あ~、わかりた!まさに大本営発表の影響をまともに受けてますね。(青字二か所追記) | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

「アメリカとの戦争は間違っているというのは自虐史観」という人物の思想背景がようやくわかりました。この人は大本営の発表をそのまま真に受けているのです。要するに欧米列強の獰猛な支配からアジアを回復するという「大東亜宣言」に基づき、アメリカと戦争したのは「義の戦い」だと思っているのです。(そういや昔の賛美の歌で「♪義の戦いぞ~」というのがありましたね。)

 

その「義の戦い」をしたことを間違っているということが「自虐になる」ということです。つまり、この方の「正しい」「間違っている」かについてこの方は思想的な分野での話をしているのです。ですから硫黄島の市丸少将の手紙を紹介したのでしょう。そこでは「大東亜共同宣言」のことを敷衍した文言が見られました。

 

「大東亜共同宣言」とは1943年の「大東亜会議」で採択された宣言です。

 

 

開戦して2年、日本はアジアにおける進出の大義名分を掲げるためにこの宣言を世界に向けて発信しました。(私が大義名分という言葉を初めて知ったのは中学の歴史の時間で大東亜共栄圏について学んだ時でした。)

 

ただ1943年と言えば昭和18年です。その11月と言えば、すでに前年の6月にミッドウェー海戦で大敗北を喫し、春にはガダルカナル島の戦いでほぼ全滅、5月にはアッツ島玉砕などなど、南方諸島で壊滅的打撃を受け制空権も制海権も失っていました。(個人的にはこの時点日本は和平協約を結ぶように努力すべきだったと思います)。しかし大東亜宣言をすることでより一生英米との対決姿勢は後戻りできなくなったのです。アジアの結束力を高めようとした大本営でしたが、戦局を見た他のアジア諸国はそれほど協力的ではありませんでした。つまり不発だった大義名分です。

 

しかし国内においては戦意高揚に大きく貢献しました。昭和18年10月以降は全国の大学生を戦地に送り込むのですが、学徒出陣にあたって彼らにこの「大東亜共栄圏の理想と思想」を植え付け、戦場に駆り立てたのです。

 

 

この記事では大本営の掲げた理想を胸に秘め、特攻に向かう若者の言葉を記しています。

 

23歳の回天搭乗員の遺言です。

 

父よ、母よ、弟よ、妹よ。そして長い間はぐくんでくれた町よ、学校よ、さようなら。

本当にありがとう。こんな我儘なものを、よくもまあありがとう。

僕はもっと、もっと、いつまでもみんなと一緒に楽しく暮らしたいんだ。

愉快に勉強し、みんなにうんとご恩返しをしなければならない。

春は春風が都の空におどり、みんなと川辺に遊んだっけ。

夏は氏神様のお祭りだ。神楽ばやしがあふれてる。昔はなつかしいよ。

秋になれば、お月見だと言ってあの崖下に「すすき」を取りに行ったね。あそこで転んだのは誰だったかしら。

雪が降りだすとみんな大喜びで外へ出て雪合戦だ。昔はなつかしいなあ。

こうやってみんなと愉快にいつまでも暮らしたい。喧嘩したり争ったりしても心の中ではいつまでも手を握り合って―

然し僕はこんなにも幸福な家族の一員である前に、日本人であることを忘れてはならないと思うんだ。

日本人、日本人、自分の血の中には三千年の間受け継がれてきた先祖の息吹が脈打ってるんだ。鎧兜に身をかため、君の馬前で討死した武士の野辺路の草を彩ったのと同じ、同じ匂いの血潮が流れてるんだ。

そして今、怨敵撃つべしの至尊の詔が下された。十二月八日のあの瞬間から、我々は、我々青年は余生の全てを祖国に捧ぐべき輝かしき名誉を担ったのだ。

人生二十年。余生に費やされるべき勢力のすべてをこの決戦の一瞬にささげよう。

怨敵撃攘せよ。おやじの、おじいさんの、ひいおじいさんの血が叫ぶ。血が叫ぶ。

すべてを乗り越えてただ勝利を、征くぞ、やるぞ。

年長けし人々よ、われらなき後の守りに、大東亜の建設に、白髪を染め、齢を天に返して健闘せられよ。

また幼き者よ、われらの屍を踏み越え銃剱を閃めかして進め。日章旗を翻して前進せよ。

至尊のご命令である。日本人の気概だ。永遠に栄あれ祖国日本。

われら今ぞ行かん、南の海に北の島にすべてをなげうって戦わん。大東亜の天地が呼んでいる。

十億の民が希望の瞳で招いている。

みんなさようなら―元気で征きます。

 

