「波に逆らっている」-「沈まぬ太陽」から | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

「沈まぬ太陽」は日航機墜落事件を題材にした山崎豊子の小説です。その小説を原作に同名映画「沈まぬ太陽」が制作されました。

 

この映画は事故そのものを詳細に描いたものではなく、むしろその事故を招くに至った会社の体質を描いたものでした。強固なヒエラルキーの中で人々が己の利権のためだけに動いている様子が描かれています。その中でヒエラルキーの上位を目指す人間と意固地なまでに誠意を通そうとする人間が対照的に描かれています。

 

渡辺謙演じる恩地元(おんちはじめ)と三浦友和演じる行天四郎(ぎょうてんしろう)はかつては親友で組合活動も熱心に行ないました。経営者側は組合内部を切り崩そうとし、行天は会社側に寝返ります。人間というのはいったんその道を選ぶとそれに向かって突き進みます。経営者側は、行天篭絡後も、組合活動をする恩地を「アカ」と呼びやがて冷遇します。テヘランへ左遷し、その任期が切れても会社の内規としては例外的にナイロビへ転地させます。その間母親の死に目にもあえませんでした。閑職に追いやられた恩地はそれでも一生懸命働きます。恩地には息子と娘が一人ずついますが、そういう父親を子供たちは理解せず不満をぶつけます。

 

やがて日本に帰ってきた恩地ですが、その時に墜落事故が起こります。恩地は遺族対応に割り当てられます。会社は組織一新を図ります。首相の意向もあり新社長には紡績会社の会長である石坂浩二演じる国見が社長に任命され、恩地の働きを認めた国見は社長室直属の要職を恩地に割り当てます。

 

こういった国見の改革を快く思わない旧体制派は国見の失脚を狙います。その中には行天もいます。やがて国見は社長の座を追われるのですが、行天は恩地に会社側につくようにと言います。恩地がそれを断ると行天は脅しをかけます。当時恩地の娘が婚約をしていたのですが、行天は自身の人脈を通じて相手の父親にヒトコト言えば破談に終わるだろうとにおわせます。

 

恩地は心が折れそうになり、とある研究室にいる息子の克己に「飯でも食おう」と誘いに行きます。父親の憔悴しきった様子を見て克己はその誘いに応じ牛丼屋で食事をします。(多分吉野家です。半沢直樹もそうでしたね。大体ドラマで愚痴を言う場面というのはたいていラーメン屋や吉野家というのが定番です。相棒は回転ずし屋でしたが。)

 

その時に息子に次のように言います。

 

元「終戦の日なんか理不尽だなと思ったんだ。あんとき…これからはみんながこっちが正しい、間違ってないということだけをうのみにするのはやめよう。きれいごとや正論だけを信じるのはやめようと決めたんだ。」

 

克己「父さんは波に逆らってばかりいるから。」

 

元「ほんとだな。でもなあ、波に乗ってるやつの方がつらいのかもしれん。舟から落っこちないように必死でしがみついているからな。」

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

「あんとき…これからはみんながこっちが正しい、間違ってないということだけをうのみにするのはやめよう。」

 

これは私がエホバの証人としての活動をやめた時に決意したことでもあります。残念ながらSNSで展開されるエホバの証人批判は非常に偏ったものであり、大きな波のように「自分たちが正しい。」という人たちが多く、自分たちの批判の仕方を正当化しています。しかしそれもまたエホバの証人時代と何ら変わらない精神態度だと言えるでしょう。これは注意をしなければならないことだと感じました。それは新たなカルトだからです。

 

だからあえて誰かが何かを言った時に「逆の立場」でものを考えるようにしています。特に一方的な批判に対してはその姿勢を貫きます。

 

その際にいわゆる有力ブロガーと称するものとは一線を画すつもりでした。徒党を組もうとする人には要警戒だと思っています。デマはないか、フェイクはないか、バランスを持っているかどうか、主張に矛盾はないか、それを常に考えています。

 

しかしその際に自分が徒党と組もうとすると自分の目が曇ってしまうと思っています。だから誰にももコメントしませんし、いいねもつけません。コメントしたい記事やいいねをつけたい記事があってもあえてそうしません。

 

フォロワー数が多いというのがしばしば罠になるハマる例は最近のある元芸能人にまつわるニュースからもわかります。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0b82bac00b822f85e6bc99d28bf4330b462938aa

「フォロワー数は木下さんの“力”の源泉でした。」

 

これは徒党を組むことによって自分を見失う危険性示しています。しかしエホバの証人系ブログは高々数百人~せいぜい数千人程度で「自分には力がある」と勘違いしている人がいるようです。

 

そして周囲も「大物ブロガー」とか「有力ブロガー」ともてはやします。

 

なんとばかげたことでしょうか。それでもSNSに参加する人はそのような人の「ご意向」に沿おうとします。そしてそのような人たちが間違った考えを表明してもそれに気が付きません。

 

こういうことに対する警鐘を鳴らす意味でも私は気が付いたことをこれからも書いていきます。それを誹謗だと中傷だの言う人もいますが、全く見当はずれな批判です。自分たちのしていることを顧みることがないのは、レストランでマナー違反をして注されると逆切れする人のようなものです。その人個人には何の恨みもつらみもないのですが、表明する考えに対しては批判をします

 

「これからはみんながこっちが正しい、間違ってないということだけをうのみにするのはやめよう。」

“エホバの証人に偏った批判という波”には逆らいます。

 

皆が賢くなって、波にのまれないようにするために。