真の友情ある人間がこんなことする?(青字追記) | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

現役でたとえば長老や援助奉仕者の立場にある人が、SNSで組織批判や仲間を侮辱しながらも、身バレしたとき、自分が親友だと思っている人が果たしてそれを告げ口するだろうかと心配している人がいます。

 

そして「本当の友人ならそのようなことはしない」と言っています。そしてコメント者たちも「あの組織には真の友情など存在しない。」と言って盛り上がっています。

 

「またか」といういつものパターンです。

 

AさんがBさんを親友と思っているとします。親友とは本来信頼し合っているものです。信頼とは偽りの姿を見せて相手の様子をうかがうものではありません。そんなことは中学生にもなればわかるものです。

 

先日の探偵ナイトスクープで非常に心が締め付けられるエピソードがありました。

 

依頼者は中学2年の女の子です。7歳の妹がいるのですが、ある時乳歯が抜けました。そこで夜寝る前に歯を枕元に置き「ネズミがね、歯をコインに置き換えるんだよ。」と楽しみにしていました。そこで姉はこっそりと抜けた歯と百円玉を交換し手紙も添えました。次の日妹はそれを見て「ネズちゃんに手紙の返事を書く」と言って喜び、その後手紙の交換が続きます。ただその頻度が多く音を上げた姉は友人にメールのやり取りを頼みます。でもその頻度も多くなりました。依頼者は「もうこれ以上を嘘をつき続けるのは妹がかわいそうなので、どうか正直にネズちゃんの正体が自分であることを伝えるお手伝いをしてほしい」という依頼です。

 

つまり偽る自分に対して良心の呵責を感じて真実を話すことを決意しました。

 

妹は百円のコインをもらったことでたいそう感謝し、それでプレゼントを買ってネズちゃんにお返しをしたり、姉にも言えないこともなんでもネズちゃんには伝えます。たむらけんじ探偵が妹に尋ねると妹は「ネズちゃんは友達。」と言います。そして姉にも言えない「二人だけの秘密」をネズちゃんには語っています。ここまでで相当見ている方としては心が痛みます。

 

それでも真実を話す必要があると決意している姉は最初は着ぐるみを着て「私がネズちゃんだよ」と言って妹の前に現れます。この時妹は微笑みます。しかし着ぐるみを脱いだのが姉だと知ったとき、妹の表情は見る見るうちに変わり、泣き出すのです。そしてただただ突っ伏して泣くのです。このシーンに心が締め付けられる思いでした。

 

姉は自分がダマしていたことを謝罪しますが、それでもこれからも妹を大事にし続けることを約束します。もともとは妹の健気な言葉を可愛らしく思った姉の親切心から出たものでしたので、妹もそれは理解できたのでしょう。

 

収録後に妹からのメッセージが届き、元気になりましたとの笑顔の報告が寄せられます。

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援助奉仕者としているのであれば、最近どんな割り当てを果たしましたか?最近の割り当てはほとんどすべて統治体崇拝を助長するものです。では心にもないことを演壇から話していることになります。それは偽りの姿です。

 

しかし会衆の人たちの中には、その割り当てに感謝しているのではないでしょうか。自分に感謝の言葉を述べるその姿を見てどう思っているのでしょうか。Aさんの良心は痛まないのでしょうか。その時の心を想像すると空恐ろしいものがあります。

 

援助奉仕者として会衆に仕えているのであれば、その偽りの姿で会衆の人たちを欺き騙していることになるのです。それは統治体の姿と寸分変わることはなのです。まさに統治体の申し子、統治体の生き写し、統治体のコピーなのです。

 

会衆内の純真な人たちを騙しているその援助奉仕者が、会衆の人にとって真の友人になりうる資格などあるでしょうか。

 

であれば、Aさんが親友と思っているBさんの立場に立って考えれば、AさんはBさんの親友としての資格を備えていると言えるでしょうか。

 

たとえばAさんが援助奉仕者の立場を自ら降りて、Bさんから「どうしたの?」と訊かれて、その時真実を話すならBさんは理解するかもしれません。しかし援助奉仕者でちやほやされている姿をBさんが横目で見ながら、「実はAは嘘をついている」思うと、BさんがAさんから離れるのを誰が責めることなどできるでしょうか。「Aは信用できない」ということをAさん自ら証明したのです。

 

