無視されると怒り狂いストーカーのように付きまとうかまってちゃんたち(青字2か所追記) | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

たけしを襲撃した暴漢。

 

 

取り調べには今年6月下旬に『弟子入り志願を無視された』と供述。警視庁は一方的な怨恨(えんこん)による犯行だったと見ています。

 

====

 

この事件で京アニ放火事件の青葉真司を思い出しました。青葉は「(犯行動機は)自分の小説を盗まれたから」と供述しました。

 

二人に共通しているのは、到底相手にされるはずのないアピールをしたのに無視されたことに腹を立てているところです。二人とも自分が大した人間だと思っているのでしょう。

 

普通の人間は弟子入り志願して受け入れられないときには自分の腕を磨くでしょう。作品が採用されないときにはもう一度練り直し努力します。逆恨みをして相手を傷つけようとはしません。相手を傷つけることを正当化することもしないでしょう。

 

でもこの二人は自分は採用されて当然であり、たけしも京アニも自分に対してもっときちんと対応してほしいと思うがあまり、とんでもない方向へ思考が働き身勝手な理由で屁理屈をこねて犯行に及んだのです。でもおそらく自分では屁理屈だとは思っていないでしょう。

 

野外奉仕をしていてこんなことがありました。ある商店を訪問すると主婦が出てきました。その主婦は「ごめん、忙しいから話聞いてられへん。」と言って断ります。丁度そこへ私たちのやり取りを聞いていた近所の主婦友達が来て「忙しいとこごめんなア」と入ってきます。先ほど私に対して「忙しい」と言ったお店の人は「いやいや忙しないで。ヒマ持て余してるんや。まあ上がり。」と言って主婦友を家に招き入れました。

 

さてそこでもし私が「あ、暇を持て余してるなら話を聞いていただけますか」と踵(きびす)を返してお店の人に証言をしようとするならば、どう思われるでしょうか。「こいつバカだな」と思われるのが普通です。お店の人にしてみればやんわり断っているのですから普通の常識人なら判断しそのままお店を出るのではないでしょうか。自分を嫌がっているという相手の感情を尊重するものです。

 

ところがその時にお店の主婦に無視されたことに腹を立て、店に迷惑電話をかけたり、お店の悪口をSNSに載せたりするような行為をする人間はどこかがおかしいと思うでしょう。相手にしなければよけいに図に乗る人間をどう思いますか。

 

無視されたことでプライドは傷ついたと騒ぐのは自分が大物だと思っている証拠です。無視されるのは無視されるような馬鹿な真似、迷惑な真似をし続け、一向に改めないからですね。

 

特に既に相手は自分に対してきちんと回答をしているのに屁理屈をこねくり回し、納得しないのはまったくもって社会性はないと言えるでしょう。

 

屁理屈の一つを挙げましょう。「親告罪は被害者が訴えなければ問題ない」という感覚です。確かにそれは法的に裁かれることはないですが道義的に問題はあります。

 

たとえばかつては強姦やわいせつ、痴漢などは親告罪でした。しかし法改正によって非親告罪になりました。では親告罪の時にはやりたい放題しても良かったのでしょうか。捕まらなければいい、逮捕されなければいいというものでしょうか。そこに良心は働かないのでしょうか。

 

「侮辱は親告罪」です。従ってそれ故に被害者に対して訴えるように周囲は勧めます。ここまでが理屈です。しかし親告罪というのは加害者を保護するためのものでは断じてありません。それでも親告罪であることイイことに誹謗中傷をして良いということになるというのが屁理屈なのです。

 

なにやらやたら法律の引用をして、いかにも自分たちが法律に通じているかのような印象を与え法律に疎い元エホバの証人をリードしているかのようですが、法律は法の精神に則ったうえでその運用が大切なのです。反社会的組織も法律に通じているようですが、それは法律の網をくぐろうと画策しているのです。「親告罪だから何をしてもいい」という考えは反社会的組織の人間が使うような倫理観です。女性の恥ずかしい写真を撮って「もし警察に言えばこれをばらまくぞ」と言って相手の口封じをしようとしているのと精神態度においてはさして変わりません。許しがたい倫理観です。

 

「いくら俺が誹謗中傷しようが、親告罪だから第三者のお前は黙っていろ」という考えは良心を失った人間の考え方です。そういう人が信頼できるでしょうか。そういう倫理観を持つ人間が無視されるのは当然です。相手にされないのは当たり前のことですし、相手にする必要もないのです。しかも私の書いた言葉をネジ曲げ趣旨を理解できる能力もなくて誹謗する人間をいちいち相手にする必要はないのです。

 

イイですか。よく考えましょう。親告罪であろうがなかろうが、普通の社会性のある良識ある人間ならば「あなたのしていることは法律に抵触する可能性がありますよ。」と誰かから言われると「ああ、そうですか。すみません気づきませんでした。教えてくださってありがとうございます。」というものです。そして次から改めるようにするものです。かつて痴漢は親告罪でしたが、親告罪だからということで電車で痴漢に遭っても恥ずかしくて泣き寝入りして生涯にわたる心の傷を負った女性が一体どれほどいるでしょうか。警察に突き出す女性なんか全体から見ればわずかです。親告罪という壁のせいで声を上げることができず、恐怖に苛まれた女性の気持ちを考えれば、「親告罪だから第三者がヤイヤイ言うな」というのは倫理観が崩壊しています。刑法に抵触しても、親告罪というのが行動の規範になるのは何ともおかしいですね。


またたとえ親告罪の時でも、性犯罪の場合は特にそれが明らかになった場合、収監はされなくても社会的地位は失うことがあります。それが社会の常識であり、ルールなのです。最近はSNSでの誹謗中傷に対して規制が厳しくなりました。鈴木大君の父親を子供を虐待死させた鬼父と同一視し、人殺しと呼ぶような行為は本当に酷いものです。

 

さて前々記事で出てくる、体積の例題は理解しても練習問題はわからない小学校低学年並みの頭脳の人は、そういう迷惑な人に同調するかもしれません。「僕も、俺も、あたいも練習問題はわからないんだ~~~」とばかりにです。