子供への輸血拒否は「虐待」の範疇だろうか②(青字追記) | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

 

 

この記事を書いていて私の中にある違和感をもう少し深堀します。

 

以前に私は、鈴木大君の父親を、子供を虐待して殺した父親と同列に置いたブロガーを激しく非難しました。そのことで私に対して強い敵意を抱いた人も大勢います。しかし「永遠の命」という希望を持った両親が、輸血をすることで子供と永遠に会えなくなるという絶望を味わいたくなく、息子を愛するがゆえに苦渋の決断をしたのを、自分も同じ信仰を一度は持ったのであるならば、そういう親に対していたわる気持ちを持つことすらしないで、息子を虐待死させた親と同列に置くことは我慢ならなかったからです。

 

であれば、子供に輸血拒否をさせようとする親を「児童虐待」の範疇に入れるということは少々お門違いだといってよいかと思います。

 

以上の理屈に従えば、それこそ優秀な宗教2世としての信仰を持ち、明晰な理解力のある田中広太郎弁護士が、子供に輸血拒否をさせることを児童虐待の範疇に入れるのは、鈴木大君の両親を子供を虐待死させた鬼親と同列に置いたことになります。これには強い抵抗を覚えます。田中弁護士は、大事な我が子を失った、鈴木大君のご両親に感情移入でしているようには思えません。

 

田中弁護士はどうも1世に対する敵意と偏見、対抗意識のようなものを持っているのではないかという印象を持ちます。ですからレリハラ裁判の際の問題点にも意を留めず、あるブロガーに対して意見を申し上げた私に対して、数十人ほどと一緒になって、強い言葉で批判しました。(別に恨みに思っているわけではないですが、その時に感じた違和感は継続中です。)またブログで殺意を感じさせるようなことを書く元HLC委員にもかつて共感していました。またチェーンメールのようなあおりもしていました。読者からの指摘を受けてすぐにその記事は削除しましたが。

 

しかし田中弁護士が共感を覚えた元HLC委員は自分が輸血拒否推奨システムの一員であったことを自慢しているのです。それでも2世というだけで共感するのであれば、エホバの証人の輸血拒否の動機に関しての理解が、1世2世という枠組みにとらわれている気がします。私は1世と言っても高校時代からですから若い人の立場もわかりますし、だからこそ2世の気持ちも理解しようと歩み寄ろうとしています。しかし田中弁護士は1世の気持ちを理解して歩み寄ろうとするのがあまり感じられません。だから母親が輸血拒否しても奇跡的に命を取り留めた心情と信仰も無視しているかのような印象を受けます。

 

福岡で5歳児童餓死事件が起こったときには、マインドコントロールをした赤堀恵美子被告には懲役15年の判決が確定し、マインドコントロールされた母親の碇被告は懲役5年の刑が宣告され控訴しても高裁では棄却されました。実行犯は母親ですが、ここで明らかになったことはマインドコントロールを与えた側と与えられた側の量刑に差が生じたということです。

 

ものみの塔における輸血拒否はマインドコントロールです。後述しますが聖書的根拠など崩壊しています。ですから教団側と親とでは教団のほうに責任があるのです。田中弁護士はもちろんこの福岡5歳児餓死事件とその判決はご存じでしょうし、マインドコントロールというものを刑の確定に大きくかかわっていることもご理解なさっておられるでしょう。であれば、輸血拒否がマインドコントロールである以上、子供に輸血拒否をさせる親の精神状態に考察を働かせないのであれば、福岡5歳児餓死事件において実行犯の母親のほうに懲役15年を科し、赤堀被告には懲役5年もしくは無罪判決を下すようなリーガルマインドにならないでしょうか。

 

これではものみの塔の輸血拒否とその罰則の本質的問題点から争点がずれていく気がしますし、それは教団側に有利になるのが気がかりです。今は宗教2世が宗教3世に対しても輸血拒否をさせようとしているのですから、本質的問題点は輸血そのものでなければなりません。分画輸血許容は輸血の事実上の解禁であり、もはや聖書的根拠などないのです。教団は「輸血拒否は医学的問題ではなく、聖書的問題だ」とそれまで言っていましたが、分画許容の際は「血の主要成分は拒否する」と言って医学的問題として扱った以上、聖書的問題ではなくなったのです。

 

田中弁護士はご自身のブログでエホバの証人の持つ信仰の質について解説していますので、だったら子供に輸血拒否をさせる親の心情にまで思いをはせたうえで弁論を展開しなければ、エホバの証人に対する訴えとしてはむしろ逆効果にすらなります。