クルマの助手席に異性を乗せないことは知恵の道(青字追記) | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

エホバの証人の頃にはクルマの助手席に異性を乗せないことは身の守りとなるというようなことを教えられました。

 

この件に関して異論を申し立てている人もいますが、私はそうは思えません。これは本人同士もそうですが、客観的に見ても道理にかなったことだと言えるでしょう。

 

一般の職場である女性が、ある男性の助手席に乗ろうとしたときに「この席に座ってもいいのですか。」と尋ねているのを見たことがあります。やはりクルマの助手席というのは後部座席とは持っている意味が幾分違います。

 

エホバの証人の場合、非信者の配偶者を持っている人もいるのですが、その信者を助手席に乗せているときに非信者の配偶者が目撃すれば、心中穏やかならざるものがある可能性は高いのです。妙に勘繰られるのも迷惑な話です。

 

また助手席に乗せないということを順守していると非信者の配偶者は安心し、信頼される場合もあるのです。

 

現実問題助手席に乗っている異性に対し、身体的接触をする不埒な人間もいるのですが、特に車という閉ざされた空間で二人だけになると特別な意識が生じる場合もあるのです。

 

たとえば制限速度を大幅に超えた運転は危険な運転だからやめるようにと言われたとします。しかしスピード違反がいつも必ず事故を招くわけではないにしても、常習的に大幅速度制限違反を繰り返すならば、事故になる確率は高くなります。そんな時に「スピード違反をするからと言って無謀運転者のように言わないでください。」と言ってもあまり受け入れられることはないでしょう。

 

異性を助手席に乗せることのないようにという指示にしても、乗せたからと言っていつも不道徳に結びつくわけはないにしても、常習的にしているのであれば、危険性は高まるのでそれに対し注意喚起するのは間違ってはいないはずです。それなのに「そんなことにすぐ結び付けるだなんて、組織はエロのことばかり考えている。」というのは極論であり、逆にそれを意識しているのはその人自身ではないかと思います。

 

私は会社でもこの組織の提案を実行してきました。エホバの証人でなくなった後もです。確かに最初は怪訝な顔をされます。しかし逆に信頼を得る場合もあります。部屋に異性と二人きりになるときには扉も少し開けておきます。これは相手がすぐに「逃げれる」という安心感を与えるためです。いずれも「変わった人」とか「カタイ人」と最初は思われますが、女性に気遣うということをしておくと、そのほかの面でいろいろ詮索されることもなく都合は良いのです。エチケットというかマナーというか、相手に対して尊重しているということが伝わればこちらのことを誤解しないでいいですね。

 

男性の場合、クルマの助手席に女性を座らせないようにするというのは、相手女性に対して安心感を与えるものとなるとも思います。めんどくさくなるのも嫌ですしね。

 

知人宅を訪問するときにそこがマンションだと1階のエレベーター前で女子小中学生や女子高生と二人だけで待っているときもありますが、そんな時は一緒には乗り込みません。先に行ってもらいます。忘れていなければですが。

 

何もかも批判の対象にしていると、かえって「組織にいたほうがましだ」と思われるでしょうし、組織を出る方がそういう批判ばかりする人間になるのかなと思われるでしょうね。あら捜しは逆効果ですね。それこそエホバの証人批判ロボットと化しています。