少子化対策として竹田恒泰らが提案する極めて愚かで、危険な考え:大切なのは愛国心と責任感の教育 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

こども家庭庁の発足とともに、国会でもあるいはワイドショーでも近頃頻繁に少子化対策が取り上げられるようになりました。

 

しかしその中でもまったく人間性を喪わせるような愚かな提案をする人たちがいます。親子の情愛を断ち切るものでもあります。中でも竹田恒泰は「一人目の子供には1千万、二人目の子供には2千万、三人目には3千万を与える」と、そこまで言って委員会などでドヤ顔で言っています。

 

勿論そんなことは実現不可能ですが、竹田に限らず他にも「三人目が生まれたら1000万給付する」とまことしやかに言う学者もいます。

 

コイツラは本当にバカだと言いたいですね。

 

竹田恒泰案が危険なところは、生まれた子供の中で非常に深刻な問題が生じるということです。本来やはり長子というのは、いくら平等を謳ってもやはりその責任は大きいものです。遺産相続などでは均等分割ですが、しかし長子の責任の中で見過ごされているのは、長子(長男・長女)は一般的に言って弟妹の面倒を見ることが多いということです。戦争で両親を失った家庭では、当時は子だくさんの場合も多く、弟妹に対して長子が親代わりにもなりました。

 

街中を見ても、弟妹の手を引っ張ったりする光景を見ます。乳母車に乗っている赤ちゃんのそばで兄や姉が可愛がっている様子も見ます。、少し年が離れていると弟妹のおしめを替える人もいます。

 

相棒シーズン9「通報者」では両親がいなくなった兄が幼い妹の面倒を見るために自分を犠牲にする姿が描かれていました。「高校教師」というドラマでは、主人公羽村の兄は、弟を大学に行かせるためにお兄が自分の人生を犠牲にする様子も描かれました。「ちむどんどん」が大不評を買ったのも、ろくでなしの兄が妹に迷惑をかけ続けたからです。

 

親にしてみれば下の子の面倒を上の子に期待する場合もあるのです。そういったことがあるからこそ長子は特別の存在感があるのです。

 

竹田のような馬鹿な提案は、その秩序を根底から崩すのです。というのも第三子が、第一子に対して優越感を持つことになるからです。「兄さんや姉さんが生まれても1千万しかもらえなかったけど、僕が生まれたおかげで3000万もらえた。僕には3000万の価値があるということだ」と思うようになるからです。第三子に1000万を与えるというのもそれと変わりません。

 

弟妹が長子を侮るという、忌々しい逆転が生じることも予測できない竹田恒泰のような考えは、人間というものを分析できないまさに愚かな机上の空論でしかないのです。

 

そんなことをすれば、「1000万が欲しいから子供をもうける」と考える親も当然出てきます。これって「人生ゲーム」の最後に子供を撃って資産を増やすのと変わりません。私は「人生ゲーム」のこのルールを「こんなことしてええんかい?」と友人と笑いながらしていました。あくまでもゲームですが小学生ながらもこのルールはおかしいと思ったものです。

 

子供をもうけるのカネの問題ではありません。かつての日本は今よりももっとはるかに貧しかったのですが、それでも子供はたくさんいました。「産めよ増えよ」は戦前の国策でした。それ故に若い世代は戦後の日本の復興を支えたのです。

 

それもひとえに愛国心から生じたものです。「愛国心」というと蓮舫や田島陽子などの愚かな左翼主義者が目くじら立てますが、ロシアや中国や北朝鮮の国民も愛国心は持っています。ですから左翼主義者たちは左翼というよりも滅国主義者であり、国賊と言っていいでしょう。

 

ただ愛国主義だけではだめです。やはり責任感を持たせる教育が必要です。責任を教える教育を「押しつけ教育だ、個性を大事にしろ」という滅国主義者が大勢います。結婚やそれに伴う子育てには自分の自由な時間を奪われるので、そういった責任を背負いたくないという人が大量に生み出されているのです。

 

かつてケネディ大統領は「国家が自分のために何をしてくれるかを考えるのではなく、自分が国家のために何ができるかを考えろ」と言いました。そういう姿勢が今の日本に必要で、そういう教育をしていないのに、少子化対策でカネを使っても、負の精神を培うだけなのです。ガーシーのような人間も戦後の日本の教育が生み出したアダ花です。

 

そういった責任を回避する風潮を良しとするがゆえに、ものみの塔日本支部のような無責任な偽善宗教ビジネス集団も出てきたのです。日本支部の特徴には無責任もあるのです。

 

ものみの塔は責任を持とうとしません。完全寄付制移行期に税金をごまかすような指示を出したり、マネロンまがいのこともします。親の体罰を否定したのも結局は責任回避なのです。結婚や子供をもうけることに対して否定的だったのも責任回避でした。「子供を持つと王国の業を行う点で妨げになる」ということを言う巡回もいたのです。また組織も子供を持たない人を重用するのでそれに応じた人も出てきたのです。

 

ものみの塔組織が衰退する理由には子供を虐待し、子供が離れたこともあるのですが、そもそも子供を作ろうとしないので子供そのものがいなくなっているということもあるのです。