騙されて幸福なのと、真実を知って不幸になるのとどちらがいいのだろうか:田中弁護士の問題点。 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

これは昔からよくある課題です。

 

配偶者が裕福で順風満帆だと思っていたのにもかかわらず、その浮気を知ってそれまでの幸福な家庭が一気に破壊されるということがよくあります。

 

そこで問題なのは配偶者に騙され、何も知らないまま幸福であるのとどちらがいいのでしょうか。

 

私はずっと前者だと思っていました。

 

ところが真実を知り、配偶者と離婚をし、子供を引き取って生活を始めたものの、経済的には苦境に陥り、やつれた生活を送らざるを得ない場合も出てきます。表情は険しく、笑顔も出てこなくなりました。

 

騙されている状態では、虚飾の生活とはいえ、本人は家族と楽しい生活を送り、笑顔が絶えません。

 

この時あなたが第三者的立場にいるならば、本人に配偶者の不貞行為を知らせ、「あのろくでもない配偶者から救ってあげたい」といって何も知らない人に真実を話すでしょうか。

 

田中弁護士が親を救いたいというのはそういうおせっかいな第三者と同じなのです。

 

田中弁護士の母を組織から救い出したいというのはあくまでも田中弁護士の個人的価値観と見解に基づくものです。実際母親が組織にいることで救われているのであれば、それに口出しするのは僭越です。

 

田中弁護士が母親を救うというのは同時に母親から友人を奪うことでもあり、孤独感を与えます。それを救いだというのは非常に思いあがっているとしか言いようがありません。田中弁護士は母親から奪ったものに勝るものを母親に与えることができるのでしょうか。

 

田中弁護士は国際的に活躍し、その有り余るほどの能力を存分に駆使し、知己も多く、さぞかし充実していることでしょう。でもその人間関係を母親が培うことができるでしょうか。それで母親を取り戻すことができたというのは田中弁護士自身の都合でしかないのです。

 

田中弁護士はエホバの証人時代の写真を数多く紹介していましたが、大会や集会では結構笑顔です。また建設奉仕なども楽しんでいるようでした。一方で今の田中弁護士は眉間にしわを寄せ、いつも何かケンカ腰です。表情だけをみると、昔のほうが幸福のように思えます。

 

最初に用いたたとえにはもう一つの見方もあります。それは「真実を知っても、家庭を維持しようとする」ということです。

 

配偶者の不貞行為を知っても、もはや達観し、それでも家庭を維持しようとする人がいます。梨園の三田寛子などはその例と言えるでしょう。今後どうなるかはわかりませんが、少なくとも今のところ離婚をしていません。

 

おそらく今のエホバの証人はその見方の人が多いことかと思いますね。組織が間違っていたり、おかしいと思うことには気づいていますが、それでも長年にわたって築き上げた人間関係を捨てるわけには行かないのです。この長年住み慣れた住処を捨てたくないというのは、今奥能登で被災にあった人が二次避難をしたくないという高齢者が多いことからもわかります。

 

田中弁護士は今後も組織の悪いところを、被害弁護団を使ってこれでもか、これでもかと言って糾弾するでしょう。しかしそれは平和な家庭を維持している人に「お前の配偶者の不貞は1件や2件ではない。数十件にも及ぶのだ、それでも離婚しないのか」と迫っているのと同じです。ふつうそういう言葉など聞きたくないと思うでしょう。そしてその数十件の中には実はでっち上げた虚偽の事例があったならいかがでしょうか。元出世幹部のように事実をゆがめて発言する人間も用いた以上、その可能性は高いと相手は判断するでしょう。

 

また世の人と結婚し、離婚し、そして再婚した人も用いました。その方は一度離婚しているので、エホバの証人の教えから離れた後自由に生きてきましたが、離婚ということで事実自分の家庭を破壊した経験をお持ちです。いまは幸福アピールをしていましたが一度目の結婚は不幸だったのではないでしょうか。離婚したのですから。それが自分を取り戻すということを訴えても、性道徳で自制心を働かせて、家庭を守ろうとするエホバの証人に対して説得力があるでしょうか。


それでも「救ってあげたい」と言って自身を正当化するならば、相手の感情や気持ちに対する配慮はないのです。それで母親を「取り戻す」なんてのはおこがましいのです。実際取り戻すどころか母親は遠くに去っていきました。弁護士であるならばその人の価値観や生き方に配慮することが望まれます。