SOSを発信していたんだろうな… | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

良心的ドラマ「コウノドリ」はSeason2でも安定したストーリーで安心感を与えてくれている。先週の第三話では「産後うつ」を取り上げていた。いわゆるキャリアウーマンが出産に伴い休職するのだが、その期間中に会社での居所がなくなる。夫は口先では理解してくれているようだが、家にいる時間は少なく、マンションの中で聴こえるのは泣き止まぬ赤ん坊の声だけ。産まれるのを楽しみにしていたが、いざ産まれると我が子をかわいいとさえ思わなくなる。実の母親からも理解してもらえず、徐々にどこにも居場所がなくなる。


産院の医師や看護師たちが心配してくれはいるが、やはり他人であるがゆえにいくら声を掛けられても相談に踏み切れないし、たぶん相談したところで問題解決になどにはならないと思う気持ちも理解できる。


 やがてビルの屋上から飛び降りる寸前のところで、星野源演じる四宮医師の差し出した手を握る。ドライを装う四宮医師は穏やかに手を差し伸べるが、母親の手をつかんだとたん力強くにぎり決して、離しはしないという強い決意と救いたいと強力な願いを伝える。クライマックスシーンの演出は見事だった。は保谷の発信するSOSに対して、敏感であり続けた病院スタッフの成果である。


 母親は冷静になり、やがて我が子を初めてかわいいと思うようになる。


 現実はこんな簡単なものではないとは思うが、視聴者にこの母親に「助かって惜しい。」「救われてほしい」と感じさせるものではあった。


1990年前半にバブルがはじける前までの日本はまさに狂気じみた好景気だった。1988年に「24時間戦えますか」のキャッチコピーで有名になったドリンク剤に代表されるように、数多くのドリンク剤のCMがテレビで流れた。株価は4万近くまで上昇し、バブル成金が続出した。得た金の使い道は、手当たり次第に女性につぎ込んだ男性も多い。ワンレン・ボディコンがはやった時期である。仕事と遊びで午前様になり、家庭を顧みない夫も多くいた。バブルに至るまでの1970年代後半から、日本の商社マンは世界でエコノミックアニマルと言われるほど「仕事人間」が数多くいた。まだまだ終身雇用制が定着していたから、いったん会社に入ると身動きできなくなり、結果として家庭を顧みない父親も少なくない風潮がバブルの土台になっていた。


 そのような中で、子育てで家に閉じこもらざるを得ない母親たちはその悩みをだれにも打ち明けられずにいた。一人っ子ではなく二、三人の子供がいる家庭が多く、もう家事だけで一日が終わる。家電製品は今ほど便利なものはなかった。歩き始めた幼児は目が離せない。身体の変調にも注意深くなければならない。ネットで情報を得ることはないし、今ほど健康番組があるわけではないので、先人の知恵に頼らざるを得ないが核家族が主流になり親の知恵を得ることもできない。SNSで同じような境遇の人とつながることはできない。外の世界と隔絶された「家」の中での孤立感は尋常ではない。


 まだ当時は今ほど離婚というものはポピュラーなものではなかった。まれではあるが自死を選ぶ人もいたが、ほとんどは子供への愛情と選択肢は限られている。耐えるしかない。それでも「母は強し」。子供への責任感があるゆえに、耐えていた母親も多い。


 でもやはりSOSのサインは出していたのである。崩れかけた心をそこでしっかりとつかんだのはJWだった。本当に親身に話を聞いてくれ、子供の世話までも司会者やほかのJWが見てくれた場合もある。集会へ行けば「模範的な子供たち」の姿を見て、安どした親もいるだろう。自信を無くしかけた心を励まし実際的な援助もJWたちはしてくれた。それは四宮先生に差し出した手をしっかりと強く握られたときに安心感を抱いたであろう母親の気持ちと重なるところがある。


 ドラマではあるがこの母親が四宮先生を「命の恩人」の一人だと思い、生涯にわたって感謝することは十分推察できるし、そういう人とのつながりの強さはその時その母親の立場になってみないとわからない。一つ言えるのは、この絆は「相当」強いだろうということだ。さてそのうえでの話だが、ドラマを見て「良かった」と思った人たちは、ひょっとしたら自分の幼いころに自分の知らないところでSOSを出していたかもしれない親がどうしてJWに惹かれたかを考えるヒントにはなると思う。親がどうしてJWから離れられないのかは、親がどうしてJWになったのかの事情を「詰問」するのではなく、理解をしようという目的で知らなければならない。