エホバの証人になったころ「終わりの日のしるし」として、黙示録の娼婦大いなるバビロンが世界的な宗教全体を指、(エホバの証人はこれを「偽りの宗教世界帝国」などと言っていますが、ここで「帝国」という言葉を使うのは意味不明でした。)、野獣である政治組織に滅ぼされるというのがありました。
人々の心のよりどころである宗教を政治勢力が滅ぼすというのは何ともエライこっちゃだ、と思ったものです。それこそ政治権力は「野獣」であり牙をむくのかと。
しかし今回の事件で、なるほどこういうこともあるかもしれないと思ったのです。多くの日本人は統一教会の壊滅を願っていることでしょう。大いなるバビロンが食い殺されるのは「聖なる人たち」の献金という血に酔った娼婦だからです。娼婦は人々の道徳観を堕落させます。献金のために身体を売った女性もいると紀藤弁護士は述べていました。したがって政治の力でゆがめられた宗教をただすことはむしろ人々にとって歓迎すべきことなのです。
むろんカルトだからと言って全てを解体することは信教の自由に反するので無理でしょう。あくまでも「ゆがめられた」場合です。
エホバの証人の教理の「野獣が大いなるバビロンを滅ぼす」のは十分な理由がある場合もあるということです。ただし私はコレとハルマゲドンを結びつけようとしているのではなく、あくまでも政治が宗教を弾圧するのには、宗教が悪い場合もあるということを言いたいだけないのですけどね。つまりそこまで宗教というものは堕落するということで、娼婦になぞらえられるのはある意味当を得ているということです。