輸血拒否をネグレクトという範疇に入れていいものかどうか:支援弁護団への懸念 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

 

 

この記事に対してコメントが来たので記事で回答いたします。

コメント内容は以下のものです。

 

「メディア報道の支部広報のコメントが真実なら問題があると思います。「ムチを用いてのしつけについて見聞きしてはいたが組織は指示していない」、本当にそうでしょうか、正直に振舞うようにと聖書の言葉を教えているのに自らうそをつくことに恥じらいはないのでしょうか?また見て見ぬふりは学校でのいじめを教師は知りながら何の手立ても指導もすることなく生徒を死に追いやっている輩と同じではないのでしょうか?」

 

メディアがものみの塔候補脳の回答文全文を報じているかどうかは、やや疑問の余地の残るところですね。ただ発せられた言葉そのものはものみの塔日本支部がクリスチャンとして、宗教指導者として、そして人間としての良心の欠落を示しているものとしては十分だとは思います。

私は体罰と輸血拒否問題は別問題として扱うべきものだと思います。聖書の中には文字通り子供に鞭を与えることが必要だと書いています。ただ異常ともいえる虐待に近い過度な体罰までは容認していません。ですからエホバの証人の親でも子供への体罰には個人差があります。ある親は1発ある親は100発、また体罰自由にも個人差があります。集会で寝ていたら体罰を与える親もいれば与えない親もいます。ですから戒律とまでは言い切れません。この点日本支部が逃げおおせる口実はある程度あります。ただものみの塔協会が体罰を推奨していたことは事実であり、それに対する広報の虚偽回答も噴飯ものです。貴殿は私の過去記事をどこまでお読みなったかはわかりませんが、貴殿の質問に対してはいずれもYESという立場で私は記事を書いています。

しかし輸血拒否はエホバの証人としてとどまりたかったなら一律回避できない問題です。それは戒律だからです。1985年杉浦勇は「輸血拒否は戒律ですか」という記者の質問に対し、「輸血拒否は良心の問題だ」とイケシャアシャアと嘘回答をしましたが、現実は教義の一つです。ですから協会側は逃げることができないのですが、ある意味逃げる必要もないことです。それこそ「証言の機会」ととらえるべきなのですが、日本支部自身もとにかく批判されると嘘までついて逃げたいという強迫観念がありますので体罰も輸血拒否も同じように見なしているのです。日本支部が愚かなところです。本当に一流大学卒の頭脳を持っているのかどうか疑問です。

 

とはいえ、支援弁護団が輸血拒否を子供に対するネグレクトという範疇にいれるのは主訴内容が認められない可能性は高いと言えるでしょうね。法廷ではまずネグレクトの定義が問われます。エホバの証人の親が一般的に言われるネグレクトに該当するようなほかの行為をしているかどうかももちろん問われるでしょう。もしエホバの証人の親が子供をネグレクトしていないと言われると輸血拒否問題も持ち出せないことになります。ネグレクトというのは普段の生活においても恒常的に見受けられるものだからです。

「白い巨塔」というドラマでは医療事故に対して当初は弁護士側が専門分野にかかわる問題に踏み込んだ結果、不利になりました。それを争点としたからです。しかし争点を変えることで勝訴に至りました。

田中弁護士を中心とする支援弁護団が、輸血拒否をネグレクトの範疇にいれると不利だというのはそういうことです。田中弁護士自身が現役バリバリのころに輸血拒否問題についてどう思っていたかを私が組織側の人間なら突きます。そして彼が扱った割り当てを含め、彼の現役時代の発言を知っている人を集めて、輸血拒否問題についてどのように述べていたかを問います。その発言内容から合理的に推論される見解を出したうえで、それを一般に認められているネグレクトと同一視されるとどう思ったかを尋ねますね。田中弁護士はエホバの証人を辞めたのちでもご自身の母親の輸血拒否には同意書にサインしたと書いています。親の信仰を尊重するためです。その時「親不孝者」だとか「親殺し」と言われたとするならば受け入れられるでしょうか。

 

輸血拒否はそういう視点で扱わなければならない問題です。だから裁判所も警察も輸血拒否で亡くなった人を自殺だとは判断していないですし、医療機関も気が進まない医師もいるとは言え輸血拒否を受け入れているのです。信仰というのはそこまで他者が足を踏み入れることのできない分野なのです。

 

子供への強要に関しては、信仰のない子供にそれを強要することは強要罪になるでしょうが、ネグレクトでは決してないということです。争点をそこにもっていくべき問題です。また子どもでも本人の意志だという場合もありますが、それは偏った情報を閉ざされた社会の中で繰り返されるというもっと大きな問題があるのでそこを切り崩さないといけないということです。

 

私が組織の財政面での疑いを弁護団に取り上げてほしいというのは実はそこが要諦なのです。つまりカネに汚い組織の教理など信じるに足るものかどうかということですね。