山口でF・ザビエルに触れる | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

昨年、大河ドラマの「花燃ゆ」の影響で、山口を訪れた。萩は3度目だったがついでに山口市にも足を運んだ。萩は道の駅や大河ドラマ館、博物館など見るべきところがたくさんありドラマのロケ地巡りをした。ここ数年は大河ドラマ館は必ず行くようにしている。萩では吉田松陰の教育者としての姿勢に大いに感銘を受けた。松下村塾の「授業」とはそれこそ大学でのゼミ方式である。先生と呼ばれた松蔭はひたすら謙虚で、多くの塾生が知恵を出し合って見識を広めていく。松蔭は根幹となる指針や孟子の精神を軸にその知恵を有意義に用いるように指南していく。それぞれが知恵を出し合うので有為な人材が生まれていった。今でも地元の人は必ず「松蔭先生」と呼んでいる。それは崇拝ではなく崇敬だと思う。


閑話休題。


山口市ではサビエル記念聖堂に行ってきた。(山口ではザビエルではなくサビエルと呼ぶそうだ)。組織にいたころならば絶対に入らなかっただろう。組織を離れた今、キリスト教如何を問わず、いろいろな人たちの穏やかで謙虚な信仰心には学ぶべきところや気づかされるところがあると思っている。


フランシスコ・ザビエルと言えば教科書で日本にキリスト教を広めた人であると学ぶくらいだ。またイグナチウス・ロヨラとともにイエズス会を設立したメンバーであるという程度の知識である。両手を胸の前で重ね、斜め上を見ているという絵が浮かんでくる。JWであるがゆえに「キリスト教世界」の知識など不要のものであり、知ろうともしなかった。


組織にいるころは、様々な宗教に対しては、その良いところをみようとせず、悪いところを見て「だから滅びに値する。」という考えていた。しかし今はどんな宗教でもその良いところを見て「だから救われてほしい。」と思っている。別にその人が改宗せずともだ。このあたりのことはまたいずれ詳しく書くことになる。


もう組織宗教に入るつもりは毛頭ないのであるが、それゆえに批判するためにではなく、気づきを得るために記念聖堂に入った。


フランシスコ・ザビエルは1534年28歳でイエズス会を創設し、国外への布教活動に携わるようになる。日本に訪れたのは1549年43歳だった。日本国内はおりしも室町幕府末期であり、戦国時代前期の時代である。鉄砲伝来が1543年と言われているので弓矢から鉄砲へと武器が変わる黎明期である、時代が戦国後期の火薬を使った殺戮へとつながる時期で各大名をこれから富国強兵のために躍起になっていた時代である。「戦う」ことがごく普通の時代にザビエルは日本に来た。


ザビエルの観察はこうである。


財産のすべては衣服と武器と家臣を扶持するために用い、財産を蓄えようとしません。非常に好戦的な国民で、いつも戦をして、もっとも武力の強い者が支配権を握るのです。一人の国王を戴いていますけれど、150年以上にわたって彼に従いません。このために、彼らのあいだで絶えず戦っているのです。


キリスト教布教といえども大航海時代においてはヨーロッパ商人がアジアを植民地にするための船に乗らざるを得なかった。実際まずキリスト教を布教させそのあと植民地にするために武力行使をするというのが当時の風潮であったためではあるが、ザビエル自身は純粋な布教精神であったということが一般的見解である。


日本では精力的に布教し、此の地がだめなら彼の地へと移動し、宣教の許可を得るために、時の権力者である将軍との謁見を積極的に希望した。この計画は潰えたが、それでも山口や大分に戻り布教した。ポルトガルとの中継地点であるインドに戻り、そして日本という国に大きな影響を与えているのが中国・明だと知ると今度は中国への布教を試みる。その途中1552年46歳で故国に戻ることなく病死する。しかしこの決断力、行動力、熱心さなどは確かに卓越したもであった。ザビエルのキリスト教の話を聞いていた琵琶法師ですらもその話に感銘を受け、クリスチャンになった。ロレンソ了斎という。


