笑顔が見れないマスク社会は必ずや心を蝕む | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

「笑う門には福来る」という言葉は、笑うことが私たちの心の癒しになるというものですが、しかし他人の笑顔はどうでしょうか?

 

最近他人の笑う顔を見ましたか?

 

テレビの軽薄な芸人のバカ笑いなどのことを言っているのではありません。身近な人で、しかも新たに知り合った人の笑顔を見ましたでしょうか?

 

小学校1年生が皆マスクをしながら学校へ通っている様子を見てなんとも切なくなりました。この子たちは友達の笑顔をほとんど見ない毎日を過ごしているんだろうなと。小学1年生だけではなく新入学、新学年、そして新入社員たちは知らない人に取り囲まれ心細さを感じている人もきっと大勢いることでしょう。これは精神衛生上よくないと思います。

 

他の人の笑顔は自分の心を和ませます。昔雪印マーガリンのCMで「♪おいしい顔ってどんな顔?」というフレーズがあり、幼い子供の満面の笑顔を映し出していました。それは幸福な顔かもしれません。

 

私たちの日常から消えたのは「他人の笑顔」です。マスクでおおわれた顔は無機質な世界であり、それは心にとって大きな傷を毎日なぞりながら深くしています。感情表現ができなくなっているからです。人とのかかわりを築き上げる点で大きな障壁となるのです。

 

リブログした記事では笑筋という筋肉について取り上げました。笑筋が人間独自のものであるならば、その笑筋を使わない日常は人間として健全な生き方ができなくなるのです。

 

私はマスクを外して時に笑顔を見せることは必要なことだと思います。他人の笑顔を見て初めて相手を知ることもできるからです。

 

学校であれ、会社であれ、組織の管理者は、そういう機会を作る必要があると思います。