちらをとるかというと創造論をとります。
また創造を信じることとエホバを信じることを同一視し、エホバを否定すれば、あるいは聖書を否定すれば、創造を否定できると考えておられるようですが、そこには論理の飛躍があります。エホバではないにしても、創造論を信じている人は数多くいるからです。
エホバを信じなくても創造者を信じているのはイスラム教徒もそうだからです。