前半は普通の若者の手紙ですが、後半に一気に高揚します。「大東亜共栄圏」の理想に若者たちは殉じたのです。身震いするような純粋さに背筋に電撃が走りますが、それほどまでに影響を与えました。市丸少将の手紙もこの「大東亜宣言」のあとに書かれたものです。当時の日本人はこの大本営の大義名分を信じたのです。確かに日本は欧米列強の植民地を「解放」したかもしれません。しかしアメリカがヨーロッパでフランスからドイツを追い出したときの「解放」とは違うのです。また大東亜共栄圏を唱えた日本によって占領された東南アジア諸国が連合軍によって「解放」されたのとも異なります。いいですか。東南アジア諸国は「二度」解放されたのす。一度目は日本によって。二度目は連合軍によってです。日本は東南アジア諸国の独立を許しましたか?日本の領土としたのではありませんか?唯一「独立」させたのは満州国という傀儡政権です。アジアにおける戦いは時に現地の人の反感を買うものもありました。フィリピンにおけるマニラ戦争で行われた残虐行為を調べれば、強姦を自慢し合っていた将校もいたことがわかります。

 

満州事変に至るまでは関東軍の暴走による満州国の建設、そして日中戦争に続く過程で日本軍は多くの残虐行為をしました。中国人をマルタと呼び人体実験したり、犠牲者の髪の毛で毛布を作り、中国人を殺してそのカラダから出る脂で石鹸を作って中国人捕虜に渡していたという話もあります。

 

日本人が一般市民相手に無差別殺人をしなかったというのも誤認識も甚だしく、日本軍は1941年5月に重慶に空爆をしました。当初目的は軍事施設限定という事でしたが、実際は市街地も爆撃する無差別爆撃でした。日本軍のこの一般市民に対する爆撃行為が、米軍が日本の各都市を空襲する口実を与え、それが原爆投下に繋がります。

 

 

「日本は一般市民を無差別殺人しなかった」というのも結構ですが、せめてWikiくらいは調べてほしいものですな。重慶爆撃はドイツの「ゲルニカ爆撃」と同様に枢軸国が行なった無差別殺人として常識的知識です。ピカソの「ゲルニカ」はこの時の様子を描きました。重慶も似たような阿鼻叫喚が起こったことでしょう。

 

 

太平洋戦争での死者の数です。

 

 

各国の数字にどれほど信ぴょう性があるかはわかりません。中国の数字も話を盛るのでどこまで正確かはわかりません。しかし中国やインドネシアの死者数が一般市民を含めて日本よりも多いのは驚きです。

 

ドイツの死者数は日本よりも多いのですね。そしてソ連の死者数の多さにも驚きです。ヨーロッパ戦線がいかに残虐であったのかがわかります。また枢軸国よりも連合軍の方が3.5倍強の犠牲者を出しているところから見ても、戦後連合軍が日独について厳しい査定をするのも当然かもしれません。

 

数字の信ぴょう性はともかく日本が一般市民を殺害しなかったというのは妄想です。妄想好き、陰謀論好きならではの思考です。

 

自分にとって都合のいいことばかり信じ、都合の悪いものを調べようとしない。調べても心に残らない。つまり受け入れない。これが歪んだ歴史観というものです。

 

これこそがエホバの証人そのものですし、またアンチエホバの証人そのものでもあります。多角的視点と口では言いながら圧倒的な一方的視点です。多角的視点とは似たような知識を集めるのではなく、時間軸、国情、経済、数字など様々な要素を根拠に物事の全体を把握することです。それがわかっていない。現にこの人は「米国の視点に立てない」と告白しています。それは多角的視点を持つことを拒否しているのです。アメリカ人の視点で見て初めて多角的視点で見ることになるのです。マクロであろうがミクロであろうが一方の視点だけで物事を見ればその一方的視点の理論武装を強固にするだけで柔軟性は持てなくなります。そしてアメリカ人の視点に立てないというのは、アメリカを全否定している何よりの証言です。

 

日本は日露戦争で勝利したと大騒ぎしています。確かに局地戦では勝つには勝ったのですが多大の犠牲を払いました。

 

左が日本。右がロシアです。この数字だけ見れば勝ったのはロシアではないかと見まがうほどです。当時大国ロシアはヨーロッパ方面で「血の日曜日事件」が起こり国内は内乱に近い状態でした。極東の方に兵力を回す余裕がなかったのです。もしロシアが本気で日本に向かい戦いが長期化すればどうなっていたかはわかりません。でも日本はロシアに勝利したことで幾分いい気になっていたと思います。それが自己の力を過大評価するようになったのは間違いないでしょう。日露戦争と言えば、旅順攻防戦が有名ですが、これは203高地奪取があってこそです。ここで日本軍は実に無策な突貫攻撃を繰り返し多大の犠牲を払いました。奉天大会戦では戦死者は日本はロシアよりも多く、この時点で日本はアメリカに仲介を求めました。しかしロシアはバルチック艦隊がまだ健在なのでこの仲介に応じず日本海海戦へと進むのです。しかし長旅で疲れたロシア艦隊は、日本の連合艦隊に負けます。東郷ターンという、一か八かの奇襲とも思える戦術で勝利した日本と意気消沈したロシアが和平交渉をするようになるのです。