言葉の全く通じない国に行ってまでキリスト教を布教する精神に見習うべきところはたくさんあるし、自分ができないのであるならばその分こういった敬虔なクリスチャンに対し深い敬意を抱くのは当然だろう。


司馬遼太郎の小説の中で織田信長は、キリシタン宣教者を保護した理由として「彼らは万里の波頭を乗り越え、まったく見知らぬ土地で貞節に布教しているのは素晴らしい。」というようなことを言っている。当時、石山本願寺などの一向宗門徒に手を焼いていた信長は、信仰者の本質めいたものの清々しさを彼らの中に見たのかもしれない。勿論宣教者たちのもたらす献上品の中の西洋文明の道具に大いに魅力を感じたわけだが、決してそれだけではあるまい。もっとも小説なので信長がそんなことを言ったかどうかは知らないが、キリスト教を庇護したのには大体それは推察可能な範囲内である。


ザビエルはよく知られている肖像画にあるような何か弱々しい印象ではない。活動力に満ち溢れ、幾多の困難を乗り越え、それでも常に神への思いを忘れなかった。


JWでは自分たちの過去の宣教者の働きを伝える。その人たちの動機が敬虔なものであるならそれまでも非難するつもりはない。しかしただ「キリスト教世界」というだけで、過去の信仰者を全く無視する行為はやはり間違っていると思う。JWは、自分たち以外のものは全否定する。覚醒とは何につけこのような「全否定」姿勢を捨てることだと思っている。全否定は良いところも見ないという点で盲目である。それは全肯定が悪いところは見ないという点で盲目なのと同じである。ジョルグ(JWORG)の証人が盲目であり、統治体が盲目の案内人であるということはそういう意味である。JWを離れてJWを全否定する人はその姿勢においてJW時代と何ら変わらないのである。勿論様々な辛い経験を通してそうならざるを得ない方もいらっしゃるだろうから、それを非難しているわけでは決してない。でもそれは私が組織を離れても、根源的悪を行なうもの以外のJWを否定しないのと同じなのである。全否定者を全否定することはない。同じ視点で見ている。


話がややそれた。


ザビエルは日本人の風習には大いに驚いたものがある。一つの例としては衆道(しゅどう=男色)の一般化である。しかし彼はそういう彼我の文化風習の違いを決して咎めることなくただキリスト教に対してのみならず様々な疑問を持つ人たちと積極的に議論をした。


こう述べている。


 「日本人たちは」好奇心が強く、うるさく質問し、知識欲が旺盛で、質問は限りがありません。また彼らの質問に私たちが答えたことを彼らは互いに質問しあったり、話したりしあって尽きることがありません。彼らは地球が円いことを知りませんでしたし、太陽の軌道についても知りませんでした。彼らはこれらのことやその他、例えば流星、稲妻、降雨や雪、そのほかこれに類したことについて質問しました。それらの質問に私たちが答え、よく説明しましたところ、たいへん満足して喜び、私たちを学識のある者だと思ったようです。そのことは私たちの話を信じるために少しは役立っています。


キリスト教以外の知識の豊富さも求められている。いまでいうなら高等教育否定はJWから闘う武器を与えない信条である。


結果はどうだったか。


彼らは私たちにたくさん質問しましたので、私たちは、神の教えこそ真理であることを理解させました。幾日間も質問と答弁が続きました。そして幾日かたった後、信者になる人たちが出始めました。説教においても、討論においても、もっとも激しく敵対した人たちが一番最初に信者になりました。



ザビエルの日本人観には興味深いものがある。


「この国の人々は今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人々は、異教徒の間では見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほどの名誉心の強い人々で、他の何よりも名誉を重んじます。大部分の人々は貧しいのですが、武士もそうでない人々も、貧しいことを不名誉だとは思っていません。



