試行錯誤ー「失敗の恩恵と想像力の重要性」 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

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「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

「試行錯誤」という言葉がある。勘違いしている人もいるが決して「思考錯誤」ではない。英語では「try and error」という。


「学習能力」とはこの「試行錯誤」によってもたらされる。ちょうど迷路の中に置かれたハツカネズミを観察すればわかる。ハツカネズミは最初は迷路の中をあっちへ行ったりこっちへ行ったりするがやがて正道を知ると一直線で出口に向かうそうだ。


私たちの脳神経はシナプスが様々な回路を作り上げるという。その過程で失敗をすることから間違った回路を避け、正しい回路を作り上げるそうだ。つまり正解を導くというのは新たな思考回路を作り上げるために、様々な回路を試さなければならない。それが「失敗」というものだ。「失敗の恩恵」というのは、試行錯誤により「間違った回路」を知り、その「回路」を避けて通ることができるということである。


WTの教理や教義に疑念を抱くことで、自分をそれに合わせてきたことは確かに「失敗」であったということは認める。ではその「失敗の恩恵」は何だろうか。


私自身としては、組織に入る前にはそれほど排他的ではなかった。日本古来の風習や伝統を大切にしたいと思っていたが、神社仏閣の前で手を合わせることはなかった。しかしながらそのようにする人が大切にするものを汚すつもりもなかったし手を合わせたりする人を蔑むこともなかった。


WT教義の特徴の一つはその『排他性』である。この『排他性』というのは実は「全肯定・全否定」思考が働いていると言っていいだろう。全肯定の領域が狭められたときに極度の排他性が培われる。


ただし「全人類の宥めの犠牲としてキリストが刑柱にかけられた」とするならば、この「全人類」という部分がJWをしていると矛盾に感じるのである。「JW、しかもその中でもふるいにかけられ残ったものだけ」が助かるとするならば「どうして『全人類]のため」と言えるのだろうかという疑念はたぶんすべてのJWは持っていると思う。大多数はハルマゲドンで永遠の滅びをこうむるからである。


『排他的思考ー他者の全否定』の怖いところは、誰かを人間としてみなさなくなるというところだ。人種差別、宗教差別などはその典型だ。ある集団を全否定したい人は、多少の信条は異なっても結託する。それがどれほどエスカレートしようが気がつかず、いつの間にか残虐になる。


ではWTにいたものとして「失敗の恩恵」とはなんだろうか。それはこの「排他的思考」を捨て去ることである。と同時に「想像力を強めること」である。


ハリーポッターの著者であるJ.K.ローリングは2008年ハーバード大学の卒業記念講演で非常に素晴らしくも感動的な講演を行った。その中で「想像力の重要性」を語った。(1)~(3)で約20分にわたるものだが、WTの講演とは比較にならないほど金言がちりばめられている。ある人にとっては人生を変える講演かもしれない。


https://www.youtube.com/watch?v=2AXE3thoNj0

(3)で「想像力の重要性について語っている。人間だけがこの能力を持っていること、自分が経験しないことでもこの能力を使うことができること、そしてそれは良い方向にも悪い方向にも使えること、そして全く使わないモンスターになる人もいることを述べている。


この「想像力」を十分に活用することで『排他的思考』を捨てることができる。「WT組織の間違いに気がついた、覚醒した」と言って、今度はWT組織を全否定するならやはり「排他的思考」そのものからは抜けきっていない。「失敗からの恩恵」を受けていないということになる。その組織の中で幸福を感じる日々を送る人たちの毎日の思いや心に対する「想像力」に欠けているからだ。


世間の多くの人たちは一生懸命幸福になろう、人を幸福にしよう、と思って生きている。そういう人たちの思いや心を大切にすることが大事なことだと思う。犯罪者が口にする言葉は「そこまで考えていなかった。」ということだ。この言葉も「想像力の欠如」がもたらすものだ。


WT組織の問題点は、統治体が信者の生活に様々な制約を設け、強固なヒエラルキーを作り上げたのは「想像力を悪い方向に用いた結果」である。「全人類を愛される神」に倣いたければ、その思考の型に倣ってはいけない。