古賀茂明は全く正しい:メディアはジャニー喜多川を性加害者者というのではなく連続強姦魔というべき | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

古賀茂明は反自民、反維新でその政治史姿勢に対しては同意できない部分が多いのですが、「喜多川とその一味」問題に対する意見は全く同じです。損害賠償をメディアも負担すべきというところもまた同じです。私の記事を読んだのかと思えるほどです。あり得ないですけどねw

 

ミヤネ屋はじめ各局はジャニー喜多川の犯した青少年連続強姦という実にケダモノの所業を「性加害」という実にあいまいな言葉で描写しています。性加害には盗撮や軽微な痴漢行為も含まれていますが、そのような表現で喜多川の犯した凶悪犯罪のイメージを薄めようと姑息な忖度をしています。

 

普段の報道で連続少女強姦魔が逮捕された場合、ワイドショーは格好のネタとばかり取り上げ、送検の時には周囲のヤジ馬が怒号を飛ばします。仮に被害にあった少女が二けたにも上ろうものなら、懲役30年くらいくらわしてやりたいと思うでしょう。塾の講師や学校長が女子生徒の下着を盗撮しただけで世間は大騒ぎしているのです。

 

ジャニー喜多川は数十年にわたって数百人の青少年に対して強姦行為を行っていたのです。しかも権力と金を使い、「有名になりたい」と思う子供たちの承認欲求と功名心に付け込んで行なった極めて卑劣な犯罪なのです。

 

被害にあった子供が親にも言えないと思ったのも、強姦に合った少女が親にも言えないと思う心理とまったく同じなのです。

 

「性加害」などというヌルイ言葉で表現できるものではないのです。

 

 

まず、この犯罪の凶悪性、悪質性が日本では明確に認識されていないきらいがある。特に指摘すべき点を4つ挙げておこう。  

第一に、「性加害」という言葉の問題。日本のマスコミはこの表現を好んで使う。  

 だが、単に「性加害」というと必ずしも暴行や虐待とは直結しない。これを英語にするときは、「sexual assault」または「sexual abuse」という言葉しかないのだが、これをもう一度日本語に訳すと「性的暴行」「性的虐待」となる。

 「性加害」よりかなり強い言葉だ。「レイプ」はこれらの中に含まれる最悪の犯罪形態である。  

 ジャニー喜多川の行為は、現行刑法で言えば、不同意性交罪だが、ついこの前までは強制性交罪と呼ばれていた犯罪ある。それ以前は被害者が男性の場合は性犯罪にはならず、女性に対する犯罪のみ「強姦罪」として処罰された。ジャニー喜多川の行為は、男性に対する「強姦罪」であり、いわゆる「レイプ」犯罪である。これが数百人の少女に対する犯行だとしたら、世論の反応はどうであろうか。人々の憤りは烈火の如く燃え広がり、問答無用でジャニーズ事務所解体!となっていたのではないか。「性加害」という言葉を使うことで日本語での語感が弱められてしまうので、ここでは、あえて「レイプ」という言葉を使うことにより、女性に対する性暴力と同じ意味を持つ行為だということを明確にしておきたい。この言葉を聞くことにより、多くの人々はドキッとし、より強い気持ちで「酷い」と思うはずだ。

 第二に、犯罪の対象が未成年者であること。自分や身近な人の子供がレイプされることを想像してほしい。ますます「許せない!」となるだろう。  

 第三に、一度ではなく、同じ子供に対して繰り返しレイプが行われたということ。一度でも取り返しのつかない心の傷を負わせるのに、それを何度も行っていた。精神的殺人といっても良いだろう。総件数でいえば、数百件になるとされている。驚きの犯罪規模だ。  

 第四に、優越的立場を悪用した卑劣な犯罪だということ。物理的な暴力を使わなくても、抵抗する術を知らない子供を「手籠にした」のだ。暴力以上に卑劣な手段ではないか。いくら憎んでも憎み足りないと感じる人が多いのではないか。  

