多くの方に認識していただきたいこと。
とてつもない不幸な事件が起きた時に、いかにそれをセンセーショナルに伝えるかに躍起になっているマスコミの劣化は、犯人と異なるとはいえ人の気持ちを考えないという点では同じレベルの醜悪さを感じるので、セカンドクライムといってもいいくらいのやりきれなさを感じるのですが、正義の味方面をしているだけに決して改めることにない偽善者集団とは思いますね。特に朝のワイドショーでの現地レポーターの偽善ぶりには辟易とします。
とは言え、数多く登場する心理カウンセラーの言葉の中には、いかに犯罪を未然に防ぐかを真剣に考えている人のそれもあります。
凶悪犯罪を起こす人の多くは、人生における喪失感や、孤独感などが原因として挙げられると述べる人もいます。社会がそのような人にいかにして手を差し伸べることができるかに苦心している様子もあります。引きこもっている子供に対して、積極的に意思疎通を図ろうとする親や身近な人たちの苦悩を述べることもあります。
人々が孤独にならないように社会は必死になっているのです。それが有害な影響を及ぼすことは明白なのです。本人にも周囲にもです。
それに真っ向から対立するのが、ものみの塔教理における“完全忌避”です。特に幼い頃からエホバの証人以外の交流を遮断し、そのうえでエホバの証人からも完全忌避することは、徹底的な孤独を強いるようになるのです。これは完全に間違った教育です。その意味でこの教理は「非人間的教理」といえるでしょう。人の心を破壊する教理です。極めてサタン的です。
非常に興味深いことに、ものみの塔オンラインライブラリーで「孤独」を検索するとほとんどは20世紀の記事がヒットします。主要機関紙「ものみの塔誌」においては近年で「孤独」を扱った記事がヒットしないのです。
これは統治体が“完全忌避”の強化と徹底履行を強調してきた時期と重なります。統治体はわかっているのです。“完全忌避”が孤独をもたらすものであることを理解しているのです。自分たちのしていることがもたらす影響を熟知しているのです。ですから孤独の有害性を書かなくなったのです。
そういった統治体の意向に沿って「背教者狩り」をしているのが日本ものみの塔教です。
現役のエホバの証人の中には、その様にされるのを恐れるがあまり「背教者狩り」に対して偽りの言葉をいわざるを得ない人もいるのです。集会は安心できる場所ではなく、警戒すべき場所になります。このこと自体も精神衛生上好ましくないでしょう。「嘘をつく」生活を強いられるからです。嘘をつく生活も不満を高めるものとなります。
ものみの塔を研究する学者たちはこの教理が将来「犯罪者」を生み出す可能性が高いことに注目し、そのことに警鐘を鳴らしてほしいと願います。
一方、オフ会の意義がそのような心を蝕む「孤独」を克服することに貢献しているんだとすれば、「犯罪を防ぐ」意味においても重要な側面を持っていると言えるかもしれません。
完全忌避されている人たちの中には、信仰を持ったままの人もいらっしゃるかと思います。そういった方々の受け皿になるような真面目な集まりがあるならば、それを望んでいる人もいるかもしれません。