「日本の人々は慎み深く、また才能があり、知識欲が旺盛で、道理に従い、またその他さまざまな優れた資質がありますから、彼らの中で大きな成果を挙げられないことは「絶対に」ありません。ですから主なる神において日本での大きな成果を期待しています。数々の労苦は光彩を放ち、またその光が永遠に輝き続けますように。 



「信者になった人たちは非常に深い愛情を持って私たちに接してくれます。彼らこそ真実な意味でキリスト信者であると信じて下さい。


日本人ベタ褒めで気分は悪くない。


あるいは統治体成員も日本人に対して似たような感情を抱いているかもしれない。ではどこが違うかというと、そういう日本人の気立ての良さにつけ込んで、いくら見下しても平気なのが統治体成員である。そして自分たちが崇敬ではなく、崇拝されることを望んでいることだ。王国会館の基金を吸い上げてどこかに回していたり、信者の寄付を投資に回し『善管義務違反』の疑義めいたことを行ない信者の懐を漁る方法を算段している。また日本人の名誉欲につけ込んで「特権保持者重視」の手法をとっているのは支部委員をはじめとするヒエラルキー賛美者である。


サビエル記念聖堂の中ではサビエルの生涯を描いた絵物語があったが、その中でサビエルが自分を崇拝しないようにと諭しているものがあった。彼は人物崇拝を諫めている。


実際ザビエルの言葉には創造者を意識した言葉が多い。


「主なる神はこの危険のうちで、私たちをお試しになり、もしも私たちが自分の力に頼り、被造物に信頼をおいているあいだは、私たちがどれほど小さいものであるかを分からせようとなさいました。そして、このようなはかない希望から離れ、自分を信頼せずに、すべてのことについて創造主に希望を託し、創造主への愛によって危険を受けようとする時に、「神の」御手のうちにあって私たちの力を発揮できるものであることを分からせて下さいました。

「創造主への愛のみにより危険を受ける者は、危険のさなかにあっても疑うことなく、創造主に従うものであると悟り、死の恐怖の時にあっても大きな慰めを明らかに感じるものです。

「この深い謙遜からのみ、神へのより大きな信仰、希望、信頼と愛が、そして隣人への愛が、「心のうちに」増してくるのです。なぜなら、自分自身への不信頼から真実な神への信頼が生まれるからです。そしてこの道によって、内心からの謙遜を得られるでしょう。真の謙遜はいずこにおいても必要ですけれど、この日本においては、あなた方が考えているよりももっと必要とされております。


この手の話をJWの集会に行って聞かなくなって久しい。今はたとえあったとしてもそれは統治体の権威づけに利用されるだけだ。


私が聖堂を訪れた時にはサビエルの骨片が展示されていた。世界中にその遺骸の一部はあるようだ。これをもって偶像崇拝をしていると言えるだろうか。中にはそういう人もいるかもしれないが、それは故人への尊敬の念を強めるものとみなせば特に問題はない。丁度故人のビデオや写真を見て懐かしく思い出すこともある。ザビエルを模範にしたり、ザビエルの言葉で創造者のことに自分なりに思いをはせるヒントにできるのであれば、決して崇拝していないことになる。


その生涯において決して富に溺れることもなく立派な生き方を示した人に対する崇敬の念を「聖」と呼ぶだけで否定する一方、飽食のせいか腹の突き出たなりで装飾品を身にまとい、世界中でVIP待遇をほしいままに受けている人間を崇拝するのがいかに間違った方向に行っているのかがわかりそうなものだ。


ザビエルはこう観察している。


「彼らは道理にかなったことを聞くのを喜びます。彼らのうちで行われている悪習や罪について、理由を挙げてそれが悪であることを示しますと、道理にかなったことをすべきであると考えます。


道理にかなった方法での批判は必ず現役の心に達するものだと思っている。


統治体は無残に敗北している。