決勝リーグ進出を決めた日本ですが、最後10分間における「不戦」プレーには、スタジアム全体に大ブーイングが起きていました。見ている分には複雑な思いがし、その空気を察した西野監督も「不本意」という言葉を使っていました。しかし国内では、とにかく決勝リーグ進出は久しぶりのことですから、この選択を正しかったという評価で落ち着いています。長谷部選手がインタビューで「これが勝負の世界」という言葉こそがすべてです。
セネガルが同点に追いついていたならば次の試合がなかっただけに非常にリスクを伴う選択だったわけですが、とにかく勝負の世界は「結果オーライ」「勝てば官軍」です。
この試合を見ていて思い出したのは1992年夏の甲子園・明徳義塾VS星稜戦です。この試合で当時の怪物ゴジラ松井選手相手に5打席連続敬遠を指示した明徳の馬淵監督は世間から大バッシングに遭いました。
でもそれが「勝負の世界」です。高校野球に「勝利至上主義」を持ち込むのは良くないという意見もありますが、それが通用しないのは「勝負の世界では勝者に栄光がある。」からです。「ああ、栄冠は君に輝く」のです。勝利至上主義はその栄冠を求めること以外の何ものでもなく、決められたルール内であればそれを最大限に生かすのは監督の知恵です。だからこそ「監督」なのです。馬淵監督は松井選手に「ぶつけろ」とは指示しませんでした。5打席連続敬遠は5打席連続シングルヒットとほぼ同じです。リスクを伴います。それでもそのリスクを伴う選択をしたのです。いずれの場合も選手だけの判断では勝負を挑んだことでしょう。選手は戦いたいからです。
西野監督の選択を評価するのであれば、今から26年前、36歳の馬淵監督の選択も評価されてしかるべきでしょう。
以下追記。
個人的意見を言わせてもらえば、フェアープレーポイントで優位に立っていた日本が勝負の世界で「戦わない姿勢」を示したのはある種の敗退行為のような気がしました。ルールに則っているとはいえ、決してフェアープレー精神とは言えない態度でフェアープレーポイントを当てにするというのは何とも皮肉な話です。
ただ国民の期待に応えなければならないという重圧や、これまでの努力と経緯でグループリーグ突破が最低限の使命と感じていたがゆえに「本意ではない」行為をせざるを得なかったことへの理解は必要だと思います。
そういうことはどんな場合にも当てはまると思います。