Aさんから見ればその時Bさんは真の友情を持てないやつと思うかも知れませんが、第三者の立場から見れば、AさんがBさんに対して真の友情を持っていないだろうと判断するでしょう。

 

「組織の中で真の友情を持てない」というのであればそれはBさんの感想であり、Aさんのような人がいるからそうなるのです。Aさんは「立場や保身のために密告しやがる奴がいる」と言っていますが、立場や保身のために周囲をだましている自分のことは気にならないようです。

 

確かに監視の塔組織の中で真の友情を持つことは難しいのですが、それはAさんのような人がいるからです。同調コメント者たちもまた然りです。

 

友を裏切り会衆の純粋な人を裏切り、己はちやほやされる安住の立場を捨てきれず、なにも犠牲にしないでいいとこどりをしようとしているのです。

 

30歳前後になってもこれです。社会常識に欠けるというのは単に世の中の仕組みを知らないというだけではなく人間としての良心までも持てないのです。こういう男らしくない2世を大量生産してきたのが監視の塔なのです。中学生でもわかることがわからないで演壇から年上の人に向かって話をしているのです。如何に組織が人間教育をおろそかにしてきたか、その一例です。

 

確かに長老や援助奉仕者でも疑問に思っている人は今は大勢いるでしょう。しかしそういう人の中でも、ブログなどで組織批判をして恨みと憎しみの渦巻くSNSの世界で人気取りをしようとまでする堕落した人間はあまりいません。イソップ物語の蝙蝠のような人間になることを恥じる人間はたぶんいるでしょう。

 

改めて言いますが、このような人間は真の友情をエラそうに論じるべきではないでしょう。この人自身が真の友情がどういうものかわかっていないのです。

 

もし身バレして親友と思っていた人でも自分から離れていくのなら、組織のせいにではなく、組織の中でそういう人間関係しか培ってこなかった証拠です。しかもまだ援助奉仕者の立場にいながら仮定の話をして親友に疑いを持っているのです。この時点ですでにもう親友ではないのです。それは逆の立場に立てば自分もそう思うということを告白しているにすぎません。

 

繰り返しますがエホバの証人系ブログにはこういう人が本当に多いですね。それでイッパシに統治体批判をするのですからね。

 

自らが親友に真実の姿を示していないとすれば親友に真の友情を期待するのは身勝手で自分勝手で友情めいたものを利用としています。今親友と思えるほどまでに過去に築き上げた関係はすべて虚構でした。相手はきっとそう思うでしょう。これだったら真っ向から反対する反対者のほうがまだましだ、と思うでしょう。人を裏切っているというのはそれほどの悪事なのです。「仲間を売る」と言っていますが、自分は仲間をだまし欺いているのです。それもある意味「売っている」と言えるでしょう。そういう組織の中の人間の不完全さをブログでつるし上げて人気を得ようとしているからです。

 

もし12歳の姉が自分から正体を明かすことを決意せず、自分のポカで身バレしてそれで妹が泣いたときに、逆切れしたらどう思うでしょうか。本当に妹思いの感情などそこにはなかったのです。相手をだましているという良心の呵責がないからです。

 

まだ組織に忠実で告げ口する人間のほうが、組織の人たちの良心を考慮してのことですので裏切っていません。はるかにましです。

 

一般論ですが誰かが犯罪を起こしたときにそれを報告する義務が一般市民にはあります。たとえば友人が犯罪を犯したときに真の友人なら自首を勧めます。それをしないと罪に問われます。

 

もっとも犯罪組織から抜けだした人をかくまうのはわかります。しかしその場合でもその犯罪組織でえていた収入は得たいと思うのであれば筋違いです。組織を北朝鮮にたとえるのはまさにそうですが、しかし政権批判をする人たちはみな脱北してからです。

 

組織の中で何を禁忌とするかはその組織が決定することです。その禁忌が嫌ならば組織を出るしかありません。少なくとも特権的立場は捨てるべきでしょう。あらゆるところの良いところとろうをする人間は本来は軽蔑されるのですが、それがもてはやされるのがこのブログという世界です。ここがヘンだよと感じない人もヘンですね。

 

またAさんが見落としている非常に重要な点として、組織のことであれ、Aさんのことであれ、Bさんが真実を知ったときに感じるであろうショックに対する配慮や気遣いを微塵も感じさせません。それだけでも身勝手です。妹に真実を話したときに受けるであろうショックを思いやった姉には思い遣りの面で遠く及びません。

 

真の友情ある人間がこんなことする?