 

日露戦争中、疲弊した日本とロシアの講和を仲介したのがアメリカでした。日本がそもそもロシアと開戦したのは日清戦争後の「独露仏」の三国干渉で悔しい思いをしたからです。でもそれは期待した領土を手に入れることができなかったからであり、侵略戦争であったことを証明しています。臥薪嘗胆を合言葉に軍備を整え、ロシアと開戦しました。それでも二百三高地の無謀な突貫攻撃で兵力をいたずらに消費したのです。そもそもこの人はアメリカ人に対する偏見が強すぎます。日露戦争は1904年に起こりましたが、その2年前の1902年に日英同盟が結ばれたのです。そのイギリスが日露戦争を日本が決意する後ろ盾となったのです。

 

日露戦争に対する風刺画です。

 

 

アメリカは日本に対し列強の中で最も友好的でした。日本は1914年の第一次大戦で連合軍側につき、ドイツと戦いました。これは当時まだ有効だった日英同盟を足掛かりに中国におけるドイツの利権を得るためでした。これに対してはアメリカはアジアにおける日本の強大化を懸念し反対しました。イギリスも最終的には反対でした。しかしに日本はドイツに宣戦布告したのです。開国以来戦前の日本は親米国家でした。アメリカ留学する日本人は多く、またアメリカも数多くの大学の設立に貢献しました。いま日本でアメリカの宣教師が開いたミッション系の大学高校、そして病院がどれほどあるかを考えればわかります。その日本がアメリカのいう事を聞かなくなったのです。アメリカにしてみればこれは叩く必要があると思ったのでしょう。共産主義ではありませんが軍国主義というのは共産主義的要素があるので警戒したこともわかります。

 

明治維新の際にアメリカが南北戦争だったので日本に手が回らなかったから攘夷派が安堵したというのも誤認識です。当時日本に入り込んでいたのは英仏です。官軍側に武器を提供したのはイギリスであり、幕府側を支援したのはフランスでした。戊辰戦争は英仏の代理戦争と言ってもいいかもしれません。両国とも日本における自国の影響力を強めようとしたのです。たとえアメリカが一歩引いても英仏蘭などがそこへ入り込み外国の脅威は続いたのです。

 

この方は当時の世界列強はスキあらば自国の覇権を広めることに躍起になっていた事実を見逃しています。薩長がイギリスと親密になった時点で、攘夷思想はしぼみ、倒幕に切り替えたのです。そんなことも知らないのです。

 

さらに薩長の志士の多くは幕府よりも外国についての知識は十分持ち合わせてはいませんでした。吉田松陰などは例外ですが、果たして松下村塾の人がどれほど同じ世界観を持っていたかはわかりません。ましてや末端志士などはほとんど知らなかったでしょう。少なくとも桜田門外の変で井伊直弼を殺害した志士たちは開国の必要性を理解していなかったのです。それを愚かだったということに何が問題があるでしょう。吉田松陰、さらに佐賀藩の留学生たちなど一部の英明な人がいたからと言って薩長側も目覚めていたというのは暴論です。少数は少数なのです。だから薩英戦争が起こり馬関戦争が起こったのです。

 

薩長が開国を良しとしたのはそれぞれがこの戦いで列強の最新軍事力を知り、勝てないと思ったからです。鹿児島の「維新ふるさと館」では薩摩藩の大砲の玉とイギリス軍艦のアームストロング砲の玉とが展示されています。それを見れば彼我の実力差は歴然としているのです。薩英戦争が生じたのは生麦事件がきっかけでしたが、これなどは世界の情勢を知らない薩摩藩士による暴挙でした。

 

長州も米英仏蘭の四国連合艦隊下関砲撃事件で、防衛し背うが木っ端みじんになり敗北を喫し、長州藩内の攘夷派は一気に勢いをなくし、そこで藩論を一変させたのです。何も藩内の外国通の藩士のおかげではないのです。

 

このように少数派を多数派であるかのようにデフォルメして、歴史的経緯を無視して論じるのがこの人の特徴です。だから陰謀論に飛びつくのです。それは織田信長についての評価もまた然りです。

 