 これだけの犯罪を行った人間に対しては、もし生きていれば最高刑が科されただろう。殺人は犯していないので死刑にはならないが、複数の犯罪を犯しているので、不同意性交罪の加重刑の最高刑である30年の拘禁刑にすべき事案だ(拘禁は、懲役と禁錮を統合してできた刑事罰で、2025年までに施行される)。

 以上のことを確認した上で、9月7日のジャニーズ事務所の記者会見を振り返ってみれば、ほとんどの人が、「ふざけるな!」と感じるのではないだろうか。  

 ようやく事実関係を認めたのは前進などという人もいるが、これだけの大犯罪を隠し通せるわけがない。悔い改めて認めたのではなく、追い詰められて自分たちの保身のために自白したに過ぎない。  

 その証拠に、前社長の藤島ジュリー景子氏は代表取締役に残り100%株主として君臨する。ジュリー氏の幼馴染で、自らもセクハラ・パワハラ疑惑の渦中にあるジャニーズ事務所所属最古参のタレント東山紀之氏が社長になる。そしてジャニーズの名前は残す。  

 はっきり言って、何も変えないと言っているに等しい。  

 ジャニーズタレントが可哀想だという芸能記者の記事を載せる媒体もあるが、これもまた人権感覚ゼロの変われない勢力の一部である。

 タレントが可哀想かどうかは、個別に判断すべきだ。東山氏などは、むしろ加害者側にいた可能性があるので、まずは東山氏の性加害を受けたという被害者の声を聞いて、それに白黒をつけるべきだろう。  

 そうした疑惑のないタレントについては、テレビ局などが他の事務所を紹介するか独立させるなどして、ジャニーズ事務所を介さずに出演する道を開けば良い。ジャニーズ事務所への忖度で出させてもらっていたタレントは、この機会に仕事を失うことになるかもしれないが、やむをえない。  

 むしろ、これまで、実力がありながらジャニーズ事務所のせいで出演できなかったタレントには新たに公正な機会が与えられるので望ましい。視聴者にとってもその方がプラスだ。  

 被害者救済について、ジャニーズ事務所は会見で、独立した第三者の委員会を設けて、時間的な制約なく、厳密な証拠も求めない柔軟な方針で進めるという趣旨の発言をした。  

 これは評価に値すると思ったのだが、13日に発表された被害者への補償策を見るとほとんど具体性がなく、本気度が疑われるものになってしまった。 

 「被害者救済委員会」が設置されるが、そのメンバーの独立性が担保されていない。本来は、日本弁護士連合会の推薦によるなど独立性の保証を明確にすべきだった。また、補償の基準も示していない。これではどんな救済になるのか全く不明のまま相談に来いと言っていることになる。あまりにも横柄な態度ではないか。  

 また、今後1年間は広告出演と番組出演などで発生する出演料は全てタレント本人に支払い、芸能プロダクションとしての報酬は受け取らないとしているが、それは、タレントが逃げ出さないように予防策をとっただけだと考えた方が良い。そもそも、1年だけという理由も不明だ。1年経てば批判も収まると考えているのだろうか。  

 今回の救済策では、ジャニー喜多川の性加害だけが対象となっている。東山氏など他のメンバーの疑惑については蓋をするという宣言でもある。

 救済の原資も不明だ。ジャニーズ事務所の財産に限定するつもりかもしれないが、それは許されない。ジュリー氏の個人財産も拠出すべきだ。彼女の財産も元を正せば未成年者を犠牲にして得た利益である。それを守ることは正義に反することだと誰にもわかるだろう。

 ジャニーズ事務所の次に問題となるのは、テレビ局だ。  

 多くの識者が指摘するとおり、テレビ局は完全な共犯者である。問題を知りながら目を瞑り、ジャニーズ事務所に忖度して一切問題の真相を明らかにしようとすることなく、裁判でジャニー喜多川が敗訴した時でさえ報道を抑え、多くのジャニーズタレントを使い続けた。  

