信仰のない人のエホバへの感謝がずれているところ | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

ジャンヌダルクがどれほど苦境に陥っても神を呪うことをせず、神に感謝をささげていたように、エホバの証人でもどれほど苦難にあっても神に感謝を表す人はいるでしょう。

 

もっともエホバの証人は、ジャンヌダルクを評価していませんし、しょせんカトリックの聖人だということで歯牙にもかけないでしょうけど、私から見れば、窮に臨んで嘘ばかり吐き、世間の非難の火だるまになることからトンズラかましたその卑怯、姑息ブルが情けない日本支部広報やそれを容認した乳井健司を首魁とする支部委員全員は彼女の足元にも及ばないでしょう。東大卒の学歴が生きていく知恵としたまったく役立っていないのは哀れでしかありません。

 

ただ何事にもエホバの感謝するというのを少々誤解している人もいるようです。

 

確かに私たちの生活の中で私たちの生活を支えて下さる多くの人たちはエホバの証人ではありません。実際例えば空港やフェリーなどを利用するときにも、いや毎日食べている食材を作ってくださった方や行政サービス、医師や看護師立ち、停電の時に即座に復旧してくださる電力会社の下請けの方々、警察、自衛隊、消防などありとあらゆる人のおかげで私たちは生きていけるので、彼らに感謝しないですべてを「エホバのおかげだ」というエホバの証人たちに残念な思いをするのは十分理解できますし、それに対して全く異論はありません。

 

エホバの証人が周囲のエホバの証人に感謝しないのは「やがてハルマゲドンで滅びる」というとんでもないことを信じているからであり、それは恐ろしいほど無感動で無関心な信仰であると言えるでしょう。

 

ただ今の私はエホバの証人の活動をやめたとはいえ、そういう周囲の人たちにはエホバの証人時代よりもはるかに感謝しています。実際サービスエリヤなどでも黙々と清掃をして下る方には「いつもきれいにしてくださってありがとうございます。」と以前よりもはっきりと口にします。

 

今はスーパーのレジの人のも必ずお礼を言います。街中で交通整理をして下っている警察官にはタイミングが合えば敬礼をしますし、近くにいるときには感謝します。「治安を守ってくださってありがとうございます。」というと必ず笑顔で返していただきます。

 

だから自衛隊のヘリコプター事故は本当に心が痛みます。国を守ってくださる方々の犠牲はやるせないですね。

 

いろんなところで働く人が家に帰って「今日は感謝してもらった」と家族で話題になればいいなと思いますし、実際感謝しています。

 

ただそういう人間というものを創造してくださったのは創造者ですし、食材をおいしくいただけるの創造者のおかげです。芳香を放つ花や目に映える自然を作ってくださったことに感謝しています。

 

近藤春奈並みに「エホバじゃね~よ」という人もいますが、ではその人は周囲の人に感謝を実際表しているのでしょうか。街角に立つ警察官に頭を下げているでしょうか。公共施設でトイレ掃除をしている人に対しては如何でしょうか。

 

別にそれをしないからと言って全然問題はありません。というかしないのが普通です。私も今まではしませんでした。だからと言ってそれで自分の人格を否定されると反発を感じたことでしょう。

 

でも今はテレビなどを見ていると「人の役に立ちたい」という若い人を見ると感動しますが、こういうアガペー愛を持つ人間というものを創造してくださった創造者に対しては現役のころ以上に感謝しています。ただ創造者に対する信仰がないのであれば感謝する対象がいないのですから仕方ないですね。なんといっても「エホバじゃね~よ」の主張は、創造者を認めていれば多分出ないでしょうから。別に認めろは言いませんが、認めている人の気持ちとは少しずれている気がします。

 

私にとって覚醒とはそういうものですね。現役時代にように世の人全否定だとそれができませんでした。そういう見方を持てませんでした。