1976年の年鑑によれば、ものみの塔初代会長ラッセルは、まず教会で教えられる地獄の教理に疑問を持ったということです。
「神が愛ならば永遠の責め苦を与える地獄の教理など間違っている。」というのが出発点だということです。あるいはこれは「ワシントンの桜の木」レベルの作り話かもしれませんが、でもその「神が愛ならば…」を基準にして物事を考えるのは、敬虔な聖書研究生であるならばその思考の型は道理にかなったものと言えるでしょう。
同じ言葉を当てはめるならば「神が愛ならば、完全忌避を許すはずがない。」「神が愛ならば何十億の人間を滅ぼすわけがない。」という推論も神の愛に信頼を置いているならば、理にかなっているのです。
ラッセルの基準に従えば、今の統治体はラッセルが疑問を持った教会以上に神の愛を反映していないと言えるでしょう。
ラッセルが今の統治体を許すことはないでしょう。そして一方今の統治体もラッセルを忠実で思慮深い奴隷級から除外したということですから、実質的に統治体はラッセルから離反しました。
今のものみの塔組織は発足当時の組織とは全く別の組織と言えるでしょう。「神が愛ならば統治体は間違っている」のです。