日本を愛する気持ちはたぶん私も人後に落ちません。しかし本当に愛するのであれば、その負の部分も咀嚼したうえで、何をすべきだったかを考慮し、これからどう歩むべきかを考えなければなりません。それは自虐史観でもなんでもありません。むしろ公正に物事を見るということです。それが出来ないから文章題が弱かっただろうと言っているのです。場合分けができなかっただろう、空間図形は苦手だっただろう、つまり数学はからきしできなかっただろうと言っているのです。エホバの証人が教育を重視しなかった弊害が出ているのです。

 

それは人に対してもそうですが、その人の弱点もきちんと把握し、その矛盾も認め、そのうえで時には苦言を呈すこともしなければなりません。真の友とはそういうものです。友を愛するならその欠点も理解しておかなければなりません。友ならば何をやっても大目に見るというのは犯罪者をかくまうようなものです。道義的問題が関係します。

 

荒唐無稽な陰謀論を展開し、恥を感じないような人を擁護するようなことは慎むべきでしょう。歴史観が人への評価にも影響を与えるような思考です。

 

この方は「思想」で判断しています。「思想」は論理にバイアスをかけます。でなければ「アメリカ艦隊に原爆を落とす」とか「本土決戦で国土が荒廃しても血みどろの戦いをすれば勝てる」などという結論には達しないでしょう。「2世の言うことはすべて正しい」という思想から脱すれば、彼らの行なう違法行為も見えてくるでしょう。

 

この人の言う「多角的視点」なるものがどれほど偏見に満ちたものであるか。

 

この人物ははっきりと「アメリカ視点に立ちたくない。」と言ってバイアスをかかっていることを自ら認めたのです。日本の立場にたってでしか物事を論じられないのです。アメリカ兵の「殺せ、殺せ、殺せ」という言葉を掲載していましたが、日本人もアメリカ人を鬼畜米英と呼びましたし、日本兵だってアメリカ兵を「殺せ、殺せ、殺せ」と思っていたという部分を考慮しません。以前NHKの番組で双方の元兵士のインタビューがありましたが同じようなことを言っていました。(記事にしたことがあるのですがどこか忘れました。)戦争は殺し合いですからね。ところがこの人は日本兵は慈愛に富んだものだと思っています。こうなると「井の中の蛙」、しかもマクロとミクロにわたる知識で偏見を強固にしているので、「肥大化しているカエル」であり、あまりにも肥大化してもはや井戸から外に出られなくなっています。井の中でひとり呟くのです。「多角的視点が大事だよん、ゲコゲコ」と。それを上から見させてもらっています。

 

しかしマクロとミクロの知識の中にはゴミ情報もありますがアメリカを低めるためには取捨選択もしないでとりいれます。デマや陰謀論にも耳を傾けるのです。アメリカが地震兵器を用いて東日本大震災を起こしたという陰謀論を展開したという人間に対して「そういう事もできる」とかいうのも根本的にはアメリカ憎しという偏見から生じたものです。でもおじいさまがシベリア抑留に合われたのであれば、そもそも憎む相手はロシアではありませんか。大戦末期ソ連は日ソ中立条約を破って日本に進軍しました。ソ連が日本に上陸していたなら一体どれほどの悲劇が起こったかも理解できないのです。私はどうせ占領されるならソ連よりもアメリカの方がましだったと思います。ドイツや北朝鮮のように分断があったならばどうなっていたでしょうか。アメリカは日本をソ連から救ったとすら思えます。

 

ただシベリア抑留になったのが民間人としてなのか、関東軍兵士だったのかはわかりません。もし関東軍兵士であるならば大陸での日本の所業に対しては大目に見たいという気持ちもあるでしょう。

 

「アメリカの視点に立ちたくない」からこそ「アメリカ艦隊に原爆を落とす」とか「本土決戦をする」と言い出すのです。アメリカの視点に立てば日本がそのような抵抗を示せば、日本を滅ぼす絶好の口実を得たことのなるのです。そしてその口実に基づいて実行すれば日本という国は無くなっています。

 

自国偏重の視点でしか歴史を見ないのであるならばもはや歴史を論じる資格などないのですそれは日韓併合を否定し、1919年に韓国は日本に勝って独立したという文在寅が主張する歴史修正と全く同じことをやっているのです。彼らも「日本の視点に立ちたくないのです」。徴用工問題でまともな話し合いができないのもそこにあるのです。「韓国が嫌いだ」とこの人は言いますが、自分も同じことを主張しているのです。歴史を勉強しても一方的視点で物事を見ますので、もはや学者タイプではなくただの思想家でしかなく、その思想が正邪の基準があやふやで穴だらけなのです。それが今のブログ姿勢にも出ているのです。次に書きます。