 そこで、テレビ局は、過去に遡って、報道のタイミングがあった時になぜそれをしなかったかの事実関係について詳細な検証を行うべきだ。その検証は、誰がいつどのようにして報道を抑えたのかを具体的に明らかにしなければならない。あるいは、不作為の責任も追及する必要がある。そして、それらに対する責任者の処分を行うことが必須である。  

 さらに、責任の一端を担う形で、被害者賠償に対して資金提供すべきだ。  

 今回の問題について、テレビ局は非常に軽く考えているようだが、それは、これが過去の話だと勝手に思い込んでいるからだろう。「過去のことは謝ります、将来については気をつけます」で済むと思っているのだ。  

 しかし、残念ながら、これは過去の問題ではなく、現在の問題である。

 私があるテレビ局関係者に聞いたところ、ジャニーズの件は、記者会見など外部で動きがあればやむをえず報道するが、自分たちの問題を取り上げて検証するなどあり得ないという。誰かが命令する必要もなく、ずっと前から、ジャニーズ関係のスキャンダルの報道は御法度だった。それは今も同じで、トップの意向ははっきりしていると言い切った。  

 この局は、会長の独裁体制で、ジャニーズ問題への対応が特に後ろ向きだということで知られているのだが、他の局でも、程度の差こそあれ同様の状況があるようだ。  

 NHKが「クローズアップ現代」で検証報道を行ったと話題になったが、前述した本物の検証には程遠く、アリバイづくり以外の何物でもなかった。検証の結果誰に責任があるのかなど、全く明らかにされていない。これでは、将来同じことが起きても、また誰も責任を取らずに終わるだけ。この程度の検証では、将来への歯止めにもならない。

 ちなみに、日本のマスコミがこの問題を取り上げざるを得なくなったのは、被害者たちの実名告白もあるが、何よりも、今年3月に放送された英国BBCのドキュメンタリーが最大の要因だ。同じ報道機関でありながら、ここまで姿勢が違うのかと、一部の国民は驚愕した。

 そのBBCは、元人気司会者ジミー・サビル氏による児童性虐待の問題が、2011年の同氏の死後明らかになった後、責任を認めて、同氏の遺産に加えて損害賠償資金を提供した。この事件については、Netflixが昨年検証ドキュメンタリーを配信して話題になったので、ご存じの方もいるだろう。  

 そして、その時の教訓がしっかりと生かされていることがつい最近の出来事で明らかになっている。BBCのある司会者が10代の子供に性的な写真を要求し、金銭を払い続けたとする報道があった後、単なる疑惑段階で、BBCは警察にコンタクトし、この司会者を出演停止にしたのだ。  過去のことでもしっかり責任を取り、次の事態で教訓を生かす。日本のテレビ局とは天と地ほどの差がある。  

 日本のテレビ局が変われないという話を書いたが、おそらく彼らも逃げきれなくなる時が来たようだ。

 まず、スポンサーが脱ジャニーズで動き出した。テレビ局はそれに向き合わざるを得ない。  さらに、この問題がBBCで報じられた後もなお説明責任を果たすこともなくジャニーズタレントを使い続け、事実であるとジャニーズ事務所が認めた後でさえジャニーズタレントを使い続けるテレビ局は苦しい立場に立たされる。担当プロデューサーの責任ですということでは済まないはずだ。ことの重大性からいえば、経営トップは辞職に値する。  

 この問題がどうなるのかについて、あるテレビ局関係者は、「カギは文春ですよ」と小声で囁いた。真っ先にこの問題を報じながら、すべてのテレビ局に黙殺された「週刊文春」が手ぐすね引いてテレビ局批判を展開するだろうというのだ。  

 残念な気もするが、それに期待するしかないのが、日本メディアの現状である。